音に聞こえたセバスチアン・ジャプリゾの『シンデレラの罠』を、ついに読了。ワーイ、ワーイ この作品は、読み始めてから読み終わるまでに実に約35年かかったことになる。
『シンデレラの罠』といえば、世界的に有名なこのコピー。
わたしの名前はミシェル・イゾラ。
歳は二十歳。
わたしが語るのは、殺人事件の物語です。
わたしはその事件の探偵です。
そして証人です。
また被害者です。
さらには犯人です。
わたしは四人全部なのです。いったいわたしは何者でしょう?
世界のミステリ界に衝撃を与えたこのコピーは、『シンデレラの罠』を語る上で欠かせないものだ。私もまた、このコピーに惹かれて約35年前、創元推理文庫の『シンデレラの罠』(旧訳)を手にしたのだった。
しかしまた、このコピーによって、『シンデレラの罠』という物語は非常な誤解を受けてきたとも言えるのかもしれない。少なくとも私はこのコピーのために、35年間、この作品をずっと誤解していたのだから。
フランス・ミステリというものを多少なりとも知っていると、上のコピーからこの『シンデレラの罠』がどんな話なのかが、おおよそ想像できてしまう。いや、正確に言えば、読者に「この『シンデレラの罠』がどんな話なのかが、おおよそ想像できてしまう」と錯覚させてしまう、のである。
で、当時の私も、それが自分の想像したとおりの話であることを確認する、という消化試合のような感覚でこの『シンデレラの罠』を読み始めた。
フランス・ミステリの多くがそうであるように『シンデレラの罠』も文庫でおよそ250ページと、長編としては決して長い作品ではない。だが、そういう動機だったからなのか、日本語訳が悪かったせいなのか、とにかく読もうとしても先に進まない。いつもいつも、たった数ページの最初の1章を読むのがやっとで、そこから先は睡魔に襲われてページをめくることができなくなるのだ。そんなことを20年以上にわたって繰り返し、いつしか『シンデレラの罠』は私にとって「一生読み終わらないかもしれない本」になってしまった。この新訳が出るまでは。
そして今回、曲がりなりにも全体を通読してわかったのは、『シンデレラの罠』という物語の狙いは決してコピーで書かれているようなところにあるのではない、ということだ。もちろんコピーに書かれていることは嘘ではない。本文中にも
わたしは探偵、犯人、被害者、証人、その四人すべてなのだ。
という一文がある(上のコピーは、この一文をアレンジしたものだ)。だが、ジャプリゾがこの作品で仕掛けたのは、そんな「1人4役」などというショボいものではなく、「まさか、それを長編でやるか」という驚天動地のものである(注1)。そう、『シンデレラの罠』は一般に思われているのとは違った意味で、とんでもなく凄い小説だったのだ。
そして例のコピーも、実は「『シンデレラの罠』という物語の真の姿をカムフラージュするためのミスディレクション(注2)」という罠ではなかったのか、とさえ思えてしまう。ジャプリゾ、恐るべし。
これを機会にまたフランス・ミステリ、特にジャプリゾの作品を読み直したいとも思うが、残念ながら現在のところ、今回新訳が出た『シンデレラの罠』を除いて、ことごとく絶版という状態だ。
(注1)ただ、その仕掛けがあまりにも精緻に練り上げられたものであるため、一読しただけではその凄さがピンと来ない。なので、その辺は本文を読み終えた後に新訳版の解説を見てほしい。
(注2)ミステリの世界でよく使われる用語で、「相手の注意を間違った方向に誘導すること」の意。
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