宮司は正月になると
高校生の時に覚えた
「ゆずり葉」の詩を思い出す。
『ゆずり葉』
(宮司が好きな詩)
何故いつまでもこの「ゆずりは」の詩を
忘れないのだろうか?不思議である。
昔は、神様にお供え「ゆずりは」が使用されたのです。
正月の「輪飾り」や
「お鏡餅」にも必ず
「ゆずり葉」が使われています。
江戸は、明治に譲り、明治は、大正に譲り、大正は昭和に譲り、昭和は平成に譲り・・・先祖は、祖父母に譲り・・・親は、子に譲り、子は、孫に譲る。
生きとし生けるもの全ては
、葉が出て、花が咲き、新緑になり、深緑になり
紅葉して枯葉となり、舞い落ちて、親の葉は、樹木の根元で子供たちのための肥料(こやし)となる。
『ゆずり葉』
こどもたちよ
これは ゆずり葉の木です。
このゆずり葉は
新しい葉ができると
入れ代わって
古い葉が
落ちてしまうのです。
こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉ができると
無造作に落ちる
、
新しい葉にいのちを譲って―。
こどもたちよ、
おまえたちは 何をほしがらないでも
すべてのものがおまえたちに
譲られるのです。
太陽のまわるかぎり
譲られるものは絶えません。
輝ける大都会も
そっくりおまえたちが
譲り受けるものです、
読みきれないほどの書物も。
みんなおまえたちの手に受け取るのです、
幸福なる こどもたちよ
おまえたちの手は
まだ小さいけれど―。
世のおとうさん おかあさんたちは
何一つ持っていかない。
みんなおまえたちに
譲っていくために
いのちあるものよいもの美しいものを
一生懸命に造っています。
今おまえたちは気がつかないけれど
ひとりでに命は伸びる。
鳥のように歌い花のように笑っている間に
気がついてきます。
そしたらこどもたちよ
もう一度ゆずり葉の木の下に立って
ゆずり葉を見る時がくるでしょう。
河井酔茗『ゆずり葉』(花鎮抄より)
日本の伝統を「繋ぐ」
「ゆずり葉」と「橙(だいだい)」は
「代々ゆずるしきたり」・・祖父母~父母~子供~孫たちに伝え残していく日本の伝統文化。
正月
鏡餅の干し柿の10個は
外側に二個づつで中に6個
だから・・・
「外はニコニコ 中むつまじく」
橙(だいだい)は「代々」続きますように、
ゆずり葉は、「ゆずって」行けるように・・・
昆布は「喜ぶ」
鏡餅といわれる理由は、昔の鏡が円形だったためで、人の魂(心臓)を模したことから丸餅になったなど、諸説いろいろあります。 また、大小2つ重ねるのは、月(陰)と日(陽)を表していて、福徳が重なって縁起がいい、めでたく年を重ねるという意味があるそうです。
日本の伝統文化の素晴らしさ。
世界に誇る日本のお正月は
すばらしさ!最高なのです。
この文化伝統を、
永久に『だいだい』
『ゆずりは』として譲って行こう!
正月の形・・・・『日本の誇り』
≪【年神様(としがみさま】≫
新年の神様。 「正月様」「歳徳神(としとくじん」ともいいます。 年の初めに1年の幸せをもたらすために降臨してくると考えられていました。
≪初日の出≫
その年の最初に昇って来る太陽を拝み、1年の幸運を祈るもの。 かつて、初日の出と共に年神様(としがみさま)が現れると信じられていたことに由来します。 特に、高い山頂で迎える太陽を「ご来光(ごらいこう)」といいます。 山頂近くの雲に映った自分の影が、光の輪を背にした仏像のように見えたためとか。 「ご来迎(らいこう)」との語呂合わせもあるようですね。
≪若水 ≫
元日の早朝にその年初めて汲み、神棚に供えたり、雑煮を煮たり、福茶をたてるのに用いる水。 この水を飲めば一年の邪気を払うとされています。 平安時代から宮中では立春の行事でしたが、後に元旦の行事になり、一般に浸透しました。 年頭最初の大事な行事で、若水を汲むのは年男の役目でしたが、西日本などでは主婦の役割としている地方も多いようです。 若水を汲むことを若水迎えといい、できるだけ遠方に汲みに行くのが良いとされ、途中で人にあっても口を利くのは厳禁でした。 水を汲む時は「黄金の水を汲みます」と唱えます。 現在では井戸から飲料水を汲むことはほとんどなくなりましたが、元日の夜明けに名水を汲みに行く方も多くおられるようです。 夜明けに名水を汲みに出掛けるのも大変ですね。 水道の蛇口にしめ飾りをかけておかれるといいのではないでしょうか。 新しい年を新たな気持ちで迎えるというけじめの意味が大きいと思いますから。
