ツールド沖縄レースレポートVol.2です。
レース前日に「普久川ダムの登り」を試走した後は、レースのレジストレーションのために、ゴール地点となる大会のメイン会場に向かいます。ここでは、バイクメーカーやサイクリングサプリメントの会社等がブースを出していて、レース前にバイクのチェックをしてもらう人や、最後に補給食を確保しようとするう人でごった返していました。
私が立ち寄ったのは、日本が誇るホイールメーカーの"Gokiso"のブース。色々話を聞きましたが、やはりここのホイールは、本当に回転性能がすごいようですね。重量は少し重いみたいですが、周り始めた後の回転性能は断トツのようです。ちなみに、今年の210kmの優勝者も140kmの優勝者も、ホイールはGokisoだそうです。ただし、値段もびっくり。ホイールセットだけで、軽乗用車が帰る位の値段です。ちょっと手が出ないですね。
Gokisoの会長も自らブースでセールス。会長の説得力のあるセールストークで、ますますこのホイールが欲しくなってしまいました。
残念ながら、現在のところ、Gokisoホイールはアメリカでは手に入りません。アメリカでの販売が開始された暁には、ちょっと検討して見ますかね。もちろん、かあさんには内緒で。
一通り、ブースを見学した後は、レンタカーを名護漁港の駐車場に置き、レース参加者専用のバスで宿泊先に戻ります。レースのスタート地点とゴール地点が30kmも離れていると、このようにちょっと不便ですね。
ホテルに戻った後は、Nさん、Uさんと一緒に食事を取り、お風呂、サウナに入って、10時頃には就寝です。でも、時差ボケのある私は中々寝付けません。結局、4時間ほど寝たら、起床時間の4時半になり、目が覚めました。
朝食は食べ過ぎないようにしながらも、ある程度お腹一杯に食べました。そして、7時前にはホテルからスタート地点まで自走で向かいます。スタート地点に着くと、もう100台くらいの自転車が場所取りのために並べられていました。
いや~、どれもこれもすごい自転車ばかり。ざっと見た感じで100万円以上する自転車がゴロゴロしていました。さすが気合入っていますね。
ここから、レース開始までの待ちが長かった、2時間以上ありました。Nさんと雑談したり、軽量化をはかったりしているうちに、スタート地点に並んで下さいというアナウンス。400人のライダーが集まると、こんな感じです。ポジション的には、ちょうど真ん中くらいのスタート位置でしょうか。
210kmレース参加者を先に通過させて、9:20にレース開始。400人強のライダーが、2車線の道路を一杯に使って進みます。ペース的には相当速かったと思いますが、集団の中にいると、あまりそうは感じません。スピードが少し遅くなるたびに、みんな何かを叫びます。最初は、何と言っているのかよく分かりませんでした。何度か聞いているうちに、「ブレーキ!」と言っていることに気付きました。何せ、日本で集団走行するのは初めてなもんで。
10分ほど走った後、1回目の「普久川ダムの登り」に入ります。ここは、前日試走した箇所ですが、スピードが全然違います。Georgeさんに、「普久川ダムの登り」では必死で頑張って、何とか先頭集団に食いついて行った方がいいとアドバイスを受けていたのですが、そう簡単ではありません。多分、第3集団くらいで登っていたのではないでしょうか。ここで、早くも悪い兆候が表れて来ました。心拍数がすでに170bpmくらいになっていたのです。これは、私にとっては比較的高い数値です。レースの序盤でこのような心拍数になるのは、良くない兆候です。
20分少し走り、登りを終え、その後は比較的短い下りです。下り終わった後は、ひたすらアップ、ダウンの繰り返しです。そして、次の「奥の登り」を通過した後は、少しの間平坦な道が続きます。この時点では、比較的調子が良く、ローテーションで順番が来ると、ちゃんと先頭も引きました。今から考えると、この時点ではまだ第3グループにいたと思います。それほど苦しくもなく、順調に2回目の「普久川ダムの登り」に入ります。でも、後から考えると、この時点でかなり脚が疲れていたのではないかと思います。
