ドイツの哲学者カントは、馬の蹄鉄屋の子に生まれました。生まれつきのくる病であった。背中にこぶがあり、乳と乳の間はわずか2.5インチ、脈拍は絶えず120~130、喘息で、いつも苦しげに喘いでいた。ある時、町に巡回医師がやってきた。少しでも苦しみを和らげられたら、と父はカントを連れて診せに行った。診てもらってもどうにもならないことは、カント自身も分かっていた。
そんなカントの顔を見ながら、医師は言った。その言葉がカントを大哲学者にするきっかけとなったのである。
勝手に思うままに19 大哲学者の誕生
「気の毒だな、あなたは。しかし、気の毒と思うのは、体を見ただけのことだよ。考えてごらん。体はなるほど気の毒だ。それは見れば分かる。だがあなたは、心はどうでもないだろう。心までもせむしで息が苦しいなら別だが、あなたの心はどうでもないだろう。苦しい辛いといったところで、この苦しい辛いが治るもんじゃない。あなたが苦しいと言えば、おっかさんだっておとっつぁんだってやはり苦しい、辛いわね。言っても言わなくても、何もならない。言えば言うほど、みんなが余計苦しくなるだろ。苦しい辛いと言うその口で、心の丈夫なことを喜びと感謝に考えればいい。体はともかく、丈夫な心のお陰であなたは死なずに生きているんじゃないか。死なずに生きているのは丈夫な心のお陰なんだから、それを、喜びと感謝に変えていったらどうだね。そうしてごらん。私のいったことが分かったろ。それが分からなければ、あなたの不幸だ。これだけがあなたを診察した私の、あなたに与える診断の言葉だ。分かったかい。薬は要りません。お帰り」
カントは医師に言われた言葉を考えた。
「心は治っていない、それを喜びと感謝に変えろ、とあの医師は言ったが、俺はいままで、喜んだことも感謝したことも一遍もない。それを言えというんだから、言ってみよう。そして、心と体とどっちが本当の自分なのかを考えてみよう。それが分かっただけでも、それが分かっただけでも、世の中のために少しはいいことになりはしないか」
大哲学者の誕生秘話である。
体が丈夫でも心がやすらかでなかったら、健康とはいえない。いや、たとえ体が病弱でも心が康らかなら、生命は健やかである。これは人間個々から小さな組織、国家まで、あらゆる生命体にいえることであろう。カントの逸話は私達にそのことを教えている。
そんなカントの顔を見ながら、医師は言った。その言葉がカントを大哲学者にするきっかけとなったのである。
勝手に思うままに19 大哲学者の誕生
「気の毒だな、あなたは。しかし、気の毒と思うのは、体を見ただけのことだよ。考えてごらん。体はなるほど気の毒だ。それは見れば分かる。だがあなたは、心はどうでもないだろう。心までもせむしで息が苦しいなら別だが、あなたの心はどうでもないだろう。苦しい辛いといったところで、この苦しい辛いが治るもんじゃない。あなたが苦しいと言えば、おっかさんだっておとっつぁんだってやはり苦しい、辛いわね。言っても言わなくても、何もならない。言えば言うほど、みんなが余計苦しくなるだろ。苦しい辛いと言うその口で、心の丈夫なことを喜びと感謝に考えればいい。体はともかく、丈夫な心のお陰であなたは死なずに生きているんじゃないか。死なずに生きているのは丈夫な心のお陰なんだから、それを、喜びと感謝に変えていったらどうだね。そうしてごらん。私のいったことが分かったろ。それが分からなければ、あなたの不幸だ。これだけがあなたを診察した私の、あなたに与える診断の言葉だ。分かったかい。薬は要りません。お帰り」
カントは医師に言われた言葉を考えた。
「心は治っていない、それを喜びと感謝に変えろ、とあの医師は言ったが、俺はいままで、喜んだことも感謝したことも一遍もない。それを言えというんだから、言ってみよう。そして、心と体とどっちが本当の自分なのかを考えてみよう。それが分かっただけでも、それが分かっただけでも、世の中のために少しはいいことになりはしないか」
大哲学者の誕生秘話である。
体が丈夫でも心がやすらかでなかったら、健康とはいえない。いや、たとえ体が病弱でも心が康らかなら、生命は健やかである。これは人間個々から小さな組織、国家まで、あらゆる生命体にいえることであろう。カントの逸話は私達にそのことを教えている。
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