「驚愕のラストが待っている」というレビューを見て観に行った、劇場アニメ『さかさまのパテマ』には、なつかしい昔の宮崎アニメの匂いがした。
『さかさまのパテマ』を観ていたら、『天空の城ラピュタ』のシーンが次々に思い出された。
──『ラピュタ』では飛行石を抱えて空から落ちてきた少女シータを、炭坑町で働く少年バズーが抱えるが、『パテマ』では「空に向かって落ちていく」少女パテマを、空を見上げる自由もない完全管理体制の社会を生きる少年エイジが抱きとめる。
──『ラピュタ』ではバズーの父親は飛行機で「龍の巣」と呼ばれる雲海に入り、ただの伝説と思われていたラピュタを撮った写真を残して亡くなり、『パテマ』ではエイジの父親はタブーであった空に挑み、落下して死んだ。
──『ラピュタ』にも『パテマ』にも少女を追う権力を持った男がいて、少年はその勢力と戦いながら、その中で隠されてきた世界の真実を知っていくことになる。
宮崎駿はある時点で「物語を語る」ことをやめて、(動いている)絵を見せるために作品を作る方向に転換してしまい(それが最も顕著に表れたのが『崖の上のポニョ』だと私は思っている)、私は宮崎アニメを見れなくなってしまった。その昔の宮崎アニメの香りをジブリとは関係ない『さかさまのパテラ』で思い出すとは…。しかも、宮崎駿が引退を正式に表明した後で。
『さかさまのパテマ』は「上下逆さまの世界」という「アイディア一発ネタ」の作品だが、最後までその軸がブレれていないのがいい。パラダイム・シフトとか価値感の転倒とかいうことが、しばしば言われるが、それが具体的にどういうことなのか、ということが『パテマ』を見ると体感覚としてわかる。それは本当に怖いものだ。
だから、それを体感覚で知ると、そんなことを安易に口にすることはできなくなる。
と同時に、その先には全く新しい世界が広がっていることもわかる。その世界に行く鍵は「ただ飛び込め」だ。ただ飛び込め。後は何とかなる。
そして物語は逆転のラストに向けて進む。あなたはその先に何を見るか?
『さかさまのパテマ』は大傑作というわけではないが、心に涼やかな風を呼び込んでくれる、そういう作品だ。
音楽は大島ミチル。その主題歌「Patema Inverse」の一部を、映像とともに。
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