ボストンテリアのチェス君との楽しい日々

2014年に「愛犬はなちゃん」と世代交代した「ボストンテリアのチェス君」との楽しい日々のふれあい情報を発信しています。

子供のころ育った場所をたどってみた。

2012-10-09 10:44:40 | Weblog
学校を卒業して、就職、家庭、子育てなどに奔走していたころは、自分が生まれた場所のことなどは、なかなか感傷的に思い出したりはしませんでした。
でも、年齢を重ね生活に追われることも少なくなった今、生まれ育ったところが今どんなふうになっているか見たくなりました。

私が生まれたのは、昔で言うと福岡県八幡市(現在の北九州市八幡東区)。その頃は、家でお産婆さんにとりあげてもらったので、まさしく住んでいたところが生まれた場所になります。
写真は、高槻小学校。昔と全く違う校門になっています。校舎は、当時新館だったところ以外の木造校舎がすべて新しくなっていました。




学校の横に槻田川があって、よく魚とりや川遊びをしたところです。




小学校から大蔵方面の山に登ると、その頃で言う高射砲陣地跡があって、そこに大きな広場がありました。
そこから洞海湾側に旧八幡製鉄所の工場群が見渡せる場所があり、よくそこで遊んだことを思い出します。
当時山だったところは、宅地となり、山頂付近は公園に整備されていました。


広場から見た東側風景、関門橋や下関まで見ることができます。


西側は、若松の風力発電の風車、若戸大橋、洞海湾が見渡せます。
当時とは全く違う風景だけど、素晴らしい景色です。


中学校近くの天疫神社と公園。槻田中学校の横にあって、ここでもよく遊びました。


小学校時代に遊んだ中畑公園。

公園から皿倉山が見えます。
小学校の校歌の出だしは、「仰ぐ皿倉峰染めて・・・」 今でも歌えます。



子供のころ、そう4歳ぐらいだったと思いますが、初めて自分の存在を意識した日のことをよく覚えています。
家の近くに、リヤカーで鐘を鳴らしながらくるパン屋さんのところに行く途中、”自分はなんでここ(この世)にいるのだろう? どこからきたんだろう?”と不思議な疑問が浮かんだのです。
その瞬間と思った場所は、今でもその情景が浮かんできます。
今回は、その場所にもう一度立ってみました。風景は全く変わっていたけど、確かにその場所でした。

子供のころの不思議な感覚は他にもいくつかありますが、またの機会に書きましょう・・・
過去を辿った時間は、約6時間。あっという間に過ぎて行きました。