オウム真理教の教祖、麻原彰晃こと松本智津夫の死刑が確定した。本来なら、これは10年以上に及ぶオウム裁判の1つの山場となるべきことであったにも関わらず、何ともシマらない形での決着となった。これによって、何も語らなかった教祖は、何も語らない(あるいは、何も語れない)まま、文字通り去っていくことになる。
日本は一応「法治国家」という看板を掲げているので、裁判という手続きを踏まなければならないが、この裁判の目的は被告の有罪・無罪の認定や量刑の確定にあったのではなく(麻原が死刑になることは、最初から決まっていた)、教祖に自らの口で事件について語らせ、あわよくば謝罪させることにあったはずだ。それが全く果たされなかったという意味で、この裁判は麻原の勝利に終わったのだとも言える。
私はオウムの主だった幹部と、ほぼ同世代に当たる。だから、今もって「教団はなぜ武装化したのか」「なぜ殺人を犯したのか」といった問いがなされる中で、もしかしたら、彼らが本当は何をしようとしていたのか、他の人たちより、理屈の上ではなく皮膚感覚としてわかるのではないかと思う。もちろん、私はオウム真理教やオウム事件を専門的に調査・研究しているわけではなく、明確な根拠も示すことはできないが、おそらくそれほど的外れなものではないだろう。
オウム真理教の幹部は、ある時期から本気で、自分たちの国を作ることを考えたのだと思う。地下鉄サリン事件の後の教団施設に対する強制捜査で、教団組織が科学技術省、諜報省、治療省、…といった省庁形式に編成され、教祖のための法皇官房まであることが明らかになった。更に、この組織編成を基礎としたオウム真理教による新国家--確か、太陽寂静国という国名だったと思う--の青写真まで用意されていた。まるで日本国の出来の悪いパロディのようだと評され、今では一連のオウム裁判の中でも、このことが取り上げられることはないが、私はあれこそがオウム真理教とオウム事件の核心だと、今でも思っている。
例えば、地下鉄サリン事件は、捜査の手が教団に及ぶことを恐れた上層部が、警察を目を教団からそらすために仕組んだ事件だった、というのが大方の一致した見方だ。そのこと自体は間違ってはいないと思うが、では彼らは捜査によって教団の何が発覚することを恐れたのか? もちろん、坂本弁護士一家殺害など、教団が過去に起こした一連の事件のこともあるだろうが、彼らが最も恐れたのは、日本からの独立戦争計画が発覚することだったのではないだろうか。
自動小銃そして毒ガス兵器の開発、更にはオーストラリアでのウラン鉱脈の調査や、ロシアと潜水艦購入の交渉までしていたというオウムがやっていたのは、単なる「教団の武装化」ではなく「独立戦争と国軍設立の準備」だったと考える方が自然だ。彼らの新国家建設の青写真は、東京を占領して、そこにオウム真理教を国教とする太陽寂静国を建国する、というものだった。教祖に絶対忠誠を誓う信者からなる武装化部隊が、同時多発的に東京を襲撃し占領。いまくいけば、天皇を人質に取り、天皇の身柄と交換に自分たちの新国家を日本国に承認させる。…そんなマンガのような荒唐無稽なプランを、彼らはある時期、本気で推し進めようとしていたのだと思う。だから、地下鉄サリン事件は太陽寂静国の歴史書にはこう書かれることになっていたはずだ。「それは、日本国からの独立戦争の始まりだった」と。
オウムがそんな「国家建設」へと向かうきっかけとなったのは、おそらく満を持して?臨んだ衆院選での敗北だったと思う。彼らはそこで、日本国は自分たちを受け入れてはくれないと考え、自分たちだけの「夢の国」を造ろうとしたのではないか。この当たりは、ユダヤ人によるイスラエルの建国と二重写しになって見えてくる。実際、もし仮に太陽寂静国が出来ていたら、それは日本国にとって、中東におけるイスラエルのような存在になっていたはずだ。だが、太陽寂静国はペーパー・プランのまま終わり、教祖は死刑が確定し、教団は分裂状態にある。皮肉にも、その始まりは地下鉄サリン事件だった。今、地下鉄サリン事件は「カルト教団が捜査の攪乱を狙って起こした、未曾有の大惨事」として記録されている。
GOD'S IN HIS HEAVEN, ALL'S RIGHT WITH THE WORLD
(『新世紀エヴァンゲリオン』より、ネルフ(NERV)のマークの中の言葉
──神は天にあり、すべて世はこともなし)
日本は一応「法治国家」という看板を掲げているので、裁判という手続きを踏まなければならないが、この裁判の目的は被告の有罪・無罪の認定や量刑の確定にあったのではなく(麻原が死刑になることは、最初から決まっていた)、教祖に自らの口で事件について語らせ、あわよくば謝罪させることにあったはずだ。それが全く果たされなかったという意味で、この裁判は麻原の勝利に終わったのだとも言える。
私はオウムの主だった幹部と、ほぼ同世代に当たる。だから、今もって「教団はなぜ武装化したのか」「なぜ殺人を犯したのか」といった問いがなされる中で、もしかしたら、彼らが本当は何をしようとしていたのか、他の人たちより、理屈の上ではなく皮膚感覚としてわかるのではないかと思う。もちろん、私はオウム真理教やオウム事件を専門的に調査・研究しているわけではなく、明確な根拠も示すことはできないが、おそらくそれほど的外れなものではないだろう。
