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すべての善人に読まれるべき、本の形をした怪物
これはシャーリィ・ジャクスンの『ずっとお城で暮らしてる』(創元推理文庫刊)の解説に書かれた桜庭一樹の言葉である。魔女と呼ばれたシャーリィ・ジャクスンが、その持てる限りの力を振り絞って書いた畢生の恐怖小説と言われる『ずっとお城で暮らしてる』を、しかし残念ながら私はまだ読んでいない。だが、今読んでいる、同じ創元推理文庫から出ている津原泰水(やすみ)の『綺譚集』は、多分『ずっと~』とは違う意味で、間違いなく「本の形をした怪物」である。
津原泰水という作家のことを、私は『綺譚集』を読むまで全く知らなかった。『綺譚集』を買うことになったもの、セミナーの帰りにたまたま寄った横浜の丸善で偶然目にし、そこに書かれた作品紹介に興味を引かれたからに過ぎない。
天使へと解体される少女に、独白する書家の屍に、絵画を写す園に溺れゆく男たちに垣間見える風景への畏怖、至上の美。生者と死者、残酷と無垢、喪失と郷愁、日常と異界が瞬時に入れ替わる。…
海外のホラー作品には「スティーブン・キングも絶賛」などというあおり文句が書かれたものがしばしば見られるが、そんなものに限って本当に面白いものはほんのわずかしかない(どうも、キングは頼まれると作家の有名・無名問わずホイホイ絶賛してくれるのではないか、と思われるふしがある
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著者は以前、津原やすみ名義で少女小説を書いていた、とあるが、本当だろうか。あるいは最近の少女小説というのは、こういうものなのだろうか。私にはよくわからない。だが、この『綺譚集』に収められた作品は、単に「日常と異界が瞬時に入れ替わる」に留まらず、ある種の読者を(京極夏彦の『魍魎の匣』の中の言葉を借りれば)「彼岸へと連れ去ってしまう」凄まじいまでの力を持っている、と思う。だた問題なのは、自分がその「ある種の」人に属するかどうかは作品を読んでみないと分からない、ということだ。
私のようにどこか壊れていて、また自分が壊れていることを自覚している人間より、普通の人として生きてきて、自分があたかも普通の人であるかのように錯覚してしまっている人の方が、この作品の妖気を受けやすいかもしれない。そして気づいた時には、引き返すことのできない「彼岸へと連れ去」られているかもしれない。まぁしかし、それはそれで幸せだとも言えるだろう。同じ『魍魎の匣』の中で京極堂・中尊寺秋彦も言っている。「幸せになることは簡単なことなんだ。人を辞めてしまえばいいのさ」と。
だから改めて言おう。津原泰水の『綺譚集』は
「すべての善人に読まれるべき、本の形をした怪物である。」
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それから、それとは全然関係ないが、オマケ。
アニメ版『魍魎の匣』のオープニングに、映画版『魍魎の匣』のテーマ曲を当てたものをYouTubeで見つけた。絵は同じだがBGMが変わると全く印象が変わってしまうのが面白い。時間がある時にでも見比べていただきたい。映画版のテーマ曲も、雰囲気のあるとてもいい曲だ。
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なおveohではアニメ版の全話のみならず映画版『魍魎の匣』も見られる(もちろん無料。ただし映画版は2時間を越える長時間の動画のため、veohプレーヤーをインストールする必要がある)が、実際に見た感想を言えば「はっきり言って時間のムダ
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