勝手に思うままに 榊原秀光のブログ

日頃 思っていることや感じたことを思うままに書きます。

勝手に思うままに 73

2010-10-12 07:11:39 | 平和
先日 ビキニ環礁が世界遺産になりました。
核廃絶を世界のどこよりも日本は強く唱えている国として、正確に、根気強く伝えていかなくてはいけません。
いまだに、北朝鮮の核問題は恐怖であり、遺憾に思います。
私は、広島に家族と行ったときに、敗戦後60年たった広島で、自分の人生に大きな変化となる貴重で意義ある時間を過ごしました。

勝手に思うままに73 平和の意味

平和公園の真ん中くらいに位置するのが平和の灯です台座は、手首を合わせ、手のひらを大空にひろげた形を表現しており、水を求めてやまなかった犠牲者を慰め、核兵器廃絶と世界恒久平和
への願いをこめています。
この火は、1964年(昭和39)年8月1日に点火されて以来ずっと燃え続けており、「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」という反核悲願の象徴となっており、完全になくなったその日に手を合わせ(合掌)るそうです。

私たち家族は、広島へ折り鶴を折って持っていきました。
佐々木禎子さんは2さいで被爆し、10年もたってから、白血病で 短い一生を終えた少女です。
世界中の人たちは、佐々木禎子さんを通して戦争が子どもたちをどんなに苦しめるか、原爆がどんなに子どもたちに不幸をもたらすかを知りました。
そして、最期まで生きる希望を持って白血病とたたかったその姿に勇気づけられました。
サダコさんは、鶴を千羽折ったら病気が治ると信じ、毎日鶴を薬紙で(パラフィン紙)折りました。その鶴の展示もありました。
日が経つにつれお母さんが鶴を間引きしたそうです。

サダコさんは、「いたい」とか「つらい」と口にすることはありませんでした。ただ、いのりをこめて、ツルを折りつづけ12年のいのちをとじたのです。サダコさんの命の火は消えましたが、、「原爆の子の像」の前の石の碑には、「ふたたび、原爆によって子どもたちが犠牲になることのないように」というきもちは、脈々と生きていました。