「カバラと『生命の木』」の第19回。
今回取り上げるのは、第5セフィラであるゲブラー。これは「生命の木」で峻厳の柱に、ケセドと対置する形で置かれる。このゲブラーは「ディン(正義)」、「パッカド(恐怖)」とも呼ばれ、一部の人にとってはカバラにおける「悪」の局面を表す存在として位置づけられる(事実、ゲブラーに配当されている火星は、アストロロジーでは「不吉」という意味も持つ)。
ゲブラーの魔法イメージは「戦車で戦場に赴かんとする王」である。ケセドの魔法イメージが「玉座に座った王」、平和な時代における臣民の敬愛される父であるのに対して、ゲブラーのそれは、右腕に人民を守る正義の剣を持ち、我々に畏怖を求める存在である。
ゲブラーは異化作用、つまり力の破壊的要素を表す。異化作用とは新陳代謝、つまり生命過程における力の解放が行われる局面のことである。ケテルとの対比で言えば、ケテルが物事を構成し形成すること(同化作用)を行うのに対して、ゲブラーが行うのは物事を破壊し消滅させることであり、それゆえゲブラーは「悪」を表すとされるわけだが、ケテルと合わせて見ると両者は共同で生成消滅の過程を担っているだけであることが分かる。顕現世界における安定性とは不変性のことではなない。ケテルとゲブラーによる力の均衡と生成消滅のリズムが、顕現世界の安定性を作り出しているのである。
ゲブラーは人生において障害を蹴散らす力動的要素である。苦難を受け入れ辛酸をなめることの意義を知った時、我々はゲブラーの最初の密議を受けたのだ。そして、生を見い出すために自身の命を投げ出すようになった時、第二の密議を受けたことになる。
ゲブラーは、密議においては犠牲を捧げる神官である。ここで言う犠牲とは、自分に大切なものを投げ出すといった意味ではなく、より大きな善のために小さな善を意識的、積極的に切り捨てる、ということである。この決断が明瞭なら何の不公平もなく、心霊的エネルギーは選んだ通路の側に滞りなく流れていく。だが、選ばなかった方をただ禁止し、否定し、消し去ろうとした場合、その不幸な犠牲者はより大きな善を破壊する最悪の結果をもたらしかねない。ここで必要になるのがゲブラーである。ミクロコスモス、つまり人間の魂においてゲブラーとは、自己憐憫という病害から我々を解放する勇気であり、決断なのだ。
その辺りのことを含めて、動画解説を。
ゲブラーは第3セフィラ、ビナー「理解」と結びつく。宇宙チャクラではビナーには土星、ゲブラーには火星が配当されるが、これらがアストロロジーではそれぞれ大凶星、小凶星と呼ばれることからも、この2つの間には上辺だけでないつながりがあることが分かる(ビナーは原初の力に形を与え、その力を静的なものにすることから「死の運び手」と呼ばれ、ゲブラーはその火のような力が諸々の形を破壊する「破壊者」である。ゆえにビナーは永遠に力を形へと束縛し続け、ゲブラーは永遠にその形を粉砕し続ける)。
第5セフィラであるゲブラーは五角形で表されるが、5はカバラの体系では火星(マース)の数と見なされ、五角形は火星の象徴でもある。剣、槍、鞭、鎖は全て軍神マースの特徴を表し、よってゲブラーを象徴する魔術的武器でもある。タロットは4枚の「5」が配当される。
金属では鉄、植物ではオークがゲブラーに献じられるが、両者とも力を暗示するものである。また火を表すものとしてタバコやイラクサなどもゲブラーに配当される。色は赤。ゆえに宝石は深紅のルビーである。
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