深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

演劇的な、あまりにも演劇的な

2007-12-11 15:33:38 | 趣味人的レビュー
映画『アマデウス』の中に、サリエリがモーツァルトのオリジナル・スコア(楽譜)を見て衝撃を受けるシーンがある。それは明らかにオリジナルの手書きのスコアなのに、直しが全く入っていないのだ。モーツァルトにとって作曲とは、試行錯誤しながら音を作っていくのではなく、頭の中に聞こえる音楽をただ譜面に書き留めるだけの作業だったのである。

下北沢のシネマ・アートンで映画『ガラスの使徒(つかい)』の上映後、トークショーがあった。『ガラスの使徒』は劇団・新宿梁山泊を主宰する金守珍(キム・スジン)がNHKの『プロジェクトX』にインスパイアされて、職人を主人公に物作りに携わる人々を描く映画を作りたい、と考えたのが発端だった。そこで金は、そのシナリオを師である唐十郎(から・じゅうろう)に依頼したのだが、唐が仕上げてきたシナリオは当初のコンセプトとは似てもにつかない、奇怪で異様な物語だった。金もさすがにこれには困って、「唐さん、何とか手直ししていただけませんか?」と頼んだのだが、唐は「手直しはできない」と応じなかった。

金が語るには、実は唐の書くシナリオは手書きで、清書されたものではなくオリジナルその物であるにも関わらず、ほんの数カ所の書き損じの直しの痕があるだけで、いわゆる修正は皆無なのだという。つまり、唐の描く物語はそれ自体が1個の完成品であり、何かを変えたり削ったり付け加えたりすることは事実上、不可能なのだ、と。そう、モーツァルトのスコアのように。で、結局『ガラスの使徒』は唐のシナリオ通りに撮られ、奇怪で異様な唐的世界が横溢する作品となったのである。

映画『シアトリカル 唐十郎と劇団唐組の記録』は、唐十郎を中心に劇団・唐組が、2007年の春公演『行商人ネモ』の準備から大阪での初日を終えるまで、を取材したドキュメンタリーである。言ってみれば、小劇団の1つの舞台ができるまでの話、なのだが、唐十郎という途方もない怪物が暴れ回るこの作品は、並みの劇映画より遙かに暴力的で、奇怪で、異様な迫力に満ちている。

唐十郎、その芸名は「唐天竺に十人の勇者有り」という言葉に由来する。1964年、後に伝説となった劇団・状況劇場を旗揚げ。紅テントによる移動式劇場という、それまでにないコンセプトとロマンあふれる作品で大ブームを巻き起こし、唐は作家としても『佐川君からの手紙』で芥川賞を受賞。その後、状況劇場は1988年に唐と李礼仙(現・麗仙)の離婚を機に解散するが、新たに劇団・唐組を結成。現在まで毎年春・秋の公演を行い、67歳になる唐自身も、座付き作家兼俳優として今なお最前線で戦い続けている。

普段は温厚で腰が低く、言葉遣いも丁寧な好々爺然とした唐十郎が、ひとたび酒が入ると傍若無人で、横暴で、わがままになる、その変貌ぶりがとにかく凄まじい。また芝居となると、特に自分の演劇にほんのわずかでも気に障る物言いをされたが最後、たとえドキュメンタリーの撮影スタッフでも平気で怒鳴りつけ、罵倒する。唐組は唐十郎を絶対権力者として戴く組織であり、誰もそれに逆らうことは許されないのだ。劇団員の最初の試練は、まずそのことを受け入れることから始まるようだ。劇団員の藤井由紀は映画の中で、「劇団員として入ってくる人たちは皆、唐さんにあこがれて入ってくるのけれど、その多くは普段の唐さんを見るとショックを受けて心が折れ、辞めてしまう」と語っている。

劇団員の暮らしぶりもまた凄まじい。小劇団の劇団員が貧乏というのはよく知られた話だが、唐組もそれは同じ。長く主演を張ってきた稲荷卓央さえ数年間は全くの無給だった、ということを、以前唐組を取り上げたNHKの番組で視た記憶がある。ただ、最近は給料も出るらしい。現在4年目の劇団員、高木宏がいくらもらっているのかと聞かれて「15万です。凄いですよね。だって去年は10万だったんですから」と嬉々としてと語っていた。もちろん、ここで言っている15万は月給ではない。年給である。

唐十郎の描き出す世界は、上にも述べたように唐的妄想の横溢する奇怪で異様な世界だが、それはフィクションの中の話ではなかった。唐組そのものが唐の作り出した唐的世界だったことを、この『シアトリカル』は暴き出す。

世間では、ある分野で名を成した人には人格者であることを求めるが、それにはやはり無理があるような気がする。その人の光の当たっている部分が突出していればしているほど、影の部分もまた同じように突出していくものだから──ちょうど陰と陽のバランスを取ろうとする、何らかの力学が働くように。「天才と狂人は紙一重」という言葉は、そのことを表すのかもしれない。

傍若無人な絶対者である唐十郎は、しかし、裸の王様ではない。それは映画の中でも一部が出てくる『行商人ネモ』の舞台を観ればわかる。劇団員に向かって目をキラキラさせながら「観客が胸騒ぎするような芝居を作りたい」と語り、阿修羅のように進んでいく唐十郎の放つオーラは、なお輝きを失っていない。この映画のタイトル『シアトリカル』──theatricalとは、
1.演劇的な
2.芝居がかった
という意味だが、この『シアトリカル』は自分の全てを演劇に捧げた「演劇バカ一代」の演劇的な、あまりにも演劇的な生き様を垣間見せてくれるのである。

だが、注意せよ。この映画はそれだけでは終わらない。ラストで「はい、カット」の声の後、なお回り続けるカメラに向かって発した唐十郎の一言──その一言が、この映画の全てをひっくり返してしまう。この映画は危険な企みに満ちている。その企みを仕掛けたのは唐十郎か、監督自身か?

『シアトリカル』の公式HPはこちら

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2 コメント

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懐かしい・・ (kaoritaly)
2008-09-13 11:11:26
どうもこんにちは。『ダークナイト』でTB&コメントいただきましたkaoritalyと申します。

唐十郎・・最近は演劇は派手な大舞台しか観に行かなくなったのですが、15年くらい前までは、小さなテント劇団と人と仲良くなって足を運んでました。そして唐十郎の赤テントにも、生玉神社に足を運びましたねぇ~・・。懐かしいです。
そうそう、新宿の花園神社にも行きましたね・・。

あのパワーに今はついていけない自分です・・。
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コメントありがとうございます。 (sokyudo)
2008-09-13 17:35:20
kaoritalyさん、コメントいただき、ありがとうございます。

唐十郎と唐組は、相変わらず猥雑で得体の知れない(笑)芝居を続けています。その底知れないパワーには、ただただ脱帽するのみです。
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