ペットボトルの緑茶でお馴染みの『綾鷹』のTVCM[繊細なバランス]編をよ~くみると、
京都に数ある美しい石庭の中でも有名な東福寺境内の石庭で撮影されたようです。
いざ、自分達が足を運んだ場所がテレビ画面に映ると親しみが湧く今日この頃
夏の京都旅行記は本日より最終日の工程をお届けします。
▲これにてチェックアウト...ホテル近鉄京都客室から向かいの「都ホテル」を臨む
二日目同様、最終日も早起きして“京都の朝活”。
京都駅前の観光案内所で便利でお得な“一日乗車カード”を購入し、
市バスに乗車して[清水道(もしくは五条坂)]で下車。
(市内の交通渋滞は日常茶飯事と聞いていましたが、朝活だったらなんのそのw)
「清水の舞台」としても広く知られるお馴染みの観光スポット、『清水寺』に足を運びました
(京都といえば真っ先に思い浮かぶ方が多いと思います)
▲「右 清水ちかみち」とあるのに左側に進みましたorz
▲清水寺に至る[清水坂]と五条坂が合流すると土産物屋が立ち並びます
しかしながら、清水寺拝観までの道のりは、そう容易いわけではなく
まるで修行僧のように約1kmの坂道をひたすら昇っていくのです...
(清水寺と抱き合わせて周囲の観光も立ち寄るプランがオススメです)
▲仁王門:重要文化財
坂を上りきったところで迎えてくれる正門は室町時代再建当時の特徴を醸し出す楼門「仁王門」。
応仁の乱(1467~1477年)によって焼失しましたが、15世紀末に再建され、2003年(平成15年)に解体修理。
入母屋造りに檜皮葺(ひわだぶき)、鮮やかな丹塗り故に「赤門」とも呼ばれています。
▲三重塔:重要文化財
すぐ脇の西門を横目に絢爛豪華な建築美を見せている三重塔は
平安時代初期847年に創建され、1631年(寛永9年)に再建。
現在の塔は古様式に則って1987年(昭和62年)に解体修理したもので、
総丹塗りとともに、桃山様式を示す極彩色文様を復元しているそうです。
(同じ敷地内に様式が異なる建築が立ち並ぶのも面白いですね)
高さ30メートルを超えるこちらの三重塔は日本最大級の高さで、
清水寺だけでなく京都東山エリアのシンボリックな塔としてポスターや映像宣伝ではお馴染みかと。
西門・三重塔とあわせれば、絶好のシャッタースポットでしょうか、
我が家が観終わった頃にすれ違う団体観光客は皆、撮影に勤しんでいました。
▲残念ながら轟門は解体工事中でした
両脇に随求堂と経堂、そして開山堂と次いで轟門を回避して朝倉堂をすり抜けて本堂へ...
ここまで先客は4~5組程度と朝活の本性発揮といったところ。
(通常拝観の開門は朝6時から)
▲平成20年に修復された出世大黒天
清水寺の本堂に入ると...ニコニコ顔で参拝者を迎えてくれるのが出世大黒天像。
大きな黒頭巾と左肩には宝物袋、右手に打出の小槌を持ち、米俵を踏む姿は
中世以降に定着した大黒さんのスタイルそのもの。
完成度の高い、何とも言えない“半笑い”ですね(笑)
▲広さ約190㎡の桧(ヒノキ)舞台は斜め下に迫り出すようで怖いくらい
清水寺の創建は“平安京”遷都よりも古く、
延鎮上人(えんちんしょうにん)が778年(宝亀9年)に開山されたと伝えられています。
▲ここからの眺めは優美です
坂を上ってきたように、京都東山の音羽山(=山号)の中腹に建つ北法相宗(=宗派)の寺院で、
南都=奈良に対して北の京都に立地するという意味があるそうです。
▲1633年(寛永10年)に再建された本堂は正面36メートル強、側面約30メートル、棟高18メートルの大堂
▲堂内は巨大な丸柱の列によって外陣(礼堂)と内陣、内々陣の三つに分かれています
▲優美な曲線を見せる寄棟造り、檜皮葺の屋根や軒下の蔀戸など平安時代の宮殿や貴族の邸宅の面影を伝える本堂
“清水の舞台から飛び降りる”の語源となった本堂の舞台。
崖下からの高さは18mあり、舞台からは京都市内が一望できます。
貴族や武士といった限られた階級だけでなく、庶民にも開かれたお寺として
親しまれたきた清水寺には当時から多くの人々が足を運んでいたのでしょうか。
緑深い美しい自然に囲まれているだけに、坂道を上るのも一苦労ですが、いい運動ですね
▲向かって左から[学問成就の水][恋愛成就の水][延命長寿の水]とされています
清水寺という寺名は音羽山中から今尚途切れることなく湧き出る
“音羽の瀧(おとわのたき)”に流れる霊泉が由来とのこと。
コンコンと流れ出る清水は古来「黄金水」「延命水」と呼ばれる“清めの水”として尊ばれ、
「全ての人を救う」観音さまの御利益と合わせて古来より無病息災・立身出世・財福・良縁・子授けにも
御利益があるとされ「清水の観音さん」の名で全国に広く知られています。
三筋に分かれた瀧それぞれに御利益が異なるのも不思議ですね。
(明らかに間違って飲んでいる人には教えてあげて下さい:笑)
清水の舞台も然ることながら、それ以外にも見所がたくさんある清水寺ですが...
