“大型で強い勢力をもった台風10号が関東地方に上陸する”と
注意喚起がここ連日ありましたが、今日は何事もなく会社に出勤できて一段落...
軌道が変わって太平洋側から東北に上陸する予定ですが、これは前例のないことだそうで。
上陸予定の地域の方々においては、危険な場所に近づかず、どうか安全第一に。
(とはいえ、また軌道が変わったり、続く11-12号が上陸したら明日は我が身です:汗)
さて、まだ湿気を伴う暑さ厳しい京都へ出掛けたのは先月のこと
前回に次いで、一日乗車カードを使ってバス停[金閣寺道]から京都市営バスに乗り、[船岡山]で下車。
▲大正創建の朱色が鮮やかな正面玄関「楼門」
7~8分ほど歩いて「今宮神社」に足を運びました。
初日から東福寺・龍安寺・仁和寺・北野天満宮・金閣寺・今宮神社他と巡り続けて、知らず知らず
“拝観料”が積み上がって想定以上に旅費が膨れ上がっていたのが判明したのは帰宅後のこと...
神様が住む場所=[神社]と、僧侶が住み教義を勉強する場所=[寺院]。
役割は全く異なるものの両方に親しみがあって足を運ぶことが多い我々ですが、
京都の神社仏閣巡りにおいては拝観料の差(有無)を如実に感じました...
(一概には言えないと思いますが、大概の寺院は拝観料がかかるとみて間違いありません)
▲京都市北区紫野にある桂昌院(けいしょういん=通称:お玉)のゆかりの社
少々脱線してしまいましたが、話を戻してこちらの今宮神社。
良縁を謳い文句にした神社が全国に数ある中、京都の“玉の輿神社”といわれています。
平安中期の994年に創建され、華やかに賑わったものの、
中世に入る(1150年代)頃から不安定な社会情勢により徐々に荒廃。
現在の姿を取り戻したのは近世以降、神仏に対する信仰心が強かった
5代将軍徳川綱吉の生母“桂昌院(お玉)”の再建事業によるもの。
そもそも身分の低い西陣の八百屋の娘だったお玉が将軍・徳川家光に見初められて側室となり、
大出世したというシンデレラストーリーが「玉の輿」という語源の由来だとか。
そんなお玉によって復興した神社故に、俗称「玉の輿神社」と言われるようになったのです。
自らの意思や策略なしにトントン拍子に出世した強運の持ち主だったようですが、
身分の低い出身に引け目を感じてか、嫉妬渦巻く大奥に入ってからは学問をはじめ
前向きに日々努力を重ねていた姿が、家光の目にとまったのかもしれません。
玉の輿にあやかるにしても、男性から声をかけられるには、それ相応の努力が必要ですが...
日々邁進しているにも関わらず、報われない方は、お玉の強運をお裾分けしてもらってもいいのでは?
個人的にはと思います(何でもかんでも神頼みはイケませんが)
俗称はさておき、本来は疫病を鎮めるお社として、
一条天皇の時代に創祀した「今宮神社」では桜の花が散る頃、
疫病が花の精にあおられて飛散するといわれ、
毎年4月の第2日曜日は「やすらい祭」という"人々の厄疫を取り除き、
健康長寿を祈る"伝統のお祭りが行われています。
(翌5月には今宮祭が開催されます)
お参りを終えて東門を抜けた参道に出ると、その懐かしい光景にビックリ...
独身の頃、京都一人旅をした際に立ち寄った名物「あぶり餅」のお店が2件、
相変わらず向かい合って営業していました(配置が変わってたら逆にコワイですが:笑)
▲あの時は南側の店に寄った記憶があります
南側の「かざりや」は江戸時代創業の400年、
北側の「一和」は長保2年と1000年以上の歴史。
あぶり餅に関しては「かざりや」は「本家・根元」を謳い、
「一和」は「元祖・正本家」を名乗っています。
元祖とか本家とか、そんな争いの発祥の地かもしれませんね(笑)
▲平安時代から続く日本最古の和菓子を、昔と変わらぬ製法で作り続けているそうです
あぶり餅とは、きな粉を塗した小さい餅を竹の串に刺して炭火で炙り、
焦げ目がついた状態で甘い白味噌をかけた餅。
無病息災を願う縁起物の和菓子として親しまれていたそうです。
▲お餅は添加物なしの餅米100パーセントw
何はともあれ、得も言われぬ美味しさでした
備長炭で丁寧に焙った餅の香ばしさにきな粉、そして秘伝の白味噌タレが溶け合った甘さがたまりません。
ごちそうさんでした。
参道の両脇で毎日、顔を突き合わせている2軒。
しのぎを削る客引き合戦は未来永劫つづくんでしょうか...(笑)
ちょっとした名物ですね
(つづく)
【過去の記事より...こちらの争いも気になるところ】
*[島根・山口・福岡・広島の旅2013 その13(錦帯橋と何コレ珍百景)]
注意喚起がここ連日ありましたが、今日は何事もなく会社に出勤できて一段落...