そして登りの2/3くらいの箇所に差しかかった頃、私の脚に悪い兆候が表れます。あの「攣りそうな」感じです。この兆候が出てから、脚が攣るまではあっと言う間でした。そして、攣った方の脚をかばってペダリングしていると、反対側の脚が攣り始めました。もう、この時点で、完全に集団から脱落です。何とかだまし、だまし、2回目の「普久川ダムの登り」を終えます。
実は、脚攣り対策として、前日から脚攣り防止のサプリメントは2種類飲んでいたし、脚が攣りそうになった後は、脚攣り防止スプレーを口にシュッ、シュッとやります。でも、これらの対策は、ほとんど効果がありませんでした。もともと脚は攣りやすい体質ですが、こんなに早く脚が攣るとは全く予想していませんでした。
この登りの後も、休める箇所はなかなかありません。ほとんど、短いアップ、ダウンの繰り返しです。一度攣ってしまった脚は、このようなコースで回復しようがありません。登りにさしかかるたびに、脚が攣り、ひどい時は両足とも攣りました。そして、下りの途中でさえ、脚が攣ってしまい、ペダルが回せなくなります。
この頃から、「完走出来ないかも」ということが頭をよぎり始めました。この後も、アップダウンの繰り返し、後ろから来る列車に飛び乗って、一緒に行こうとしますが、少し頑張ると足が攣ってしまいます。この状態が1時間くらい続き、平均速度が17mph台の前半まで落ちてしまいました。この時点で、完走は無理だとということを悟りました。何故なら、例年、一番遅い完走者の平均速度は17mphの前半だということが分かっていたからです。
最後から3つ目のチェックポイントを通過して少しすると、道路の右側をサポート車両が通過して行きます。「周辺の皆様、ご協力有難うございました。これで車両規制は終了します。」とアナウンスしながら。この時の悔しい気持ちは、何とも言葉に言い表せられません。「これまでのトレーニングは何だったんだ」、「高いお金を払って、はるばるアメリカから来たのに」と色んな事が頭をよぎります。
「ちくしょう、せっかく来たんだから、とにかく最後までコースを走り切ろう」と心に決めます。最後から2つ目のチェックポイントで、大きな赤旗を振られ、止まるように促されます。係りの人に、「ゴールまで自走で帰っていいですか?」と聞くと、「タイミングチップとゼッケンを外したら、自走で帰ってもいいですよ」と言われたので、迷わず自走で帰ることにしました。自走で帰らなかったら、自転車はトラックに回収され、バスでラクラク帰れたのですが、あえて自走で帰ることにしました。
自走で帰る人が結構居るかと思っていましたが、実際にはほとんどいませんでした。結局、ゴールまでほぼ一人旅。この30kmの一人旅はものすごく長く感じました。
今回、何故ここまで散々な結果になったのかを色々考えました。直前の3週間は毎週、実際のレースと同じくらいの距離をレースペースで休みなしで走る練習をしました。ただし、獲得標高が2500mになるコースはこの辺りにはなかったので、その2/3の獲得標高でのトレーニングでしたが。この直前トレーニングでは、非常に調子が良く、ツールド沖縄での完走は大丈夫だろうと、かなり自信を持っていました。
でも、ペース的には、やはりこのレースのペースは速かった。この速いペースで、長い登りをこなし、その後も延々と続くアップダウンに対処出来るだけの脚力が無かったということでしょう。脚力が無いから、脚攣りが発生してしまうのだと思います。簡単に言えば、私に「底力」がなかったことが1番の原因だと思います。今思っているのは、トレーニング方法を根本的に変えないと、このような過酷なレースを完走することは難しいと思います。今後は、もっと速いペースでの長距離トレーニングを導入して、根本的な脚力を強化して行きたいと思います。
レース後の沖縄でのお楽しみは、次回に報告したいと思います。
Haruも、頑張って留守番していたのに、ご主人様が結果を残せなくて、さぞかしがっかりしていると思います、っていうわけはないか。
