漢の時代の中国を舞台とした連続殺人事件を描き、ハヤカワ・ポケミス初の華文ミステリとなった『元年春之祭(がんねんはるのまつり)』に続く陸秋槎(りく しゅうさ)の長編第2作『雪が白いとき、かつそのときに限り』は、ポケミスとは思えない装丁が印象的な、高校が舞台の痛みに満ちた青春ミステリ。この2作に共通するのはそれが「少女」の物語であるということだ。
が、その前に…
今作の『雪が白いとき、かつそのときに限り』というタイトルは、「バナッハ-タルスキの定理」で知られる数学者、アルフレッド・タルスキの著書から引用されたもので、1つには「雪」が物語の中で密室状況を作る重要なキーアイテムになっているからだが、それ以上にこのタイトルには物語全体を貫く重要な意味がある。
この「~の時、かつこの時に限り」(英語ではif, and only if ~)というのは、日常あまりお目にかかることのない言い回しだが、数学書の中ではしばしば使われるもので、「Aの時、かつこの時に限りB」とは(数学的な意味で)AとBが同値であることを表す。これは別の言葉で言い換えると「AはBであることの必要十分条件」(これは即ち「BはAであることの必要十分条件」ということでもあるのだが)となる。このことが分かっていると、このタイトルが登場人物の1人、姚漱寒(よう そうかん)の持つこだわりを見事に表していることが見えてくる。
物語の舞台となるのは中国の、とある高校。そこでは5年前、いじめがらみで女子生徒の不可解な死亡事件があった。生徒会長、憑露葵(ふう ろき)と生徒会役員たちは、ふとした興味から、警察が自殺として処理したその事件を調べ始め、図書室司書で推理小説マニアの姚漱寒に協力を求める(彼女はこの高校の卒業生で、後輩が事件の関係者だった)。
こうして女子高生たちの推理ごっこに関わることになった姚漱寒だが、その憑露葵が自らの推理を語る準備をする中、こんなことを考える。
(憑露葵の言葉に)秘められている意図は、自分の推理になにも矛盾をはらむ箇所がなく、内部でつじつまが合っているなら、すなわち真相にたどりついているということ。(中略)この論理を現実に当てはめるとあまりに危険としか思えない。(中略)
なぜならそういった推理は──すべての疑問点を同時に解決し、すべての証拠にも気を配った推理は──結局のところ事件の可能性の一つを指し示すことができるだけであって、ほかの可能性すべてを否定することはできないからだ。
「こうすれば犯行は可能だ。だから犯人はあなた」というミステリでしばしば用いられる論法は、大抵「こうであれば十分」という十分条件は示せていても、「こうであることが必要」という必要条件は満たしていない。つまりほとんどのミステリにおいて、推理と真相は同値ではない──彼女(ということは作者である陸秋槎自身)は、そこにこだわるのである。
だからこそ、なのだろう。『雪が白いとき、かつそのときに限り』では第四章で50ページ丸々使って謎解きが行われる。それでもなお披露される推理は、どこまで行っても「事件の解釈の1つ」でしかない。この「どこまでも近づけるが決して届かない」様もまた数学にける極限のようだ、と見るのは少々うがちすぎだろうか。
さて、『元年春之祭』と『雪が白いとき、かつそのときに限り』に物語的な繋がりはないが、それぞれの作品で探偵役を務める於陵葵(おりょう き)と憑露葵(ふう ろき)という2人の少女は、まるで時を超えて転生したかのように非常に似通っている。2人とも非常に利発で恐れ知らず、けれども同時に大きなコンプレックスを抱えている。例えば、本作では陸上のスポーツ特待生として高校に入りながらコーチとぶつかって競技を止め、憑露葵に勉強の面倒を見てもらっている生徒会寮委員の顧千千(こ せんせん)と憑との、こんなやり取りがある。
顧千千「わかってないんだ。たくさんの人が普通の人間になるためだけにどれだけの努力をしているか。そっちからしたら、人と人とのあいだには平凡と偉大の違い、一番とそのほか全部の違いしかないかもしれないけど、そんなことはないんだよ。(中略)どうして分からないの……、いや、ほんとうに理解できないのかもしれない。だってこの“普通”はそっちにとって簡単すぎて、どんな努力も払わないで“普通の人間”のなかで抜きんでることができて、そして限られた天才を見上げてひとり悔しがるんでしょう。でも私からすれば、そんなことを考える余裕なんてなくて、その悩みは贅沢すぎる。だったら、あなたみたいな人にあこがれることのなにがいけないの?」
憑露葵「もしかするとあなたが正しくて、私が満足を知らなさすぎるのかもしれない。でも千千、わかるかな。小さいころからいままで、私はどんなことだって楽々と及第点以上にできたし、うまく仕上げることだってできたけど、一度だって一番は取れなかった。(中略)すべてにおいて一番は取れなかった。たぶんこれが私の才能の限界なんでしょう。この壁はいつまでかかっても私には破れないのかも。だから省で一番の成績を取ったことがあるあなたは、私からしてもあこがれるにふさわしい相手なの。わかる?」
こんな若さゆえの暴力的な純粋さと女同士の関係性が絡み合ったものが、2つの作品には色濃くあって、それが物語の謎ともリンクしている。
私は謎解きミステリで犯人が明らかにされても驚くことはまずないのだが、この作品では本当に驚いた。まさかコイツが犯人とは! そして前作『元年春之祭』では、その特異な犯行動機が読む者に強烈な印象を焼き付けるが、今作でもまた犯行動機が青春の痛みを封じ込んだ、想像を超えたものになっている。その共通項が「少女」なのである。
※「本が好き」に投稿したレビューを大幅に加筆修正したもの。
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