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「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

さらば、全てのエヴァンゲリオン。

2021-03-17 20:43:27 | 趣味人的レビュー

「さらば、全てのエヴァンゲリオン。」という『シン・エヴァンゲリオン』のキャッチコピーを見た時、「ああ、庵野秀明は本当にもう『エヴァ』を作りたくないんだな」と思った。実際、宮崎駿は庵野とのやり取りの中で、

それはだって本人からも聞きましたから。テレビシリーズのときに、どういう目に遭ったかってことをね。それで、本当に困ってたから、『逃げろ!』って言ったんですよ。
『本当にやりたくないんですよ』って言っているから、『映画なんて作るな』ってね。

と話したことを明かしている。

そんなこともあって、私は『シン・エヴァ』を見るかどうか迷っていた(それに前作「Q」を見て、私の中で『エヴァ』は“もう終わった作品”でもあったから)。ところが、これまで庵野と『エヴァ』に対して辛らつに批判する動画をいくつもアップしていたアニメ・ユーチューバーが、『シン・エヴァ』を見て大絶賛していたので、「これはもしかしたら…」とちょっと期待が膨らみ、見に行くことにした(しかも、ネットの映画評でも星の数が軒並み高かったし)。で以下、『シン・エヴァ』を見て感じたことをネタバレなしで述べたい。

ちなみに『シン・エヴァ』では、本編に入る前にこれまでのおさらいとして庵野自身の編集による「序」、「破」、「Q」のダイジェスト動画が流れる。それを公式がアップしているので、それをここにも貼っておこう。

 

『シン・エヴァ』を見た今では、庵野はそこまで『エヴァ』を作るのがイヤだったワケではないと思っている。が、それでも庵野にとって『エヴァ』を作ることはやはり苦行だったのだと思う。だから「さらば、全てのエヴァンゲリオン。」というコピーには、「さらば、全ての汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオン」という意味と、「さらば、全てのアニメ『エヴァンゲリオン』。」の2つの意味が込められていると感じる。実際、それを裏付けるように、『シン・エヴァ』はTVシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』、そして「新」のつかない「劇場版」までの全てを包括/総括するような内容になっている。

さてその『シン・エヴァ』だが、見ている間、私は何とも居心地の悪い感じがずっと消えなかった。「あれ、俺こういう映画を見たかったんだけ??」と。それがなかなか上手く言語化できなくて、何日もかかってしまったのだが、ふと気づいた。これはアニメ『ブギーポップは笑わない』を見ていた時に感じた違和感とよく似ていることに。

『ブギーポップは笑わない』は2019年冬期に放送された作品だが、1998年から出されている同名のラノベが原作で、それゆえ作品全体が世紀末の空気感に覆われている。その空気感が“今”の時代感覚と全く合っていなかった。途中で切るほどヒドい出来ではなかったので取り敢えず最後まで見たが、少なくとも『ブギーポップ』は“今”見る作品ではなかった。『シン・エヴァ』もそれによく似ている。どれだけ優秀なスタッフを揃え、最高のクオリティの絵作りをしていても、そこで語られる1995年のTVシリーズから引き継がれる物語は、もう悲しいまでに“今”の時代とズレてしまっていたのだ。

また上に書いたように、『シン・エヴァ』はこれまでの『エヴァ』を包括/総括する作品であり、そこで物語の全ての謎が明らかにされることも売りの1つになっている。だが実際には、大方の謎解きはもう「新」なしの「劇場版」で終わっているので、『シン・エヴァ』がやっているのはその補足と語り直しに過ぎない。もちろんTVシリーズとその続編である「新」なしの「劇場版」と今回の「新劇場版」では、「破」以降は別の世界線の話になっているのだが、結局、物語としての根っこは同じだから、明かされる真相もまた、昔見たものが形を変えて繰り返されているに過ぎない。

そういうわけで『シン・エヴァ』に対する私の総評は、「時代からズレた退屈な昔語りをずっと見せられているような映画」である。

思えば阪神淡路大震災やオウム真理教による地下鉄サリン時間が起こった1995年にTVシリーズが始まり、東日本大震災から10年の年に幕を下ろした『エヴァ』は、文字通り「時代と寝たアニメ」だった。制作が破綻して決められた話数の中でちゃんと終わらせることができなかった失敗アニメが、回収されなかった伏線をファンが勝手に深読みすることで異様に盛り上がり、それが社会現象化し、改めて完結編が作られ、ついにはリビルドされるに至ったというのは、あの時代が生み出した奇跡のようなものだったのかもしれない。しかし、それももう賞味期限を過ぎてしまっていた、ということだ。

だから最後に私も言おう、「さらば、全てのエヴァンゲリオン。」と。


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