5月15日に京都の葵祭に行ってきました。
私とかみさんの親と一緒に、80歳になりますが足腰が強くていまだに一緒に
旅行できることをすごく嬉しく思います。
京都の観光協会で御所の指定席を予約したのですが、両方の母は背が小さく、
2人とも終始立って葵祭の行列を見ていました。(それなら予約席いらなかっ
たな~と、たのしそうに見ている光景にうれし思いました。)
葵祭は、音がないんです。
お囃子とか、祭の掛け声とか一切なし。あるのは、馬の蹄の音と牛車の輪の音
のみ。解説をしていただくのですが、以前御所に拝観に来たとき御所を案内し
ていただいた方でした。80数歳とお聞きしましたが、立派に説明をされてい
ました。両親とも紆余曲折の人生でしたが、自分自身の花をきれいに咲かせて
います。
勝手に思うままに64 指針
小さい花でいいのだ。人にほめられるような大きな美しい花ではなく、だれ
からも足をとめて見られなくてもいい。本当の自分自身の花を咲かせたらいい
の、それを神さま仏さまに見てもらえばいいのだ。
これは、坂村真民先生のお言葉です。
自らの指針とした一語はそのまま、人々に託したメッセージてもありました。
まだこうして親と過ごせる時間を頂いていることに感謝です。
私とかみさんの親と一緒に、80歳になりますが足腰が強くていまだに一緒に
旅行できることをすごく嬉しく思います。
京都の観光協会で御所の指定席を予約したのですが、両方の母は背が小さく、
2人とも終始立って葵祭の行列を見ていました。(それなら予約席いらなかっ
たな~と、たのしそうに見ている光景にうれし思いました。)
葵祭は、音がないんです。
お囃子とか、祭の掛け声とか一切なし。あるのは、馬の蹄の音と牛車の輪の音
のみ。解説をしていただくのですが、以前御所に拝観に来たとき御所を案内し
ていただいた方でした。80数歳とお聞きしましたが、立派に説明をされてい
ました。両親とも紆余曲折の人生でしたが、自分自身の花をきれいに咲かせて
います。
勝手に思うままに64 指針
小さい花でいいのだ。人にほめられるような大きな美しい花ではなく、だれ
からも足をとめて見られなくてもいい。本当の自分自身の花を咲かせたらいい
の、それを神さま仏さまに見てもらえばいいのだ。
これは、坂村真民先生のお言葉です。
自らの指針とした一語はそのまま、人々に託したメッセージてもありました。
まだこうして親と過ごせる時間を頂いていることに感謝です。
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