オカシのキモチ

日々の昼ごはんとお菓子作り、
そして休日は散策という名の食べ歩き。
食いしん坊夫婦の備忘メモです。

2018一泊二日のバス旅行 静岡編vol.4 登呂「もちの家」/安倍川もち やまだいち

2018年05月28日 | ├ 東海/関西


前回は社会科の教科書に登場する「登呂遺跡」まで駅から歩いたので、ここで一休み
(駅からバス20分の距離ですからね)

静岡土産といえば先述の「こっこ」や「うなぎパイ」が代表格かもしれませんが、『安倍川もち』もその一つでしょう。



▲考案された小分けパッケージがお馴染みですね

静岡が東海道五十三次の[府中宿]と呼ばれた時代から、美味いものとして名物番付の上位に据えられ、今日に至るまで静岡を代表する名物が「安倍川もち」。

その由来は諸説ありますが…
時は徳川家康が駿府城を居城としていた400年前の慶長時代🏯
安倍川上流に位置する井川の笹山金山や梅ヶ島の日影沢金山などを御用金山とし、金の採掘を盛んに行っていた際、検分に出向いた家康に、ある男が餅をつき「黄粉」をまぶして献上した。
そのあまりに美味しい餅について男に製法を尋ねると「この餅は金山から産出する金の粉が安倍川へ流れたのをすくい上げて餅に塗してつくるので"金粉餅(きんこもち)"と申します」と即答。
家康はこの男の機知をほめて褒美を与え、改めてこの餅を「安倍川もち」と命名したのが始まりとされています。
(要するにきな粉もちですね)



▲店頭の巨大な水車が目印

そんな郁時代を経て東海道名物として広く知られた安倍川もちを戦中から物資調達が困難だった戦後、"静岡復興の証として"はじめて復活(昭和25年3月17日販売)させたのが、今や圧倒的なシェアを誇る「やまだいち(創業者 山田一郎)」。

その本社工場と直営する和風喫茶 登呂「もちの家」が登呂遺跡の西隣りにあったので一休みさせてもらいました。



▲風情ある趣の玄関

こちらは約180年前に建てられた会津の古民家(農家)を移築した甘味処。

太い柱に梁、時代を物語る格子、そして見ているだけで時間の流れが緩やかになる囲炉裏と庭先は日常を忘れさせてくれます


▲吹き抜けと土間

で、お品書きは安倍川もちをはじめとする甘味に加えて、手打ち蕎麦や栗おこわ定食など食事メニューも充実。

◼︎おしながき
[甘味]
・安倍川もち
・金な粉もち
・からみもち
・おしるこ
・いそべもち
・冷しぜんざい
*銘々急須お茶付き
[蕎麦]
・もりそば
・かけそば
・たぬきそば
・冷したぬきそば
*その他セットあり 麺の大盛り可
[定食他]
・うす定食(白いご飯)
・うす定食(栗おこわのご飯)
・栗おこわ定食
・おぞう煮(季節料理)
*その他、飲物・おつまみ



▲冷やしぜんざい

▲安倍川餅

名物の「安倍川もち」は注文を受けてから作る、湯煎した搗き立ての柔らかく温かい餅に漉し餡で包んだものと黄な粉を塗した2種類に、急須で緑茶🍵が添えられます。

国内産米100%の餅米を臼と杵を使った胴搗きと呼ばれる製法で仕上げた餅はコシがあり、甘さ控え目で上品な漉し餡と香り豊かな黄な粉と相まって、茶とともに美味しくいただきました。

少々高い価格設定ですが、
趣ある古民家の佇まいが美味しさを底上げし、またと無い一時でした。

次回は大根おろしの上にはワサビを効かせた「からみもち」を食べてみたいですね

【おまけ】

◼︎三色 安倍川もち
お土産品に関して今や"小包装"は当たり前のようですが、遠慮がちな日本人が気兼ねなく食べられる、そして持ち帰りやすいようにと創業者は当時から工夫を重ねていたようです。

こちらは定番の漉し餡と黄な粉に、自然な抹茶色が目を引く変わり種が加わったカラフルな3色パック(お土産品)
どれも上品な味わいでした。

(つづく)

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