軌道が変わって太平洋側から東北に上陸する予定ですが、これは前例のないことだそうで。
上陸予定の地域の方々においては、危険な場所に近づかず、どうか安全第一に。
(とはいえ、また軌道が変わったり、続く11-12号が上陸したら明日は我が身です:汗)
さて、まだ湿気を伴う暑さ厳しい京都へ出掛けたのは先月のこと
前回に次いで、一日乗車カードを使ってバス停[金閣寺道]から京都市営バスに乗り、[船岡山]で下車。
▲大正創建の朱色が鮮やかな正面玄関「楼門」
7~8分ほど歩いて「今宮神社」に足を運びました。
初日から東福寺・龍安寺・仁和寺・北野天満宮・金閣寺・今宮神社他と巡り続けて、知らず知らず
“拝観料”が積み上がって想定以上に旅費が膨れ上がっていたのが判明したのは帰宅後のこと...
神様が住む場所=[神社]と、僧侶が住み教義を勉強する場所=[寺院]。
役割は全く異なるものの両方に親しみがあって足を運ぶことが多い我々ですが、
京都の神社仏閣巡りにおいては拝観料の差(有無)を如実に感じました...
(一概には言えないと思いますが、大概の寺院は拝観料がかかるとみて間違いありません)
▲京都市北区紫野にある桂昌院(けいしょういん=通称:お玉)のゆかりの社
少々脱線してしまいましたが、話を戻してこちらの今宮神社。
良縁を謳い文句にした神社が全国に数ある中、京都の“玉の輿神社”といわれています。
平安中期の994年に創建され、華やかに賑わったものの、
中世に入る(1150年代)頃から不安定な社会情勢により徐々に荒廃。
現在の姿を取り戻したのは近世以降、神仏に対する信仰心が強かった
5代将軍徳川綱吉の生母“桂昌院(お玉)”の再建事業によるもの。
そもそも身分の低い西陣の八百屋の娘だったお玉が将軍・徳川家光に見初められて側室となり、
大出世したというシンデレラストーリーが「玉の輿」という語源の由来だとか。
そんなお玉によって復興した神社故に、俗称「玉の輿神社」と言われるようになったのです。
自らの意思や策略なしにトントン拍子に出世した強運の持ち主だったようですが、
身分の低い出身に引け目を感じてか、嫉妬渦巻く大奥に入ってからは学問をはじめ
前向きに日々努力を重ねていた姿が、家光の目にとまったのかもしれません。
玉の輿にあやかるにしても、男性から声をかけられるには、それ相応の努力が必要ですが...
日々邁進しているにも関わらず、報われない方は、お玉の強運をお裾分けしてもらってもいいのでは?
個人的にはと思います(何でもかんでも神頼みはイケませんが)
俗称はさておき、本来は疫病を鎮めるお社として、
一条天皇の時代に創祀した「今宮神社」では桜の花が散る頃、
疫病が花の精にあおられて飛散するといわれ、
毎年4月の第2日曜日は「やすらい祭」という"人々の厄疫を取り除き、
健康長寿を祈る"伝統のお祭りが行われています。
(翌5月には今宮祭が開催されます)
お参りを終えて東門を抜けた参道に出ると、その懐かしい光景にビックリ...
独身の頃、京都一人旅をした際に立ち寄った名物「あぶり餅」のお店が2件、
相変わらず向かい合って営業していました(配置が変わってたら逆にコワイですが:笑)
▲あの時は南側の店に寄った記憶があります
南側の「かざりや」は江戸時代創業の400年、
北側の「一和」は長保2年と1000年以上の歴史。
あぶり餅に関しては「かざりや」は「本家・根元」を謳い、
「一和」は「元祖・正本家」を名乗っています。
元祖とか本家とか、そんな争いの発祥の地かもしれませんね(笑)
▲平安時代から続く日本最古の和菓子を、昔と変わらぬ製法で作り続けているそうです
あぶり餅とは、きな粉を塗した小さい餅を竹の串に刺して炭火で炙り、
焦げ目がついた状態で甘い白味噌をかけた餅。
無病息災を願う縁起物の和菓子として親しまれていたそうです。
▲お餅は添加物なしの餅米100パーセントw
何はともあれ、得も言われぬ美味しさでした
備長炭で丁寧に焙った餅の香ばしさにきな粉、そして秘伝の白味噌タレが溶け合った甘さがたまりません。
ごちそうさんでした。
参道の両脇で毎日、顔を突き合わせている2軒。
しのぎを削る客引き合戦は未来永劫つづくんでしょうか...(笑)
ちょっとした名物ですね
(つづく)
【過去の記事より...こちらの争いも気になるところ】
*[島根・山口・福岡・広島の旅2013 その13(錦帯橋と何コレ珍百景)]