では。
レース前日に「普久川ダムの登り」を試走した後は、レースのレジストレーションのために、ゴール地点となる大会のメイン会場に向かいます。ここでは、バイクメーカーやサイクリングサプリメントの会社等がブースを出していて、レース前にバイクのチェックをしてもらう人や、最後に補給食を確保しようとするう人でごった返していました。
私が立ち寄ったのは、日本が誇るホイールメーカーの"Gokiso"のブース。色々話を聞きましたが、やはりここのホイールは、本当に回転性能がすごいようですね。重量は少し重いみたいですが、周り始めた後の回転性能は断トツのようです。ちなみに、今年の210kmの優勝者も140kmの優勝者も、ホイールはGokisoだそうです。ただし、値段もびっくり。ホイールセットだけで、軽乗用車が帰る位の値段です。ちょっと手が出ないですね。
Gokisoの会長も自らブースでセールス。会長の説得力のあるセールストークで、ますますこのホイールが欲しくなってしまいました。
残念ながら、現在のところ、Gokisoホイールはアメリカでは手に入りません。アメリカでの販売が開始された暁には、ちょっと検討して見ますかね。もちろん、かあさんには内緒で。
一通り、ブースを見学した後は、レンタカーを名護漁港の駐車場に置き、レース参加者専用のバスで宿泊先に戻ります。レースのスタート地点とゴール地点が30kmも離れていると、このようにちょっと不便ですね。
ホテルに戻った後は、Nさん、Uさんと一緒に食事を取り、お風呂、サウナに入って、10時頃には就寝です。でも、時差ボケのある私は中々寝付けません。結局、4時間ほど寝たら、起床時間の4時半になり、目が覚めました。
朝食は食べ過ぎないようにしながらも、ある程度お腹一杯に食べました。そして、7時前にはホテルからスタート地点まで自走で向かいます。スタート地点に着くと、もう100台くらいの自転車が場所取りのために並べられていました。
いや~、どれもこれもすごい自転車ばかり。ざっと見た感じで100万円以上する自転車がゴロゴロしていました。さすが気合入っていますね。
ここから、レース開始までの待ちが長かった、2時間以上ありました。Nさんと雑談したり、軽量化をはかったりしているうちに、スタート地点に並んで下さいというアナウンス。400人のライダーが集まると、こんな感じです。ポジション的には、ちょうど真ん中くらいのスタート位置でしょうか。
210kmレース参加者を先に通過させて、9:20にレース開始。400人強のライダーが、2車線の道路を一杯に使って進みます。ペース的には相当速かったと思いますが、集団の中にいると、あまりそうは感じません。スピードが少し遅くなるたびに、みんな何かを叫びます。最初は、何と言っているのかよく分かりませんでした。何度か聞いているうちに、「ブレーキ!」と言っていることに気付きました。何せ、日本で集団走行するのは初めてなもんで。
10分ほど走った後、1回目の「普久川ダムの登り」に入ります。ここは、前日試走した箇所ですが、スピードが全然違います。Georgeさんに、「普久川ダムの登り」では必死で頑張って、何とか先頭集団に食いついて行った方がいいとアドバイスを受けていたのですが、そう簡単ではありません。多分、第3集団くらいで登っていたのではないでしょうか。ここで、早くも悪い兆候が表れて来ました。心拍数がすでに170bpmくらいになっていたのです。これは、私にとっては比較的高い数値です。レースの序盤でこのような心拍数になるのは、良くない兆候です。
20分少し走り、登りを終え、その後は比較的短い下りです。下り終わった後は、ひたすらアップ、ダウンの繰り返しです。そして、次の「奥の登り」を通過した後は、少しの間平坦な道が続きます。この時点では、比較的調子が良く、ローテーションで順番が来ると、ちゃんと先頭も引きました。今から考えると、この時点ではまだ第3グループにいたと思います。それほど苦しくもなく、順調に2回目の「普久川ダムの登り」に入ります。でも、後から考えると、この時点でかなり脚が疲れていたのではないかと思います。