その敷地面積たるや130,000㎡と広大なので、割り切って舞台向かい子安堂に向かいました
▲子安塔は聖武天皇、光明皇后の祈願所と伝えられていますが、創建時期は不明
子安堂は明治時代の終わりまで仁王門の左手前に建っていましたが、
本堂の南に位置する錦雲渓(きんうんけい)を隔てたこちらの丘の上に移築されました。
高さ約15m、檜皮葺の三重塔の内部には子安観音(千手観音)をお祀りし、
その名の如く“安産”に大きな信仰を集めてきました。
2013年(平成25年)に修復が完了し、建立当時の鮮やかな朱塗りの塔が蘇りました。
ここから西門・三重塔・経堂・開山堂・轟門・朝倉堂・回廊・本堂までが
ズラリと並ぶ見事な景観を臨むことができます。
ここもまた絶景ポイントですね。
▲本堂脇の階段を下って、そろそろ見納めポイント
▲下からの眺めると見事な構造美w
清水寺は錦雲渓という急な崖を切り崩し、最長約12メートルの巨大な欅の柱を並べた
「懸造り(かけづくり)」という手法で、釘を一本も使わずに組み上げたという木造建築。
前述のように本堂から迫り出した“舞台”は4階建てのビルの高さに相当し、
本堂含めてこの構造体で支えているのです。
“列柱好き”としては下から眺めるこのアングルも大好物ですね(笑)
【お土産紹介 その7】
▲清水寺には20種類以上もの御守があありますが...
無病息災や健康長寿の御守は数あれど、これほどダイレクトに症状を謳った御守は初めて。
頭痛持ちの私としては思わず手に取ってみました。
(多くは望みませんがね:笑)
100円という安さがまた魅力的です
(つづく)
京都に数ある美しい石庭の中でも有名な東福寺境内の石庭で撮影されたようです。
いざ、自分達が足を運んだ場所がテレビ画面に映ると親しみが湧く今日この頃
夏の京都旅行記は本日より最終日の工程をお届けします。
▲これにてチェックアウト...ホテル近鉄京都客室から向かいの「都ホテル」を臨む
二日目同様、最終日も早起きして“京都の朝活”。
京都駅前の観光案内所で便利でお得な“一日乗車カード”を購入し、
市バスに乗車して[清水道(もしくは五条坂)]で下車。
(市内の交通渋滞は日常茶飯事と聞いていましたが、朝活だったらなんのそのw)
「清水の舞台」としても広く知られるお馴染みの観光スポット、『清水寺』に足を運びました
(京都といえば真っ先に思い浮かぶ方が多いと思います)
▲「右 清水ちかみち」とあるのに左側に進みましたorz
▲清水寺に至る[清水坂]と五条坂が合流すると土産物屋が立ち並びます
しかしながら、清水寺拝観までの道のりは、そう容易いわけではなく
まるで修行僧のように約1kmの坂道をひたすら昇っていくのです...
(清水寺と抱き合わせて周囲の観光も立ち寄るプランがオススメです)
▲仁王門:重要文化財
坂を上りきったところで迎えてくれる正門は室町時代再建当時の特徴を醸し出す楼門「仁王門」。
応仁の乱(1467~1477年)によって焼失しましたが、15世紀末に再建され、2003年(平成15年)に解体修理。
入母屋造りに檜皮葺(ひわだぶき)、鮮やかな丹塗り故に「赤門」とも呼ばれています。
▲三重塔:重要文化財
すぐ脇の西門を横目に絢爛豪華な建築美を見せている三重塔は
平安時代初期847年に創建され、1631年(寛永9年)に再建。
現在の塔は古様式に則って1987年(昭和62年)に解体修理したもので、
総丹塗りとともに、桃山様式を示す極彩色文様を復元しているそうです。
(同じ敷地内に様式が異なる建築が立ち並ぶのも面白いですね)
高さ30メートルを超えるこちらの三重塔は日本最大級の高さで、
清水寺だけでなく京都東山エリアのシンボリックな塔としてポスターや映像宣伝ではお馴染みかと。
西門・三重塔とあわせれば、絶好のシャッタースポットでしょうか、
我が家が観終わった頃にすれ違う団体観光客は皆、撮影に勤しんでいました。
▲残念ながら轟門は解体工事中でした
両脇に随求堂と経堂、そして開山堂と次いで轟門を回避して朝倉堂をすり抜けて本堂へ...
