ほぼ1ヵ月ぶりの投稿となります。実は3週間程前に母が急遽し、先週まで2週間日本へ帰国していました。
8月末の早朝、日本に居る妹からパニック状態で電話があり、「お母さんが倒れて意識不明状態で救急車で運ばれた」と。そして、45分後くらいに「ダメだった」と再び電話がありました。この時はショックと言うより、「とにかく早く日本へ帰らなくては...」と大急ぎでチケットを手配し、荷物を詰めて大阪行きの飛行機に飛び乗りました。そして、電話をもらってから24時間以内に大阪の実家に辿り着きました。2日後にはお通夜、3日後にはお葬式と、信じられない程のスピードで物事が進みました。
あまり自分の希望を口に出すことなどない母でしたが、生前に1つだけ私に頼んでいたことがありました。それは、「私に何かがあった時は、家族みんなで日本へ帰ってきて欲しい」ということでした。ということで、うちの息子二人もお葬式に間に合うように帰国して、お葬式に参列しました。母も喜んでいてくれたのではないかと思います。
実は、私は今日から10日後に日本へ帰国する予定でした。後から聞いた話では、母は私の帰国を心待ちにしていたようです。とにかく、母が亡くなる前にもう一度会っておきたかったというのが今一番の思いです。「真夏は暑いから、ちょっと涼しくなってから帰るわ」と言ったことを本当に後悔しています。でも、これだけはどうしようもないですね。
振り返ってみると、母は私を本当に自由に育ててくれたと思います。私は高校生の時すでに門限などなく、他人に迷惑がかからない限り、何をやっていても文句を言われませんでした。中学から高校にかけて、私は真剣に「ミュージシャンになりたい! プロのギタリストになりたい!」と思っていました(今から振り返ると笑ってしまいますが...)。そんな私にも、「まあ、ほんまにそう思うんやったら、頑張ってみたら」と言ってくれたのを思い出します。もしも、うちの息子がそんなことを言い出したら、「そんなの無理だから、止めておけ!」と私は言ってしまうと思います。
大学に入って1人暮らしを始めてからも、母が私の住んでいたアパートを訪れたのは、入居の時と最後の引っ越しの時だけです。もっとも、引越しの時は、「ごめん。引っ越しが間に合いそうにないので、助けて!」と私が頼んだから来てくれただけです。今から考えると、母は多分私がどんな生活をしているのか気になっていたと思います。でも、あえて私を放っておいてくれたのではないかと思います。
大学を卒業した後は、1年に1~2回くらいしか会う機会がありませんでしたが、帰省、帰国した時は本当に私に良くしてくれました。私の人生では、母と離れて暮らしていた時間の方が、一緒に暮らしていた時間より遥かに長いのですが、何故かそんな感じがしません。母はいつも私のそばにいてくれたような気がします。親子ってそんなものなんでしょうかね。
母の死は私にとっては、とてもとても悲しい出来事でしたが、母は素晴らしい人生を送れたのではないかと思います。母は83歳でしたが、おばあちゃんと言う感じではなく、何とトヨタのハチロクを乗り回し、ハツラツとした生活を送っていました。まあ近所では有名だったようです。年老いるのを嫌がっていた母にとっては、若いまま天国に行けたので本望ではなかったでしょうか。今、母に言いたい言葉は、「母さん、本当に有難う」です。本当にそれに尽きます。
さて、今回の日本への帰国で、自転車からは17日間離れていました。先週の木曜日から再び乗り始めました。頭の中がもやもやしている時って、本当に自転車に乗ることで気晴らしが出来ます。木曜日は20マイル、金曜日は50マイルと徐々に距離を増やして行きました。金曜日のグループライドでは、特にグループから遅れることなく乗れたので、17日間のブランクの影響はほとんどないかなと思っていました。そして、土曜日。この日も60マイル少しまでは、何の問題もなく乗れました。ところが、最後の登りにさしかかったところで、脚が急に動かなくなり、全くパワーが出せなくなりました。周りのライダーから、「どうしたの?」と言われる始末です。やっぱり、17日間のブランクの影響はそれなりにあったようです。でも、今はかなり脚が戻って来た気がします。あと2~3回乗れば帰国前の状態に戻りそうです。
さて、うちのHaru子。我々が留守にしていた時は、さっちゃん、ひなちゃんのお母さんがHaruの面倒を見て下さいました。本当に、感謝、感謝です。
私が2週間ぶりに帰って来た時は、ものすごく喜んで、何と「うれしょん」をしてしまいました。こういう時に、私をとってもハッピーにしてくれるHaruでした。
ちょっとブランクがありましたが、またこれからもぼちぼちブログを書いて行きたいと思います。母はこのブログをとても楽しみにして読んでくれていたようです。どこかで秘かに読んでくれていないかなぁ...