オウム真理教の幹部は、ある時期から本気で、自分たちの国を作ることを考えたのだと思う。地下鉄サリン事件の後の教団施設に対する強制捜査で、教団組織が科学技術省、諜報省、治療省、…といった省庁形式に編成され、教祖のための法皇官房まであることが明らかになった。更に、この組織編成を基礎としたオウム真理教による新国家--確か、太陽寂静国という国名だったと思う--の青写真まで用意されていた。まるで日本国の出来の悪いパロディのようだと評され、今では一連のオウム裁判の中でも、このことが取り上げられることはないが、私はあれこそがオウム真理教とオウム事件の核心だと、今でも思っている。
例えば、地下鉄サリン事件は、捜査の手が教団に及ぶことを恐れた上層部が、警察を目を教団からそらすために仕組んだ事件だった、というのが大方の一致した見方だ。そのこと自体は間違ってはいないと思うが、では彼らは捜査によって教団の何が発覚することを恐れたのか? もちろん、坂本弁護士一家殺害など、教団が過去に起こした一連の事件のこともあるだろうが、彼らが最も恐れたのは、日本からの独立戦争計画が発覚することだったのではないだろうか。
自動小銃そして毒ガス兵器の開発、更にはオーストラリアでのウラン鉱脈の調査や、ロシアと潜水艦購入の交渉までしていたというオウムがやっていたのは、単なる「教団の武装化」ではなく「独立戦争と国軍設立の準備」だったと考える方が自然だ。彼らの新国家建設の青写真は、東京を占領して、そこにオウム真理教を国教とする太陽寂静国を建国する、というものだった。教祖に絶対忠誠を誓う信者からなる武装化部隊が、同時多発的に東京を襲撃し占領。いまくいけば、天皇を人質に取り、天皇の身柄と交換に自分たちの新国家を日本国に承認させる。…そんなマンガのような荒唐無稽なプランを、彼らはある時期、本気で推し進めようとしていたのだと思う。だから、地下鉄サリン事件は太陽寂静国の歴史書にはこう書かれることになっていたはずだ。「それは、日本国からの独立戦争の始まりだった」と。
オウムがそんな「国家建設」へと向かうきっかけとなったのは、おそらく満を持して?臨んだ衆院選での敗北だったと思う。彼らはそこで、日本国は自分たちを受け入れてはくれないと考え、自分たちだけの「夢の国」を造ろうとしたのではないか。この当たりは、ユダヤ人によるイスラエルの建国と二重写しになって見えてくる。実際、もし仮に太陽寂静国が出来ていたら、それは日本国にとって、中東におけるイスラエルのような存在になっていたはずだ。だが、太陽寂静国はペーパー・プランのまま終わり、教祖は死刑が確定し、教団は分裂状態にある。皮肉にも、その始まりは地下鉄サリン事件だった。今、地下鉄サリン事件は「カルト教団が捜査の攪乱を狙って起こした、未曾有の大惨事」として記録されている。
GOD'S IN HIS HEAVEN, ALL'S RIGHT WITH THE WORLD
(『新世紀エヴァンゲリオン』より、ネルフ(NERV)のマークの中の言葉
──神は天にあり、すべて世はこともなし)
無いと思ったら図書館にありましたので…。
まだ第一部の第二章ですが、「ああ、そうだったのか」と思い当たることが多いですね。
自分の心臓の主張を自覚することは無いのですが(気付いてやれない?)、精神的な峠を経験して以降、雪や桜の花びらや、枯れ枝や風、そういったものにホッと胸を解放するひと時を、体が求めるままに持つようにしてきたのは事実。
血が沸々とする程、同じ空間にいたくない人物がいるのも事実。
せっかく動物でいるのだから、いわゆる「第六感」を大事にしたいと思います。
それにしても「エネルギー」って何だろう?
さて、オウムですが…脳みそ集団でしょうか。
養老先生みたいな表現ですけれど。
>さて、オウムですが…脳みそ集団でしょうか。
う~む、どうなんでしょうねぇ…。
でも、彼らも最初から意図的に社会を混乱させようと画策していたわけではないと思うのです。おそらく、彼らには彼らの正義--人々を(オウムの教義に基づいた)高い精神レベルに引き上げる、とかいった--があって、「今、それをやらなきゃ」といった思いに駆り立てられるようにして(あるいは、誰かが信徒を駆り立てて)、「自分たちの正義」に向かって暴走してしまった結果なのではないかと。
いまだに裁判で一部の信徒が罪を認めていないのも、よく言われているような「まだ、マインドコントロールが解けていない」のではなく(あるいは、単にそれだけが理由なのではなく)、「そもそも、自分たちは正義のために行動したのであって、悪いことは何もしていない」という、確信に近い気持ちがあるからでしょう。
この当りは、私には、国際社会からどれだけ非難を浴びても、いまだに自分たちの正義を主張し続けるアメリカの姿とダブって見えてしまうのです。
そう言えば、「アメリカは成功したオウム真理教だった」というコンセプトで書かれた小説『アメリカ第二次南北戦争』(佐藤賢一著、光文社刊)を本屋で見ました。