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血の物語

2018-05-13 12:24:43 | 趣味人的レビュー

新宿梁山泊の『少女都市からの呼び声』に続いて、今度は新宿花園神社に、唐十郎(から じゅうろう)が主宰する唐組の30周年記念公演『吸血姫(きゅうけつき)』を見に行ってきた。『吸血姫』は状況劇場での初演以来、唐十郎としては47年ぶりの再演ということだが、2000年に新宿梁山泊が芝居砦・満点星のこけら落としとして上演していて、私はそれも見ている。

唐組の公演は、ある時(『透明人間』でだったか)、舞台の役者陣に「みんな何だか歳を取ったなあ」と感じて、それ以来足が遠のいていたが今回、梁山泊の舞台でも印象深かった『吸血姫』をやるというので久々に行ってみることにしたのだ。

結論から言うと、唐の娘と息子である大鶴美仁音(みにおん)と大鶴佐助が重要な役どころを演じ、彼ら若手と、客演した銀粉蝶、唐組古参の久保井研や藤井由紀といったベテランとが織りなす舞台は静かなエネルギーに満ちて、どちらかというと動きの激しさや勢いで見せた梁山泊の『吸血姫』とは対照的な舞台になっていた。そしてヒロインを演じた大鶴美仁音は、梁山泊版での近藤結宥花(ゆか)にも勝るとも劣らない美しさと凄みがあった。


さて『吸血姫』だが、人の血を求めるヴァンパイアが出てくるわけではない(そりゃあ『デビルズライン』だ)。舞台は一応、赤十字が経営する江ノ島愛染病院らしい(が、その病院は関東大震災の津波に飲まれ、もう存在しないことが物語の中で明らかになる)。そこの元看護婦、高石かつえは国際劇場での歌手デビューを目指して白衣の天使隊を結成し、練習に余念がない。だが、その前に突然、ねんねこ半纏姿の妙にへりくだった男が現れ、「背中の子を産んだのはお前だ」と告げたことで、かつえは狂ってしまう(のだが、かつえ自身は物語本編には全く絡まない)。
ここで自分の血を売りながら天職を探す青年、肥後が登場し、かつえをマネージメントして稼ごうとしたがダメになった自称、鬼のマネージャー、花形に自分を売り込もうとするが、一蹴されてしまう。鼻血を出して倒れ伏す肥後。そこに人力車に乗って現れたのが、関東大震災の被災者の幻を追ってさすらう自称、引っ越し看護婦の海之ほおずきだった。肥後を介抱してともに旅立つ2人。だが、ほおずきの父を名乗る男が現れると、そこから海之ほおずき=古賀さと子のおぞましい過去が明らかになっていく…。


…と粗筋(の一部)を書いてみたものの、一度でも唐十郎の舞台を見るとわかるが、とても粗筋など書けるようなものではない。物語は夜の夢に出てくる話のように一貫性を欠いていて脈絡がなく、つい昨夜見たばかりなのに一体どんな話だったのかよく思い出せなくなっている。だから上の粗筋もチラシにある物語紹介を参考にして書いたものだ(なお、演出した久保井研が今回の作品について語った記事があったので、参考までに)。

『吸血姫』はタイトル通り「血の物語」である。その1つは赤十字が行っている献血、そして初演された1960年代当時にあった売血が物語の中に組み込まれていることだが、もう1つは古賀さと子のエピソードの中で明らかになる。それは初演から40年以上経った現在でも変わらぬ衝撃を持つ「人の業」そのもののようなエピソードで、そこから『吸血姫』というタイトルを振り返った時、唐がタイトルに込めた本当の意味がわかる、という趣向(これ以上はネタバレになるので、興味がある人は公演を見よう)。

「血の物語」といえば、『吸血姫』に限らず唐作品には1つのパターンがある。後ろ暗い過去を抱えたヒロインがその過去に追い詰められ、惚れた男のため自らの体を傷つけることになるのだが、その行為は男に誤解されて男は去り、結局2人が結ばれることはない、というもので、『吸血姫』でもそのパターンが踏襲される。けれども今回の演出では血糊は少なめで、その分、ヒロインの持つ「血の業」がクッキリと浮かび上がる構成になっていたように思う。

写真は終演後の紅テント前の様子。


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