では。
8月末の早朝、日本に居る妹からパニック状態で電話があり、「お母さんが倒れて意識不明状態で救急車で運ばれた」と。そして、45分後くらいに「ダメだった」と再び電話がありました。この時はショックと言うより、「とにかく早く日本へ帰らなくては...」と大急ぎでチケットを手配し、荷物を詰めて大阪行きの飛行機に飛び乗りました。そして、電話をもらってから24時間以内に大阪の実家に辿り着きました。2日後にはお通夜、3日後にはお葬式と、信じられない程のスピードで物事が進みました。
あまり自分の希望を口に出すことなどない母でしたが、生前に1つだけ私に頼んでいたことがありました。それは、「私に何かがあった時は、家族みんなで日本へ帰ってきて欲しい」ということでした。ということで、うちの息子二人もお葬式に間に合うように帰国して、お葬式に参列しました。母も喜んでいてくれたのではないかと思います。
実は、私は今日から10日後に日本へ帰国する予定でした。後から聞いた話では、母は私の帰国を心待ちにしていたようです。とにかく、母が亡くなる前にもう一度会っておきたかったというのが今一番の思いです。「真夏は暑いから、ちょっと涼しくなってから帰るわ」と言ったことを本当に後悔しています。でも、これだけはどうしようもないですね。
振り返ってみると、母は私を本当に自由に育ててくれたと思います。私は高校生の時すでに門限などなく、他人に迷惑がかからない限り、何をやっていても文句を言われませんでした。中学から高校にかけて、私は真剣に「ミュージシャンになりたい! プロのギタリストになりたい!」と思っていました(今から振り返ると笑ってしまいますが...)。そんな私にも、「まあ、ほんまにそう思うんやったら、頑張ってみたら」と言ってくれたのを思い出します。もしも、うちの息子がそんなことを言い出したら、「そんなの無理だから、止めておけ!」と私は言ってしまうと思います。
大学に入って1人暮らしを始めてからも、母が私の住んでいたアパートを訪れたのは、入居の時と最後の引っ越しの時だけです。もっとも、引越しの時は、「ごめん。引っ越しが間に合いそうにないので、助けて!」と私が頼んだから来てくれただけです。今から考えると、母は多分私がどんな生活をしているのか気になっていたと思います。でも、あえて私を放っておいてくれたのではないかと思います。
大学を卒業した後は、1年に1~2回くらいしか会う機会がありませんでしたが、帰省、帰国した時は本当に私に良くしてくれました。私の人生では、母と離れて暮らしていた時間の方が、一緒に暮らしていた時間より遥かに長いのですが、何故かそんな感じがしません。母はいつも私のそばにいてくれたような気がします。親子ってそんなものなんでしょうかね。
母の死は私にとっては、とてもとても悲しい出来事でしたが、母は素晴らしい人生を送れたのではないかと思います。母は83歳でしたが、おばあちゃんと言う感じではなく、何とトヨタのハチロクを乗り回し、ハツラツとした生活を送っていました。まあ近所では有名だったようです。年老いるのを嫌がっていた母にとっては、若いまま天国に行けたので本望ではなかったでしょうか。今、母に言いたい言葉は、「母さん、本当に有難う」です。本当にそれに尽きます。
さて、今回の日本への帰国で、自転車からは17日間離れていました。先週の木曜日から再び乗り始めました。頭の中がもやもやしている時って、本当に自転車に乗ることで気晴らしが出来ます。木曜日は20マイル、金曜日は50マイルと徐々に距離を増やして行きました。金曜日のグループライドでは、特にグループから遅れることなく乗れたので、17日間のブランクの影響はほとんどないかなと思っていました。そして、土曜日。この日も60マイル少しまでは、何の問題もなく乗れました。ところが、最後の登りにさしかかったところで、脚が急に動かなくなり、全くパワーが出せなくなりました。周りのライダーから、「どうしたの?」と言われる始末です。やっぱり、17日間のブランクの影響はそれなりにあったようです。でも、今はかなり脚が戻って来た気がします。あと2~3回乗れば帰国前の状態に戻りそうです。
さて、うちのHaru子。我々が留守にしていた時は、さっちゃん、ひなちゃんのお母さんがHaruの面倒を見て下さいました。本当に、感謝、感謝です。
私が2週間ぶりに帰って来た時は、ものすごく喜んで、何と「うれしょん」をしてしまいました。こういう時に、私をとってもハッピーにしてくれるHaruでした。
ちょっとブランクがありましたが、またこれからもぼちぼちブログを書いて行きたいと思います。母はこのブログをとても楽しみにして読んでくれていたようです。どこかで秘かに読んでくれていないかなぁ...
では。
お母様のご臨終に間に合わなかったとのこと、お悔やみ申し上げます。私も昨年の事を思い出し、もう少し親孝行しておけばと思います。
完全自転車復帰されているようですが、お疲れがでませんぬよう、、、