唐組2009年春の公演は『黒手帳に頬紅を』。そして見よ、新宿は花園神社に立つ紅テントの姿を!
黒手帳というと、松本清張の『黒革の手帳』が頭に浮かぶ。『黒革の手帳』は、銀行の女子行員が税金逃れの架空口座の情報を黒革の手帳に書きため、それを有力者への強請(ゆすり)のネタとして使いながら、銀座のクラブのママにのし上がっていく話で、米倉涼子主演のテレビドラマ化が話題になり、同じ米倉涼子の主演で舞台化もされている。
しかし、唐十郎(から じゅうろう)の『黒手帳に頬紅を』は『黒革の手帳』とは比較にならないくらい、しみったれた話だ。
舞台は東京、南千住。そこにある、おしるこ屋・デカダンに間借りして似顔絵を描く似顔絵師・泡之次郎(あわの じろう)が、病床の老人・波原から似顔絵代の代わりに、と黒い手帳を渡されたところから物語は始まる。その黒手帳とは、炭坑夫だった波野が支給された就労証明書。そして泡之は、工務店の店長・暮谷らを相手に、その黒手帳を巡って争うことになる──のだが、実はその黒手帳=就労証明書は既に有効期限が切れていて、それを持っていたとしても、もう波原の代わりに失業手当を得ることはできない。つまり、1文のカネにもならないワケ。
そんな、ただの擦り切れた黒手帳を、夢野久作の『斜坑』の一節を頼りに、伝説の鏡ヶ池の底に今も残るという坑道への道標と信じ、己の全存在を賭けて守り抜こうとする泡之たちと、それを全否定しようとする暮谷たちという、いつもの唐十郎の芝居の構図の中で、舞台の奥が開いて虚構が現実へとつながり、何だかよくわからないうちに大団円。
かつて寺山修司は、普通の生活空間が何の前触れもなく演劇の舞台になる、市街劇『ノック』などで、「虚構による現実の侵犯」を試みた。しかし、路上パフォーマンスが日常の風景に溶け込んでしっまっている現在、どこからが虚構でどこからが現実なのか、あるいは実は全てが虚構なのか、それすらわからなくなっている。例えば、2008年に秋葉原で起きた連続殺傷事件などは、寺山修司でさえ到達できなかった、ある意味、虚構と現実が織りなす1つの究極の姿を現出させたものと見ることもできる。
そんな中、唐十郎が描いてきたのは、現実と決して混じり合うことのない(あるいは、混じり合うことのできない)純粋な虚構の持つ美しさ、おかしさ、はかなさであり、それゆえに、常にそちら側に立つ彼の描く作品の主人公は(そして、もしかしたら唐十郎自身も)、最初から敗北が運命づけられている。それでもなお、唐十郎の描く世界が輝いているように見えるなら、それは敗れ去っていくものの輝きに他ならない。『夜の果てへの旅』『なしくずしの死』などを書いたフランス文学界の異端児、ルイ‐フェルディナン・セリーヌの「真の文学は常に必敗の文学である」という言葉は、今でも私の胸に残っている。
いつもながら、不思議で、猥雑で、切なくて、懐かしくて、バカバカしくて、楽しい舞台をありがとう。
最新の画像[もっと見る]
- レビューが「図書新聞」に載る 2ヶ月前
- レビューが「図書新聞」に載る 2ヶ月前
- カバラと「生命の木」 36 6ヶ月前
- 水道料金の督促が来た 12ヶ月前
- 1年前の食べかけのシュトレンが見つかる(´エ`;) 1年前
- 1年前の食べかけのシュトレンが見つかる(´エ`;) 1年前
- カバラと「生命の木」 35 1年前
- カバラと「生命の木」 34 2年前
- 楽天カードから身に覚えのないカード利用が! 2年前
- カバラと「生命の木」 33 2年前
「鋼の錬金術師」は、深い~!で
楽しいのですが・・・
「新・鋼の錬金術師」は、
先生の前振りもあったので期待していたのに・・・
前作と変わらないストーリーにがっかりです。
あいのり もERもプリズンブレイクも終わってしまい
寂しい限りです。
面白いTVが無い時こそ、動画編集でも練習しなければ!
苦手分野はなかなか進みません。
>「新・鋼の錬金術師」は、
先生の前振りもあったので期待していたのに・・・前作と変わらないストーリーにがっかりです。
今回の『ハガレン』のアニメ化のキモは、「原作に準拠する」というものらしいです。前回は原作が未完結なため必然的に、途中からアニメ・オリジナルのストーリーになっていきましたが、それを原作にほぼ忠実な形で再度アニメ化する、というのが今回の『ハガレン』のようです(が、実は今回もまだ原作は未完結)。
Gyaoのコメントを見ても「続きかと思ったら単なるリメイクでガッカリ」とか「前の方が良かった」のような意見が結構ありますね。作り手もそう言われるのは覚悟の上でしょうから、前回とは本当に別のストーリーになる後半戦に期待、です(ちなみに私、原作は始めの方の部分しか知りません)。