粗碾き蕎麦の美味しさを求めて

地元箕輪町上古田産石臼碾き「信濃1号」が主体の蕎麦屋です。

「一人で勝手にやれば」語る会 20

2011-07-06 14:53:50 | 語る会
 忘れもしない今年の1月7日(金曜日)朝から寒い日でした。12時になってもお客さんが見えない、12時半、まだ誰も見えない。1時が過ぎた。嫌な予感が胸をよぎる。「今日は、坊主か」坊主って解ります。(業界用語でお客さんが誰も見えないこと)を云うんです。窓の外を恨めしく眺めます。車はいっぱい走ってる。看板も付いている。閉店まで後20分になってしまった。でかいソバ釜はグラグラ煮えている。寒いからストーブもエアコンもフル稼働です。天井の60ワットのクリプトン球も全て点けてある。この時間になると私たちもお腹がすいてくる。かといって今日は一度も蕎麦を茹でてないから、釜がきれいだ。自分たちの蕎麦を茹でて汚してしまうと後の片付けが大変だ。それに、もったいない。そうだ、今日はかき揚げ丼にしよう。と決めた。閉店15分前。一燈の玄関に人影。ドアーの鈴が鳴り、ご夫婦が入ってきてくれた。複雑な心境です。「あァ、よかった坊主じゃあない」という思いと「釜を洗うんだ」という思いと。
 
 そのお客さん、テーブルに着くなり「かけそばを、二つ下さい」とご注文され旦那さんはすぐトイレに行かれた。かけそばをお出しして、ボツボツそば湯を用意しようと思っていると、「お会計を」とのこと。「えらい早いなー」と思いました。帰られた後、その客席の片付けに行くと、「アリャー。ほとんど食べてない。」ご主人の方は半分ぐらい減っていたが、奥さんはほんの少し減っているだけ。考え込んでしまった。解らない。こういう時の私の言葉。「マー、イイか」。これを言うとだいたいのことが楽になります。許せるんです。許しの言葉「マー、イイか」。暖簾を下げ、女房がトイレをお掃除に行き帰ってきた。「さっきのお客さん、解った。トイレに弾んでいたんだわ。紙が無くなり予備の紙をセットしてあった。」なーんだ、そうか。どっかで食事をしてお腹イッパイだったんだ。ただ、トイレを借りたかったんだ。

 さて、ここからが哲学です。「まったくもう、トイレを借りるために入ってきたんだ」と、とるか、「お陰で釜を洗わなきゃァーだよ」なーんて、とるか。「あァよかった、お客さんが入ってくれて、ありがとうございます。」と、とるか。それとも、「何も感じないか」取り方によってえらい違いが出ます。お店に誰も来てくれないのと、一人でもお客さんが来てくれるのでは商売をやっている方ならよく解ると思います。えらい違いです。この日1月7日(金曜日)は何か、神様・仏様が一生懸命、一燈にお客様を入れてやろうと思い、あの時間帯に、あの多摩ナンバーの車を、あのお客さんを選んでトイレを催すようにしてくれたのだと思っています。本当にその日はそう思いました。ありがたいことです。


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