深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

ディクシャ体験記

2007-07-23 18:46:48 | 一治療家の視点

mixiで、りゅうしろうさん主催のワークショップ『元気と勇気の祭り』というのを知り、去る7/16(月・祝)にそれにに参加してきた。これは毎月行われていて、今回が第4回とのこと。内容はいくつかのワークの集合体で、今回は「マインドの達人になる」というテーマで、フラット・マインド・リンスニングなどさまざまなワークが行われたが、その中で最後に受けたディクシャについて述べたい。

ちなみにディクシャについては、私はこのワークショップに出るまで名前すら知らなかった。ディクシャとは、施術者(デクシャ・ギヴァーと言う)が相手の頭に触れ、そこからエネルギー(インドの行者、カルキ・バガヴァン自身のヴィジョン)を送り込む、というエネルギー・ワーク的なヒーリング・テクニックの一つ、というのが私の理解。ディクシャを受けたときの感じは、個々人で全く異なるというが、私自身が感じたことを以下に述べると…

ディクシャはまず、全員が座った状態で瞑想に入るところから始まり、次いでディクシャ・ギヴァーが順番に一人5回ずつ、頭に触れていく。
最初に触れられた時、自分の頭の中心(解剖学的には、第3脳室の当たり)から脊柱を伝って仙骨まで、何かが流れ下るような感覚を感じた。
二度目に触れられた時、今度は逆に、仙骨から頭の中心へと何かが流れ上がっていく感覚があった。
三度目に触れられた時、自分の体が座った状態のままスーッと前に移動していくような感覚があった。
四度目に触れられた時は、自分の体は上体を起こして座ったままだったのに、自分が後ろに倒れていくような感覚を感じた。
五度目に触れられた時、今度は自分が小さくなって心臓の当たりにスーッと移動し、そこに留まるのを感じた。
また、四度目に触れられた頃から、頭蓋の縫合がゆるんだように外に広がって、頭の部分と外の世界の境界が曖昧になったような奇妙な感覚もあり、ディクシャが終わって目を開いた後も、自分の肉体とエネルギー体とが微妙にズレているような感覚が少しの間、私の中に残っていた。

ディクシャ・ギヴァーが頭に触れている時間は、1回当たり30秒くらいだったと思う。また、ほとんど圧をかけるでもなく、単に「触れている」という感じのコンタクトだが、触れ方というのはあるようだ。

私は自分が頭蓋にコンタクトして行うクラニオセイクラル(クラニオ)/クラニアル・ワークを行うので、このディクシャはそれとの比較からもとても興味深いものだった。クラニオの場合、頭蓋の解剖学・生理学的な理解のみに基づいて、その動きの乱れを物理的に調整するバイオメカニカル派から、動きを調整するどころか「“何もしない”ということをする」バイオダイナミック派まで、さまざまな流派?が存在するので、一概には言えないが、ディクシャはバイオダイナミック・アプローチに近い感じだ。

ただ、ディクシャとクラニオの大きな違いは、クラニオはバイオダイナミクス派でも解剖学・生理学的な理解がまずベースとしてあり、その上に(結果として)エネルギー・ワークとしての部分があるが、ディクシャはそうした西洋医学的なものを基盤としない、純粋なエネルギー・ワークである(らしい)こと。そして、もう一つは相手の頭部に触れている時間の短さである。

一般にクラニオを行う場合、恐らく最低でも20分はかかるだろう。実際、マイケル・ケーンはその著書『ウィズダム・イン・ザ・ボディ』の中で、

一般的に、おそらく何分かして全身が沈静化すると、患者の生理の中に触診できる変化が起こる。これは時にホリスティック・シフト(holistic shift)と呼ばれ…固有治療プランはこの場所から現れ出すので、それは実際にセッション・ワークにおける最良の開始点なのである。ホリスティック・シフトは現れるのに10分を要することがある。

と述べている。つまり、最低10分は患者の頭にコンタクトし続ける必要がある、というわけだ(バイオメカニクス派の施術はもっと短くてすむかもしれないが)。だから、クラニオの施術者にとっては、ディクシャで、あの短時間のコンタクトであれだけの変化を引き出せるという事実は、非常に興味深いものがある。

ちなみに、バイオダイナミクス派の大御所?の一人、フランクリン・シルズは"CRANIOSACRAL BIODYNAMICS"の中で、「施術者がコンタクトする手は患者の組織に浮かぶように接するものでなけれならないが、同時に患者に接触し続けていなければならない」という趣旨のことを繰り返し述べているが、私はこの部分には疑問を持っている。実際、私は練習を兼ねて自分の体を実験台にクラニオを行っているが、最近は全く手で触れることをせずにやる方法を試している。その結果として、クラニオもコンタクトは不可欠の要素ではない、という結論に傾きつつある。

もちろん、ディクシャは私が試している「ノー・コンタクト・クラニオ」とはまた別のものなので、誤解なさらぬよう。

ディクシャでは、去年ルンルを受けた時の、全身のチャクラが順番に開くような感じとはまた別の、不思議な感じを得ることができた。正直言って、今の自分のクラニオではディクシャのあの感覚を引き出すところまでは達していないと思う。世の中は広い。とてもいい経験ができた。また機会があったら受けてみたいと思う。

ああ、それからディクシャを受けた後、消えていた左目の痛みがまた現れた。左椎骨動脈を治療したことで、しばらくなくなっていたのだが、ディクシャによって別の隠れていた問題が表面化したのかもしれない。今のところ左鱗状縫合を治療して様子を見ている。


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