深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

Lost of Humanity

2019-12-02 22:45:02 | 趣味人的レビュー

「恥の多い生涯を送ってきました」
劇場アニメ『HUMAN LOST 人間失格』に対するネットでの評価がことのほか低い。それは(特に太宰治や『人間失格』のファンは)、近未来を舞台としていても話としてはやっぱり『人間失格』のはずだと思ってこれを見てしまうからだろう。けれども『HUMAN LOST』は『人間失格』が原案(間違えるな、原作じゃない)とうたっていても、冲方丁(うぶかた とう)によって再構築されたそれには多分、オリジナルの『人間失格』的な要素は3つの手記という形式と登場人物の名前くらいしか残っていない。

何より、この作品において「人間失格」という言葉は、オリジナルとは全く別の意味を持って物語全体を貫いている。

『HUMAN LOST』の印象について過去の作品で言い表すとしたら、『ハーモニー』と『AKIRA』と『攻殻機動隊』と『BLAME!』と『デビルマン』を合わせたような作品だと言えるだろう。その中から更に絞るなら、私が思うに『HUMAN LOST』とは、『ハーモニー』に描かれた世界を更に『BLAME!』の方向に暴走させたものだ(ちなみにアニメ『BLAME!』は弐瓶勉の同名のマンガを原作に、『HUMAN LOST』と同じポリゴン・ピクチュアズが制作した)。

『HUMAN LOST』の舞台は昭和111年()の日本。そこは体内にナノマシンを埋め込むことによってあらゆる傷害、疾患が克服され、今まさに平均寿命120歳達成を記念する「人間合格式」が執り行われようとしている無病長寿大国になっている。だが実は、そこは「人が死ななくなった」のではなく「人が死ねなくなった」社会だ。『HUMAN LOST』というタイトルにある失われたhumanityとは「死」であり、「死」を奪われたことで人は人として失格した。つまり、これはいってみれば「死」を自らの手に取り戻そうとあがく人間たちの物語なのだ。

これはまさにコペルニクス的転回だ。なぜなら人はずっと「死」を克服することを夢見、「死」が克服された世界こそがユートピアだと考えてきたのだから。例えば実用段階に入ったと言われるiPS細胞による再生医療も、この思想の延長線上にあるものだ。しかし、仮にそんな「死」を克服した世界が本当に実現できたとしたら、そんな世界を本当に実現してしまったとしたら、それは多分、「死」が他者によって奪われ、人が人でなくなった世界だろう。それとも我々は人でなくなり、人間であることに失格したとしても、そんな世界を目指すのだろうか?


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