冬の沖縄旅行、2日目最後の工程です。
">『琉球村』からバスで数分程度の『黒糖工場』にやってきました。
「ホントに小さな工場ですから...」バスガイドや旅行添乗員から事前にお知らせがあったように、御世辞にも工場のような風格ではありませんが、
小さいだけに、今尚、伝統的な製法(手作業)で作られる黒糖職人の手際を身近で見ることができるだろうと期待していました。
が...
既に掃除を始めていました 残念...
(このツアープランの段取りは狙ってやってるかな)
実際にサトウキビから黒糖ができるまでは、長い工程があります。
(自分で調べました)
~~~~~~~~~~~~~~~~
1.サトウキビを圧搾機にかえ、糖汁を搾り出します。全重量の約75%がキビ汁となり、残り25%はカス汁です。
2.搾ったキビ汁を濾過していきます。
3.一番釜にキビ汁を入れ、煮詰めながらアクなどの不純物を取り除き、次々と釜を移して煮詰めていきます。四番釜までくると、キビ汁は飴状になるほど凝縮されてきます。
4.濃縮したキビ汁を型に流し込み、覚まして固めた後、適当な大きさに割って包装します。
(この翌日、国際通りの公設市場では黒糖の塊を鉈でバキバキと折っていました)
~~~~~~~~~~~~~~~~
と言うわけで、沖縄の黒糖はピュアな原料と職人のこだわりでできているのです。
因みにサトウキビと黒糖のトリビアは、こんなカンジです。
~~~~~~~~~~~~~~~~
1.砂糖とは?
純粋な砂糖は蔗糖と呼ばれ、植物の茎、花、果実、根などに含まれています。
製造法によって、含蜜糖、分蜜糖に分けられる。含蜜糖は、産地で搾った糖汁を伝統的な方法で煮つめ、糖蜜分を含んだまま固めたもので、黒糖がこれにあたる。
分蜜糖は、近代的な工場で、糖蜜を振り分けて蔗糖の結晶を取り出したもので、ざらめ糖〈グラニュー糖〉などがこれに当たる。
2.サトウキビ〈砂糖黍〉とは?
甘蔗、荻とも言う。沖縄方言の”ウージ”は、この訛ったものである。
トウキビの原産地はインドで、そこから周辺の国々に広まったという。
3.製糖法が伝わったのは?
1453年、長嶺按司陵正によって中国の南京から初めて製糖法がもたらされたといわれる。その頃の砂糖は、糖汁を煮つめて濃縮し、ある程度の結晶分を含んだ液状糖であったという。
現在の固形糖である黒糖〈含蜜糖〉の製造法は、1623年、儀間真常によって中国の福州からもたらされた。
精製糖〈分蜜糖〉の製造法はヨーロッパから導入され1908年(明治40)に初めて工場が設立された。
4.サトウキビの栽培法と生産量は?
植え付けは、成熟したサトウキビの茎を二節を残して30cmずつに切り、挿木の要領で畑に植え付ける。
栽培作型には、「春植え」「夏植え」「株出し」がある。
春植えは、2~3月に植え付け、翌年の3~4月に収穫する。1年で収穫できるという利点があるが、育成期間が短いため、最も収量が少ない。
夏植えは、7~9月に植え付け、翌々年の1~2月に収穫する。翌年の収入が得られないのが難点であるが、育成期間が長く、最も収量が多い。
株出しは、春植え、夏植えの収穫後、根株を残してそのまま発芽させ、翌年の1~3月に収穫する。植え付け作業がはぶける上に、発芽伸長が速く生育も促進されるため。育成期間は1年と短いが、春植えよりは多収となる。株出しは、普通2~3年間続けられる。
作型別の収穫面積の割合は、春植え10%、夏植え40%、株出し50%となっている。10アール当りの平均収量は7~8トンで、年間の総生産量は、150~160万トンである。
収穫は、製糖工場の操業(1~4月)に合せて行う、根株を残して茎を切り倒し、葉と穂先を落として搬出する。収穫作業は、ほとんど人手に頼っているため、重労働である。
5.砂糖の生産量は?