そして登りの2/3くらいの箇所に差しかかった頃、私の脚に悪い兆候が表れます。あの「攣りそうな」感じです。この兆候が出てから、脚が攣るまではあっと言う間でした。そして、攣った方の脚をかばってペダリングしていると、反対側の脚が攣り始めました。もう、この時点で、完全に集団から脱落です。何とかだまし、だまし、2回目の「普久川ダムの登り」を終えます。
実は、脚攣り対策として、前日から脚攣り防止のサプリメントは2種類飲んでいたし、脚が攣りそうになった後は、脚攣り防止スプレーを口にシュッ、シュッとやります。でも、これらの対策は、ほとんど効果がありませんでした。もともと脚は攣りやすい体質ですが、こんなに早く脚が攣るとは全く予想していませんでした。
この登りの後も、休める箇所はなかなかありません。ほとんど、短いアップ、ダウンの繰り返しです。一度攣ってしまった脚は、このようなコースで回復しようがありません。登りにさしかかるたびに、脚が攣り、ひどい時は両足とも攣りました。そして、下りの途中でさえ、脚が攣ってしまい、ペダルが回せなくなります。
この頃から、「完走出来ないかも」ということが頭をよぎり始めました。この後も、アップダウンの繰り返し、後ろから来る列車に飛び乗って、一緒に行こうとしますが、少し頑張ると足が攣ってしまいます。この状態が1時間くらい続き、平均速度が17mph台の前半まで落ちてしまいました。この時点で、完走は無理だとということを悟りました。何故なら、例年、一番遅い完走者の平均速度は17mphの前半だということが分かっていたからです。
最後から3つ目のチェックポイントを通過して少しすると、道路の右側をサポート車両が通過して行きます。「周辺の皆様、ご協力有難うございました。これで車両規制は終了します。」とアナウンスしながら。この時の悔しい気持ちは、何とも言葉に言い表せられません。「これまでのトレーニングは何だったんだ」、「高いお金を払って、はるばるアメリカから来たのに」と色んな事が頭をよぎります。
「ちくしょう、せっかく来たんだから、とにかく最後までコースを走り切ろう」と心に決めます。最後から2つ目のチェックポイントで、大きな赤旗を振られ、止まるように促されます。係りの人に、「ゴールまで自走で帰っていいですか?」と聞くと、「タイミングチップとゼッケンを外したら、自走で帰ってもいいですよ」と言われたので、迷わず自走で帰ることにしました。自走で帰らなかったら、自転車はトラックに回収され、バスでラクラク帰れたのですが、あえて自走で帰ることにしました。
自走で帰る人が結構居るかと思っていましたが、実際にはほとんどいませんでした。結局、ゴールまでほぼ一人旅。この30kmの一人旅はものすごく長く感じました。
今回、何故ここまで散々な結果になったのかを色々考えました。直前の3週間は毎週、実際のレースと同じくらいの距離をレースペースで休みなしで走る練習をしました。ただし、獲得標高が2500mになるコースはこの辺りにはなかったので、その2/3の獲得標高でのトレーニングでしたが。この直前トレーニングでは、非常に調子が良く、ツールド沖縄での完走は大丈夫だろうと、かなり自信を持っていました。
でも、ペース的には、やはりこのレースのペースは速かった。この速いペースで、長い登りをこなし、その後も延々と続くアップダウンに対処出来るだけの脚力が無かったということでしょう。脚力が無いから、脚攣りが発生してしまうのだと思います。簡単に言えば、私に「底力」がなかったことが1番の原因だと思います。今思っているのは、トレーニング方法を根本的に変えないと、このような過酷なレースを完走することは難しいと思います。今後は、もっと速いペースでの長距離トレーニングを導入して、根本的な脚力を強化して行きたいと思います。
レース後の沖縄でのお楽しみは、次回に報告したいと思います。
Haruも、頑張って留守番していたのに、ご主人様が結果を残せなくて、さぞかしがっかりしていると思います、っていうわけはないか。
では。