四苦八苦奮闘記

日常、アート、僕の奮闘劇、思うことなど。

非モテ

2009年11月30日 00時38分55秒 | Weblog
さっきテレビを見ていたら、『非モテ』の哲学みたいなこと言っていたんですけど。

それ、、、哲学じゃなくて、モテたくないんじゃなくて、人と深く関わるのが怖いだけじゃん。自分が可愛いだけじゃん。

可哀想に、その思考よりも面白い考え方をする人が周りにいなかったのね。


「恋愛至上主義が嫌」とか
「恋愛話に興味がなかったらダメみたいに見られたくない」とか
「恋愛以外にもっと素晴らしいもの沢山あるのに可哀想」とか
「深く入り込まないで、放っておいて欲しい」とか、、、


昔の硬派を気取った未成年の主張じゃあるまいし。
格好良い言葉とポーズによってるだけじゃん。青臭いにもほどがある。

恋愛至上主義は嫌だとか言っておきながら、そこに拘り続けてるのは影響は受け続けている証拠だし、モテたくないとか、興味ないとか、本当にそうで興味がないなら言う必要さえないじゃん。
本当に興味がないものは自分の世界には存在しないものとして扱えるでしょ。それに可哀想と思う必要が一体どこにある?

一緒にいることが嬉しくて、寂しくて、みたいな感情が本当に欠片も理解できないのは恋愛がどうこうと言うより、心が固まってるに近いだろうと思う。
恋愛じゃなくたって、友愛だって、慈愛だって、家族愛だって愛は愛だぜ?



うちの教え子も一人でいられないこととか、そのま逆に感情を表に出したがらない子とかいるけどさ。


そんなにガチガチに構えなくて良いんじゃないの?
何をそんなに怖がってるの? 外の広さを見てみたら?
自分でやってみないと良さも悪さも他人任せの知ったかぶりなだけだぞ?


と流石に言いたくなるのは僕がもうそういう立場だから?


制作をすることの喜びも、辛さも、
美味しいものを食べることの喜びも、ダイエットの苦労も、
成功までの苦難と成功の喜びも、失敗の挫折感も、
一人身の気楽さも、淋しさも、
二人で寄り添う喜びも、難しさも、

それら全てがその人の財産でしょーが。





と思った。
一人身の夜[m:47](マテコラ)