≪【福茶】≫
若水を沸かして入れたお茶のことで、邪気を払うとされています。 煎茶の中に梅干や結び昆布が入っています。 空也上人ゆかりの六波羅蜜寺では、正月三ヶ日大福茶がふるまわれ、飲めば一年の悪疫から逃れられるといい大勢の参詣者で賑わいます。
≪初詣≫
年の初めに神社仏閣にお参りして、1年の無事息災を祈ること。 大晦日の除夜の鐘を聞きながら家を出て、元旦にお参りすることを「二年参り」といいます。 昔は、一家の家長が大晦日の夜から神社に出掛けて、寝ないで新年を迎える習わしがあったそうです。 元々は地域の氏神を祀っている神社にお参りしていたようですが、やがてその年の恵方にあたる神社に出掛ける「恵方参り」になったそうです。 現在は恵方参りに限定せず、各地の神社にお参りするのが一般的になっていますね。 松の内(1月7日)までに参りましょう。
≪門松≫
新年を祝って、家の門口に飾ります。 元々は新年を迎える際に年神様が降りて来る時の目印として木を立てたのが始まりといわれています。 松が飾られるようになったのは平安時代からで、それまでは杉や椿、榊などが使われていたそうです。 松は神が宿る木と考えられていたため、めでたい木とされたのでしょう。 門前の左右一対並べるのが一般的。 玄関に向かって左の門松を雄松(おまつ)、右の方を雌松(めまつ)と呼びます。
本来、門松用の松は「松迎え」といって、家ごとに山へ採りに行っていました。
通常、12月13~28日か30日に飾ります。 29日は「苦立て」、31日は「一夜飾り」といって嫌います。 飾る期間は松の内までですが、地域によってまちまちです。
≪しめ飾り≫
門松と同様、正月に年神様を迎える準備として、玄関口や家の神棚に飾ります。 元々は、神社にしめ縄を張るのと同じく、自分の家が年神様を迎えるのにふさわしい神聖な場所であることを示すために、家の中にしめ縄を張ったのが始まりだといわれています。
しめ飾りは、しめ縄に裏白(うらじろ)、ゆずり葉、橙(だいだい)などをあしらって作ります。常緑の葉であるウラジロは「長寿」を、ユズリハは新芽が出てから古い葉が落ちることから「家系を絶やさない」という願いが込められているそうです。 橙は「家が代々(だいだい)栄える」として、縁起物として使われています。
≪鏡餅 ≫
お正月に大小の丸い餅を重ね、年神様へのお供えとして神前や床の間に飾ります。 正月に餅を食べる習わしは、中国で元旦に固い飴を食べる習慣にあやかって、宮中で「歯固め」の儀式として始まったそうです。 元々餅は、神様に捧げる神聖な食べ物として用いられていました。 室町時代になって、床の間のある書院造りが普及するようになり、正月に年神様に備える目的で、現在のような鏡餅が定着したといわれています。 鏡餅といわれる理由は、昔の鏡が円形だったためで、人の魂(心臓)を模したことから丸餅になったなど、諸説いろいろあります。 また、大小2つ重ねるのは、月(陰)と日(陽)を表していて、福徳が重なって縁起がいい、めでたく年を重ねるという意味があるそうです。
飾り方は、奉書紙か半紙を敷いた三宝(さんぽう)という食物を供える四角の台に裏白(うらじろ)とゆずり葉を敷き、昆布を置き、餅を重ね、橙を載せるのが一般的。
1月11日の鏡開きまで飾ります。
≪お屠蘇(おとそ)≫
おとそは日本酒と思われている方も多いようですが、元々は中国から伝わった薬酒の一種で、山根(さんしょう)、、桔梗(ききょう)、防風(ぼうふう)、肉桂(にっけい)、丁子(ちょうじ)、陳皮(ちんぴ)、大茴香(だいういきょう)などが調合されています。 中国では漢方薬を大晦日に井戸の中に吊るして、元旦になって引き上げ、酒に浸して作ったとか。 屠蘇には「鬼気を屠絶し人魂を蘇生させる」という意味があり「邪気を払い、不老長寿を願う」薬種として、新年になると年少者から順番に飲んだのだそうです。
≪おせち料理 ≫
【一の重】 祝い肴・口取り かまぼこ・きんとん・伊達巻など
【二の重】 焼き物 ブリの照り焼き・イカの松風焼きなど
【三の重】 煮物 レンコン・里芋・高野豆腐など
