カメラを片手に

広島旅、厳島神社参拝

24.5℃と下がるもかなり湿気を感じ爽やかさのない「敬老の日」の朝、今にも
雨が降り出しそうで降らない天候だが、最高気温は14時過ぎ32.2℃にも。
      11時半、29.0℃、65%

NHKラジオ深夜便・今日の誕生日の花は「ゲンノショウコ・現之証拠」
フウロソウ科の多年草で道端など生える野草。
花は茎頂や枝先に2個ずつ付き紫の筋を持ち、紅紫色~淡紅紫色~白色、
径1~1.5 cm、西日本では紅紫色が多い。
      

江戸時代からドクダミ、センブリなどと共に三大民間薬の一つ、下痢、便秘に
用いるのは日本独特の使い方をする薬草で、煎じて飲めば「現の証拠(この通り
効く証拠)」が和名の由来とされる。

長く(半量)煎じると下痢止め,短いと緩下薬になり便秘にも応用される。
霜焼け、腫れ物に煎液を塗り、扁桃腺炎、口内炎、歯痛には煎液でうがいを。
冷え性,婦人病には浴湯料にするなど多くの利用法があるようだ。
母からは子供の頃イシャイラズとして飲まされた記憶がある。

流通名は「ゲンソウ・玄草」、多くの別名をもち、果実の形がロウソクに似て
いるため「ロウソクソウ」、種子が飛び散った後の形を神輿(ミコシ)に見立て
て「ミコシグサ」、葉の形がネコの足に似ているため「ネコアシ」、花と茎の
姿から「ウメズル・梅蔓」などと。

別名「玄草(ゲンソウ)」という名前で流通し、そのほか多くの別名をもちま
す。果実の形がロウソクに似ているため「ロウソクソウ」、種子が飛び散った
後の形を神輿に見立てて「ミコシグサ」、葉の形がネコの足に似ているため
「ネコアシ」、花と茎の姿から「ウメズル(梅蔓)」などはその一部です。 

花言葉は小さくても他に埋もれず姿を見せる事から「心の強さ」と。
        

広島旅は厳島神社参拝へ。
平成8年(1996年)12月にユネスコの世界文化遺産に登録され、初参拝です。
社伝では593年、当地の豪族・佐伯鞍職が社殿造営の神託を受け、勅許を得て
御笠浜に市杵島姫命を祀る社殿を創建したことが始まりとされ、厳島(宮島)の
語源は「神に斎く(いつく = 仕える)島」のように、古代から島そのものが神と
して信仰され、厳島中央の弥山(標高535m)山頂には巨石が連なり、山岳信仰の
対象でもあったようだ。
現在のような形になったのは平安期1146年、平清盛により現在の海上に立つ
大規模な社殿が整えられ、現在、本殿・拝殿・回廊・平舞台(日本三舞台)など
6棟が国宝に、14棟が重要文化財に指定されている。
なお平家の納めた平家納経等の国宝・重要文化財の美術工芸品55点を数える。

満潮の朝10時、一方通行の入り口は拝観料300円の支払いで混雑していたが、

干潮になった午後2時頃は待つことなく、反対側の手水を遣う。
場所が判らないのか?、手水を遣う人に合わず。
      

入口は切妻造り(なお出口は唐破風です)

平舞台を望む

 
客(まろうど)神社は本社同様に本殿・幣殿・拝殿・祓殿から成るが小さい。
祭神は天忍穂耳命、天穂日命、活津彦根命、天津彦根命、熊野櫲樟日命
廊下を挟み祓殿がある。自ら祓い参拝する。
      

回廊を進み、東回廊からみれば・・・
客神社祓殿と廻廊で囲まれたところを枡形といい、旧暦6月17日に行われる「管絃祭」で御座船や阿賀・江波の曳船がここで船を3回廻ります。


廻廊幅は約4m・長さ約260m・柱間約2.4m・一間に8枚の床板が敷かれる。
床板の隙間は、高潮時に床下から押し上げてくる海水の圧力を弱め、上がった海水を流す役目をします。

西回廊から祓殿そして東回廊を望む。

 
祓殿から本殿(寝殿造桧皮葺) にむけ参拝しました。
祭神は3柱で、天照大神の「宗像三女神」と総称され、海の神・交通運輸神・
財福の神・技芸の神として信仰されている。
 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、女神の弁才天と習合されていた
 田心姫命(たごりひめのみこと)
 湍津姫命(たぎつひめのみこと)
30柱の神様も相殿(あいどの)されている。
 
高舞台、平舞台そしてら大鳥居を望む。左右に門客(かどまろうど)神社がある

本殿に向かい狛犬と高燈篭、奥には右楽坊が

狛犬と高燈篭そして高舞台、その奥に東岸の塔岡にある末社豊国神社、本殿
(秀吉の朝鮮出兵で未完成)と五重塔(1407年建立、檜皮葺)がみえる。

本殿方向を見る

反対の海方向を見れば、火焼前から大鳥居が・・・

平舞台から能舞台と能楽屋が見える

西回廊へ入るところをまっすぐ進み大国神社、その奥へ向かうと
干上がっているのに清水が湧き、手鏡のように見えることから「鏡池」という
      

これは出口を出て撮った写真で鏡池と右に長橋(桃山時代)その先「大国神社
1571年建立の切妻造、檜皮葺です。右に本殿が半分見え、左に天神社がある。


西回廊を進み、

海側(左)に、真ん中は「能舞台」1680年で、左側に「能楽屋


山側に「天神社」弘治2年(1556年)の建立で、他の社殿群が朱塗であるのに
対し、本建物は素木造、入母屋造、檜皮葺です。


反橋」があり、西廻廊と南の陸地部を結ぶ弧形の橋で、擬宝珠に弘治3年
(1557年)の銘がある。

唐破風の出口に。
      借用

豊臣秀吉が建てた「千畳閣」や五重塔に行きたいのは山々ながら、もう足が!
弥山頂上へ上り下りして万歩計は20000歩越え、流石に疲れました。
15時発の高速船へと急ぎ、ホテルに戻り温泉へと。
入念に揉みほぐし、夕食そして明日へと備えました。

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