ここまで先客は4~5組程度と朝活の本性発揮といったところ。
(通常拝観の開門は朝6時から)
▲平成20年に修復された出世大黒天
清水寺の本堂に入ると...ニコニコ顔で参拝者を迎えてくれるのが出世大黒天像。
大きな黒頭巾と左肩には宝物袋、右手に打出の小槌を持ち、米俵を踏む姿は
中世以降に定着した大黒さんのスタイルそのもの。
完成度の高い、何とも言えない“半笑い”ですね(笑)
▲広さ約190㎡の桧(ヒノキ)舞台は斜め下に迫り出すようで怖いくらい
清水寺の創建は“平安京”遷都よりも古く、
延鎮上人(えんちんしょうにん)が778年(宝亀9年)に開山されたと伝えられています。
▲ここからの眺めは優美です
坂を上ってきたように、京都東山の音羽山(=山号)の中腹に建つ北法相宗(=宗派)の寺院で、
南都=奈良に対して北の京都に立地するという意味があるそうです。
▲1633年(寛永10年)に再建された本堂は正面36メートル強、側面約30メートル、棟高18メートルの大堂
▲堂内は巨大な丸柱の列によって外陣(礼堂)と内陣、内々陣の三つに分かれています
▲優美な曲線を見せる寄棟造り、檜皮葺の屋根や軒下の蔀戸など平安時代の宮殿や貴族の邸宅の面影を伝える本堂
“清水の舞台から飛び降りる”の語源となった本堂の舞台。
崖下からの高さは18mあり、舞台からは京都市内が一望できます。
貴族や武士といった限られた階級だけでなく、庶民にも開かれたお寺として
親しまれたきた清水寺には当時から多くの人々が足を運んでいたのでしょうか。
緑深い美しい自然に囲まれているだけに、坂道を上るのも一苦労ですが、いい運動ですね
▲向かって左から[学問成就の水][恋愛成就の水][延命長寿の水]とされています
清水寺という寺名は音羽山中から今尚途切れることなく湧き出る
“音羽の瀧(おとわのたき)”に流れる霊泉が由来とのこと。
コンコンと流れ出る清水は古来「黄金水」「延命水」と呼ばれる“清めの水”として尊ばれ、
「全ての人を救う」観音さまの御利益と合わせて古来より無病息災・立身出世・財福・良縁・子授けにも
御利益があるとされ「清水の観音さん」の名で全国に広く知られています。
三筋に分かれた瀧それぞれに御利益が異なるのも不思議ですね。
(明らかに間違って飲んでいる人には教えてあげて下さい:笑)
清水の舞台も然ることながら、それ以外にも見所がたくさんある清水寺ですが...
その敷地面積たるや130,000㎡と広大なので、割り切って舞台向かい子安堂に向かいました
▲子安塔は聖武天皇、光明皇后の祈願所と伝えられていますが、創建時期は不明
子安堂は明治時代の終わりまで仁王門の左手前に建っていましたが、
本堂の南に位置する錦雲渓(きんうんけい)を隔てたこちらの丘の上に移築されました。
高さ約15m、檜皮葺の三重塔の内部には子安観音(千手観音)をお祀りし、
その名の如く“安産”に大きな信仰を集めてきました。
2013年(平成25年)に修復が完了し、建立当時の鮮やかな朱塗りの塔が蘇りました。
ここから西門・三重塔・経堂・開山堂・轟門・朝倉堂・回廊・本堂までが
ズラリと並ぶ見事な景観を臨むことができます。
ここもまた絶景ポイントですね。
▲本堂脇の階段を下って、そろそろ見納めポイント
▲下からの眺めると見事な構造美w
清水寺は錦雲渓という急な崖を切り崩し、最長約12メートルの巨大な欅の柱を並べた
「懸造り(かけづくり)」という手法で、釘を一本も使わずに組み上げたという木造建築。
前述のように本堂から迫り出した“舞台”は4階建てのビルの高さに相当し、
本堂含めてこの構造体で支えているのです。
“列柱好き”としては下から眺めるこのアングルも大好物ですね(笑)
【お土産紹介 その7】
▲清水寺には20種類以上もの御守があありますが...
無病息災や健康長寿の御守は数あれど、これほどダイレクトに症状を謳った御守は初めて。
頭痛持ちの私としては思わず手に取ってみました。
(多くは望みませんがね:笑)
100円という安さがまた魅力的です
(つづく)