【与の重】 酢の物 紅白なます・酢レンコンなど
【五の重】 控えのもの
「おせち」は「御節供(おせちく)」の略。
元々は季節の変わり目の五節句(年始め・桃の節句・端午の節句・七夕・重陽の節句)に年神様に供える食べ物のこと。年に何回かある節句の中でも、特に正月が重要な節句ということから正月料理に限定していうようになりました。
現在、おせち料理は正月の三が日に食べますが、松の内まで人を招いて饗応することを「おせち」「おせち振舞」「椀飯(おうばん)」と呼びました。椀飯は鎌倉時代以降、武家の間で行われた饗応のスタイルで、年頭に目上の人を招いてもてなすことを「椀飯振舞(おうばんぶるまい)」といいました。
現在のようなおせち料理が民間に広まったのは江戸時代だそうです。
おせち料理は年神様に供える供物料理であると共に、家族の反映を願う縁起物の家庭料理でもあります。日持ちのする材料で作ってあるので、家族が食べる他に、お客様にも出せるように重箱に詰めるのが一般的。
正式には四段重。 ※五段重という説もあります。
一の重、二の重、三の重と呼びますが、4番目は「与の重」といい、忌み数字である「四」は使いません。
【紅白かまぼこ】
紅はめでたさと喜びを表わし、白は神聖を表わします。
【昆布】 「喜ぶ」に通じるため。
【海老】 ヒゲが伸び、腰がまがっている様を老人に見立て、長寿への願いを込めて。
【黒豆】 まめにこつこつ働くことができるように。
【数の子】 親、子、孫と子孫の繁栄を願って。
【田作り】 今年もいいお米が取れますようにとの願いを込めて。
【鯛】 「めでたい」の語呂合わせ。
【くわい】 芽が伸びていることから「芽が出るように」と願って。
【里芋】 里芋には小芋がたくさんつくので、子宝に恵まれるように。
【栗きんとん】 金団(きんとん)には財宝という意味があるため、豊かに暮らせるようにとの願いを込めて。
【ごぼう】 しっかり根を張って長生きすることを願って。
≪雑煮 ≫
元々雑煮は、年神様に供えた餅を神棚から下ろし、野菜や鶏肉などとで煮込んで作った料理で「雑煮餅」ともいいました。正月の食べ物ではなく、室町時代頃の儀礼的な酒宴などで出されたのが始まりだそうです。宴の始まりにいただく縁起物の料理だったので、それが一年の始まりにいただくものとして庶民の間にも伝えられていったようです。
雑煮は、地域によってそれぞれ特色があります。丸餅か角餅か。焼くか焼かないか。白味噌か・・・などなど本当に様々ですね。一般的には関東が角餅、関西が丸餅。 関西で丸餅を使うのは、年神様に備える鏡餅をかたどっているためといわれています。
≪お年玉 ≫
年神様に奉納された鏡餅を年少者に分け与えたのが始まりといわれています。
金品を贈るようになったのは室町時代からで、当時は扇や筆などを贈っていたようです。
お年玉は年少者や自分より地位の低い人に贈ります。
≪書き初め≫
年が明けて初めて毛筆で一年の抱負や目標をしたためるもの。一般的には2日に行います。
「吉書」とも呼ばれ、恵方に向かって、めでたい言葉や詩歌を書いたのが始まり。元々は宮中での儀式でしたが、やがて江戸時代の寺子屋や明治時代以降の学校で習字が必修となり、庶民の間にも広まるようになりました。
学校や地域の行事で書き初め大会を行うところがありますが、家庭で行うところは少なくなったようですね。私自身、習字を習っていた頃は書いていた記憶があるのですが、今は全く・・・(反省)。
≪初夢 ≫
一般的に、正月の2日の夜に見る夢のこと。元々中国から伝わったもの。夢を食うといわれる獏の絵を枕の下に入れて吉夢をみようとしたという故事にあやかったものだそうです。日本でも室町時代には、よい初夢が見られるように宝船の絵を枕の下に敷いたりしたそうですよ。「一富士、二鷹、三なすび」の夢を見ると縁起がいいとされたのは江戸時代になってから。
どうして元日の夜ではなく2日の夜なのでしょうか。昔は仕事始めや書き初めなど、年初めの行事が2日だったため、一年のスタートとして、2日に見る夢を重視したようです。
【一 富士、二 鷹、三 なすび】
これらは駿河の名物で、当時、天下を取った駿河出身の徳川家康にあやかりたいという庶民の願望だといわれています(他にも説はあるようですが)。さらに「四扇、五 煙草・・・」