沖縄県には、含蜜糖(黒糖)工場が7、分蜜糖が工場が14工場〈うち原料糖工場13、精製糖(グラニュー糖)工場1〉がある。
これらの工場で生産される砂糖は、およそ黒糖1万トン、原料糖17万トンで、国内需要の約8%を占めている。
~~~~~~~~~~~~~~~~
“工場見学”や“体験”を推しているようですが、実際は御土産販売がメインでした。
バスツアーだから仕方ないけど、ちょっとガッカリ...
最後にオツマミ程度に“黒糖かりんとう”を頂きました。
こちらはご馳走様でした
敷地の隣にはハム工場もあり、謎の置物がすごく気になりました...
その後、夕食会場となる那覇市へと向かいました
道中、かなりの渋滞にハマり、トイレが我慢できない二歳児を途中で下車させるハプニングがありましたが、全員が無事に会場に辿り着きました。
(あれは可愛そうだった)
食事をしたのは国際通り付近にある、おもてなしの琉球料理が食べられる『首里天楼(Sui-ten-rou)』。
会場内の大広間の壁には琉球王朝末期の印象的なワンシーンを描いた絵画が飾られ、とても風情がありました。
御膳の内容は、こんなカンジでした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
*ジュシー(炊き込みゴハン)
*沖縄そば
*ミミガー
*ラフティの煮物
*ゆし豆腐
*豆腐ようの和え物
*パパイヤ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
骨が崩れ落ちるほど、よく煮込まれた“ラフティー”は絶品でした。
さすがに“沖縄そば”は伸びていました...
しかしながら、そばを除けば、どれも味わったことのない料理ばかりで新鮮でした。
もう一度、味わいたいですね。
食事を終え、時間があるので国際通りを散策していると、ノラ猫に遭遇...
そういえば、旅行中は他でも猫をみかけましたが、人懐こい猫ばかり...
犬派の自分も、こんな瞳で見つめられたら、立ち止まらずにはいられない夜でした。
(つづく)
">『琉球村』からバスで数分程度の『黒糖工場』にやってきました。
「ホントに小さな工場ですから...」バスガイドや旅行添乗員から事前にお知らせがあったように、御世辞にも工場のような風格ではありませんが、
小さいだけに、今尚、伝統的な製法(手作業)で作られる黒糖職人の手際を身近で見ることができるだろうと期待していました。
が...
既に掃除を始めていました 残念...
(このツアープランの段取りは狙ってやってるかな)
実際にサトウキビから黒糖ができるまでは、長い工程があります。
(自分で調べました)
~~~~~~~~~~~~~~~~
1.サトウキビを圧搾機にかえ、糖汁を搾り出します。全重量の約75%がキビ汁となり、残り25%はカス汁です。
2.搾ったキビ汁を濾過していきます。
3.一番釜にキビ汁を入れ、煮詰めながらアクなどの不純物を取り除き、次々と釜を移して煮詰めていきます。四番釜までくると、キビ汁は飴状になるほど凝縮されてきます。
4.濃縮したキビ汁を型に流し込み、覚まして固めた後、適当な大きさに割って包装します。
(この翌日、国際通りの公設市場では黒糖の塊を鉈でバキバキと折っていました)
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と言うわけで、沖縄の黒糖はピュアな原料と職人のこだわりでできているのです。
因みにサトウキビと黒糖のトリビアは、こんなカンジです。
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1.砂糖とは?
純粋な砂糖は蔗糖と呼ばれ、植物の茎、花、果実、根などに含まれています。
製造法によって、含蜜糖、分蜜糖に分けられる。含蜜糖は、産地で搾った糖汁を伝統的な方法で煮つめ、糖蜜分を含んだまま固めたもので、黒糖がこれにあたる。
分蜜糖は、近代的な工場で、糖蜜を振り分けて蔗糖の結晶を取り出したもので、ざらめ糖〈グラニュー糖〉などがこれに当たる。
2.サトウキビ〈砂糖黍〉とは?
