深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

下北沢でアングラ芝居を観る

2005-12-31 15:30:28 | 趣味人的レビュー
年内の治療を12/29で終え、30日は下北沢のザ・スズナリに、新宿梁山泊のアングラ芝居を観に行った。こういう時でないと、平日には芝居やコンサートには行けないので、下北沢も含めて久しぶりのこと。演目は唐十郎書下ろしの『風のほこり』。

主人公の名は田口加代。パンフレットによると、唐十郎の母親の実名(旧姓の)であるらしい。と言っても、もちろん唐十郎が「女の一代記」なんかをやるハズがない。昭和5年の浅草を舞台に、芝居の脚本書き見習いの義眼の女、田口加代が、夢とも現実ともつかない出来事を旅する。

…う~ム、相変わらず唐十郎の書く芝居はよォわからん(笑)。言葉遊びのようなセリフの中に、不意に凶器/狂気/侠気にも近い愛の姿が立ち現れたりするのだが、またそれが言葉遊びの中に消えてしまったりもして…いつもいつも、芝居が指の間からこぼれ落ちていくのを、必死ですくい取ろうとして、そんなことをしているうちに、舞台の向こう側が夜の闇に向かって開いて、芝居が終わってしまう、という感じなのだ。
注:唐十郎の舞台は多くの場合テント公演で行われ、クライマックスでは舞台のセットの一部が崩れたりして外に向かって開き、虚構の世界である舞台が現実の世界とつながって(あるいは、虚構が現実の一部となって)終わる、というパターンが多い。ただ今回は劇場公演なので、壁をブチ抜くことはできないから、別の演出でそれをやっている。

それにしても、なぜ昭和5年? もちろん、20歳の自分の母親(の分身)を登場させるために、それに合わせたとも考えられるが、私はむしろ逆で、昭和5年を舞台にするために、たまたま当時、ちょうど20歳だった自分の母親を主人公として使ったのではないかと思うのだ。ではなぜ?

昭和5年はエログロナンセンスが大流行した時代であり、翌昭和6年には満州事変が勃発、日本そして世界は戦争の時代へと突入していく。唐の頭の中では、その昭和5年と平成17年が二重写しになって見えているのではないだろうか。だから、芝居の脚本書きの田口加代という、自分の母親の姿を借りた「もう一人の唐十郎」を主人公に置いたのではないか。

更に深読みすれば、今回の公演をテントではなく劇場公演としたのは、戦争と破滅へと突き進んでいく前触れだった昭和5年、そして再び同じところに進んでいく予感を漂わせた平成17年という「現実」と同化することなく、虚構を「力を持ったもう一つの現実」として屹立させようとしたのだとしたら…。
注:今回『風のほこり』を上演した劇団、新宿梁山泊は、紫テントによるテント公演でも非常に高い評価を得ている。唐十郎の芝居をやるなら、むしろテント公演という形がファースト・チョイスとしては、あったはず。

…いや、それは思い過ごしかな。まあ、『風のほこり』は同じザ・スズナリで1/1~4にもやるらしいので、興味のある方はどうぞ。

ところで、久しぶりの下北沢もまた変わっていた。以前行った時は、ラーメン屋とエスニック・フード(特にアジアン・エスニック)の店がやたら目に付いた。今回は、街を歩いてみると相変わらずラーメン屋は多いのだが、昔から下北でやっている店と、げんこつ屋や山頭火といった、有名ラーメン店のチェーンが中心。エスニック・フードの店は大幅に減って、居酒屋が妙に多くなっていた。それはなぜか?

私が思うに…って、もうやめよう。疲れた。来年は1/15に燐光群の舞台を観に、また下北沢に行く。

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