ある雑誌の「投稿記事」より抜粋
今年も10月下旬、広葉樹の紅葉を追いかけるように上高地バスターミナル周辺の「カラマツ」の林が見事に色付き、観光客の皆さんの賞賛をあびました。 針葉樹の中で唯一落葉してしまうこのカラマツ。「落葉松」と書かれる事でもその意味はよく理解できる事です。
上高地のみならず、ここ長野県の山を眺めるとこのカラマツが異様に多いのに気付くことでしょう。
紛れも無く、これは日本の戦後復興の時代、植林化計画の中で長野県が選定した木がカラマツであったからです。
貧しかった日本人が少しでも豊かな生活が出来るように・・・そのためにはそこそこの住居を作る 材木 が無くては。
国策として打ち出された計画に反対をする人などきっと居なかったことと思います。
さて、日本屈指の山岳観光リゾート地として知られる上高地。このバスターミナル及び小梨平周辺もその計画の中で、人の手によって植林されたものであることはご存知でしょうか。
当時、唯一の入山ルートである「徳本峠=とくごうとうげ」から入り、明神を経て河童橋周辺で 作小屋 を作り何人もの人々がその植林に携わったと考えられています。
今をさかのぼること大正時代。(1920年前後)おおよそ100年余前の出来事です。
時代が流れ、1934年(昭和9年)上高地一円が当時の国立公園法によるところの「中部山岳国立公園」に指定されて、この地域が環境省という国の管理下におかれることとなった。故に植林された木は一度も、枝払い・除伐・間伐されることも無く今に至ってしまった。もちろん現在に至るまで森林整備・伐採などという言葉を会議の席上に持ち出す人は居ないし論議になるはずも無かったであろう。せいぜい腐敗や風雪害による倒木などで、人や車の往来に支障がある場合のみ伐採されるのであろう。
さらに、時代は変わった。
唐突であるが「上高地バスターミナル周辺緑地化計画」というのはいかがであろうか。
先代達が日本復興を狙い、一世紀前に植林していただいたこの「カラマツ」を大いに使おうではないか。
こんなことを考えるのはたいそうな話だろうか。 そもそも使われる目的があっての植林だったはず。
まず、手始めにこのカラマツを伐採・販売することを考えなくてはならない。
木を伐採するからにはその使い道が無くてはらない。せっかく手間暇かけて、銭まで使って薪ストーブのたきつけにしてもよかろう。 しかし、今や化石燃料時代。その当時とは 暖 のとり方が違っている。カラマツを切って薪として用立てストーブで暖まろうという人は皆無であろう。
建築材としてはどうであろう?。もともとの植林目的がそうであるからこれはいちばん 理 にかなった使用法である。ところが現在では、建築に使われる材料は外材や新建材に変わりつつあり、カラマツなどは見向きもされない時代となってしまった。
けど、考えてみよう。幸いなことの一つに、「上高地」と言うブランド名がつけばこのカラマツでさえ高く取り引きされるに違いない。いろいろなものがそうである。そんなことがあるはずは無いと非難をされそうですが、まんざらそうとも言い切れないのではないだろうか。上高地のカラマツは立派なブランドとして世に出回っていたことをご存知でしょうか。
・・・・その2に続く