深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

Let The Right One In

2010-07-23 11:46:16 | 趣味人的レビュー

銀座テアトルシネマでの単館上映ながら、そして「最低最悪の日本版タイトル」とコケ下ろされながら、また映倫が大バカなぼかしを入れたことで物語の核心が損なわれたと非難されながら、異常な人気を博している映画がある。私が行ったのは休日だったから、当然のことながら満席だったが、平日でも満席が続いているのだという。

ヨン・アイヴィデ リンドクヴィストの『モールス』(ハヤカワ文庫)を原作とする、その映画を、多くの人は日本版のタイトルで呼ばず、現題をそのまま英訳した英語版のタイトル『Let The Right One In』を使う。このLet the right one inとは「正しき人を入らしむ」という意味で、これは「ヴァンパイアは招かれない限り、その家には入ることができない」という故事に由来する。

その映画──ちなみに最低最悪と呼ばれた日本版のタイトルは『ぼくのエリ 200歳の少女』という──は、紛れもない秀作である。特にあなたがビクトル・エリセの『ミツバチのささやき』やギレルモ・デル・トロの『バンズラビリンス』が好きななら、この映画もきっと気に入ると思う。ただし舞台となるのは、『ミツバチのささやき』や『バンズラビリンス』のスペインではなく、北方の国、スウェーデンだ。

ストックホルム郊外のアパートに母親と2人で住むオスカーは、気が弱くクラスメートからいじめの対象にされている。そんなオスカーの前に現れた少女、エリ。夜にしか姿を見せず、自分と同い年らしいのに学校にも行っていない不思議な少女──その少女に恋をしたオスカーは、エリのために強くなろうとする。しかし、彼女と出会ってからオスカーの周りには凄惨な事件が頻発していく。実はエリは、12歳の姿のまま永遠を生きるヴァンパイアだった──。

雪と氷に覆われたスウェーデンの風景、そして画面から伝わってくる冷え冷えとした感覚が、この映画のトーンと不思議なまでに合っている。その意味で、これはスウェーデンという土地に根ざした作品だ。それはエリのキャラクターについても言える。

例えば、日本人がエリを描いたら、恐らく判で押したような「自分が生きるために人を襲わなければならないことに苦悩するヴァンパイア」のような湿っぽいキャラになってしまう(注1)ところだが、この映画ではエリが人を襲う時、そこには迷いもためらいもない。それがいい。

(注1)例えば、冬目景のマンガ『羊のうた』は全編がそういう苦悩だけで成立しているヴァンパイア物。個人的には、これはこれで傑作だと思うが…。

例えば、仮に自分がヴァンパイアとなった時のことを考えると、私は自分が血を吸うために人を襲うことに、いちいち悩みたくない。私にとってはヴァンパイアとしての自分が生き延びることが最優先事項であり、そのために犠牲になる人間が出ることはやむを得ないと、どこかでスッパリ割り切るだろうと思う。それに「生きることは食べること」──だからこそ、ヴァンパイアになっても食事は楽しくしたいしねー。

およそ動物と名のつく物は、他の物──それが植物であれ動物であれ──の命を奪うことでしか自らの命をつなぎ止めることはできない。文明社会の中では、そうした事実は巧みに隠蔽され、普通はそうしたことを意識せず生きているが、実際は意識しようがしまいが、我々の生が他の物の命の犠牲の上に成り立っている事実は変わらない。そして、人間だけが特権的に命を奪われる側ではなく奪う側ににいられる、などということも欺瞞に過ぎない。ヴァンパイアが恐ろしいのは、血を吸われたりするからではなく、ヴァンパイアの存在によって、隠蔽してきたこの事実に向き合わなければならなくなるからではないだろうか。

この映画に出てくるヴァンパイアは、『Let The Right One In』というタイトルが示すように招かれなければその家には入れず、活動できるのは夜間だけで陽の光を浴びると死に、噛まれた者は新たにヴァンパイアになる(エリもそうしてヴァンパイアになったようだ)、といった古典的な約束事に従っている(注2)が、そうしたことがこの映画のホラーの部分を損なわせることがないのは、エリがヴァンパイアとして決然と画面の中に存在しているからだ。そのエリを演じたリーナ・レアンデションは、撮影当時、実際に12歳だったという(オスカー役のカーレ・ヘーデブラントは撮影当時、11歳)。

(注2)他に「ヴァンパイアは十字架に弱い」というのがあるが、ヴァンパイア=吸血鬼伝説は世界各地にあるが、そうした性質は西洋を中心としたキリスト教圏でしか言われていない。私が思うに、「ヴァンパイアは十字架に弱い」という話は「だからキリスト教徒になればヴァンパイアを避けられる」という、ヴァンパイアをネタにしたキリスト教会の、布教を目的とした一種のプロパガンダだったのではないだろうか。なお、「ヴァンパイアはニンニクが苦手」ということに関しては不明。

そういうわけで、行ける人は銀座テアトルシネマに走れ! そして、変なぼかしのない完全な形でDVD化されることを祈る。

おまけは、この映画の日本版のタイトルに引っかけて、サザンオールスターズの『いとしのエリー』にしようかと思ったが、曲調がこの映画の雰囲気と全く合っていないので、方針を転換して『バンズラビリンス』のサウンドトラックから。この曲はいいよ。


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4 コメント

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啓発者(カガクマホウツカイ)たるものヴァンパイアを嗜んで当然と吠えてみる (科学技術結社連合 有機創世派)
2010-07-23 14:29:22
 もしヴァンパイアという存在が伝説通りに存在していたとして、それに人間らしいふるまいをさせるのは狩りへの対策と獣になるまいという矜持でしかなく、絶大な力と、血への飢えをを持っている以上力を哀れな犠牲者に振るうのは仕方ないのでしょう。人間にとってはたまったものではありませんが。
 十字架の件については、十字架ではなく「真なる信仰」がヴァンパイアにとって脅威であり、真る信仰の発露なら十字架だろうが九次切りだろうが精霊にささげられた歌だろうがダメージを与える、という解釈がなされたヴァンパイア物の創作物があり、わたしはそちらの解釈が気に入っていたりします。
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またまた難しいネタを (sokyudo)
2010-07-23 20:31:55
>有機創世派さん

「真なる信仰」とは、またまた難しいネタを振ってくださいますね。
私は宗教にはトンと疎いのですが、例えば「真なる信仰」と「盲信」とはどう違うのか、またその人の信仰が「真なる信仰」かそうでないのかは、誰がどのように判別できるのか、あるいは「信仰」そのものを否定する禅のようなものは、たとえ悟りを開いたとしてもヴァンパイアには無力なのか、といったことが気になると言えば気になります。
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Unknown (ウル@俺の家)
2010-07-28 00:50:52
ご無沙汰しております、肩はどんなぐあうですか?
今回のブログとは全く無関係ですが、下記のサイトは僕の愛読しているもので、今日読んでいて、ふと先生を思い出し、先生の思想にマッチするんじゃないかと勝手に思いまして(笑)

是非一読下さい!

http://blog.goo.ne.jp/dbqmw440/arcv 
http://www.wound-treatment.jp/
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お久しぶりです。 (sokyudo)
2010-07-28 21:43:18
>ウル@俺の家さん

お久しぶりです。
肩の方は、まだ装具が取れません。以前のようなひどい痛みはもうありませんが、着替えや何かの際、動かし方によってはまだ痛みが出ることがあります。
サイト情報ありがとうございます。参考にさせていただきます。
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