甘蔗、荻とも言う。沖縄方言の”ウージ”は、この訛ったものである。
トウキビの原産地はインドで、そこから周辺の国々に広まったという。
3.製糖法が伝わったのは?
1453年、長嶺按司陵正によって中国の南京から初めて製糖法がもたらされたといわれる。その頃の砂糖は、糖汁を煮つめて濃縮し、ある程度の結晶分を含んだ液状糖であったという。
現在の固形糖である黒糖〈含蜜糖〉の製造法は、1623年、儀間真常によって中国の福州からもたらされた。
精製糖〈分蜜糖〉の製造法はヨーロッパから導入され1908年(明治40)に初めて工場が設立された。
4.サトウキビの栽培法と生産量は?
植え付けは、成熟したサトウキビの茎を二節を残して30cmずつに切り、挿木の要領で畑に植え付ける。
栽培作型には、「春植え」「夏植え」「株出し」がある。
春植えは、2~3月に植え付け、翌年の3~4月に収穫する。1年で収穫できるという利点があるが、育成期間が短いため、最も収量が少ない。
夏植えは、7~9月に植え付け、翌々年の1~2月に収穫する。翌年の収入が得られないのが難点であるが、育成期間が長く、最も収量が多い。
株出しは、春植え、夏植えの収穫後、根株を残してそのまま発芽させ、翌年の1~3月に収穫する。植え付け作業がはぶける上に、発芽伸長が速く生育も促進されるため。育成期間は1年と短いが、春植えよりは多収となる。株出しは、普通2~3年間続けられる。
作型別の収穫面積の割合は、春植え10%、夏植え40%、株出し50%となっている。10アール当りの平均収量は7~8トンで、年間の総生産量は、150~160万トンである。
収穫は、製糖工場の操業(1~4月)に合せて行う、根株を残して茎を切り倒し、葉と穂先を落として搬出する。収穫作業は、ほとんど人手に頼っているため、重労働である。
5.砂糖の生産量は?
沖縄県には、含蜜糖(黒糖)工場が7、分蜜糖が工場が14工場〈うち原料糖工場13、精製糖(グラニュー糖)工場1〉がある。
これらの工場で生産される砂糖は、およそ黒糖1万トン、原料糖17万トンで、国内需要の約8%を占めている。
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“工場見学”や“体験”を推しているようですが、実際は御土産販売がメインでした。
バスツアーだから仕方ないけど、ちょっとガッカリ...
最後にオツマミ程度に“黒糖かりんとう”を頂きました。
こちらはご馳走様でした
敷地の隣にはハム工場もあり、謎の置物がすごく気になりました...
その後、夕食会場となる那覇市へと向かいました
道中、かなりの渋滞にハマり、トイレが我慢できない二歳児を途中で下車させるハプニングがありましたが、全員が無事に会場に辿り着きました。
(あれは可愛そうだった)
食事をしたのは国際通り付近にある、おもてなしの琉球料理が食べられる『首里天楼(Sui-ten-rou)』。
会場内の大広間の壁には琉球王朝末期の印象的なワンシーンを描いた絵画が飾られ、とても風情がありました。
御膳の内容は、こんなカンジでした。
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*ジュシー(炊き込みゴハン)
*沖縄そば
*ミミガー
*ラフティの煮物
*ゆし豆腐
*豆腐ようの和え物
*パパイヤ
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骨が崩れ落ちるほど、よく煮込まれた“ラフティー”は絶品でした。
さすがに“沖縄そば”は伸びていました...
しかしながら、そばを除けば、どれも味わったことのない料理ばかりで新鮮でした。
もう一度、味わいたいですね。
食事を終え、時間があるので国際通りを散策していると、ノラ猫に遭遇...
そういえば、旅行中は他でも猫をみかけましたが、人懐こい猫ばかり...
犬派の自分も、こんな瞳で見つめられたら、立ち止まらずにはいられない夜でした。
(つづく)