【1979年】(浪人)
H上京。
"And I Love Her"
火曜日。
Hが上京して來た。
これが年内最後の上京だつた。
いつものやうに穗高での逢瀬。
私は 11日に判明した全國17位といふ快擧 をHに報告した。
Hからの「凄い!」といふ賞讚が心地好かつた。
これで私はHと付合ふにふさはしい男に一歩近づけたやうな氣がしてゐた。
たぶん、ドヤ顏をしてゐたことだらう。
そんな氣持ちもあつて、手帳に"And I Love Her"なんて書いたのかもしれない。
私の好きなビートルズの曲だ。
もうこれで暫くは逢へない。
いや、暫くどころか、これが最後かもしれない。
2人とも失敗すれば、東と西に別れ別れ。
2人とも合格しても、東と西に別れ別れ。
2人が一緒の地域にゐるための條件は、どちらか一方だけが合格すること。
複雜な心境だつたが、どうしようもない。
とにかくベストをつくすしかない。
【1980年】(1囘生)
バイト ¥6,160
木曜日。
大家さんの實家、鞍馬にある 「京・くらま 林」 でのバイト。
11月26日から始めて、この日で15日目。
15日は雪、16・17日は風邪で休んだので、4日ぶりのバイトだつた。
【1981年】(2囘生)
E鴫原 發表豫定 ~ 發表せり!
體育休み
金曜日。
鴫原教授の英語の講義は、クラシック音樂を題材にした講義だつた。
單位が安いことで有名だつたので、講義登録には大勢の學生が押し寄せ、テストによる選拔となつた。
テストは、クラシック音樂を聽いて曲名や演奏家を當てるといふ、かなりマニアックなもの。
私は、クラシックに詳しいカワムラのお蔭で、このテストをクリアすることが出來た。
鴫原教授は出席をとつてゐなかつたやうに記憶してゐる。
そのかはり、發表の機會が順番に廻つてくるのだが、その發表さへしてゐれば良かつた筈。
つまり、逆に云へば、發表することが重要だつた。
そのためには、發表の順番を數へて自分の順番を明確にしておく必要がある。
私は自分の發表することになるであらう日を手帳にしつかりとメモしておいた。
それがこの日だつたわけだ。
しかしリスクはある。
休講があつたり、發表豫定者が講義に出てこなかつたりすると順番は狂つてしまふ。
そのやうな事態が生じてゐるかどうかは、毎囘出席してゐなければわからない。
しかし、毎囘出席するやうなマメな連中は、さうさうこの講座をとつてはゐない。
もちろん、私も毎囘出席するほどにはマメではない。
つまり、これは一種の博奕であつて、發表する筈の日に出席しても發表できないこともあるわけだ。
發表できたことは、さういふ意味では奇跡と云つてもよい。
だから、「發表せり!」などといふ、大本營發表のやうなことを書いてゐたのだらう。
【1982年】(3囘生)
小5(殘り)、中1B(2科目)、中2(2科目)
土曜日。
奈良・富雄の本部から預つた、K教育センター共通テストを實施。
【1983年】(4囘生)
投票
9:30 枚方。父兄面談
日曜日。
前夜からの大雪で、朝、あたりは眞つ白だつた。
その中を朝一番で選擧に出かけた。
なんの選擧だつたのかは覺えてゐない。
父兄面談のために9時半に枚方へ。
H上京。
"And I Love Her"
火曜日。
Hが上京して來た。
これが年内最後の上京だつた。
いつものやうに穗高での逢瀬。
私は 11日に判明した全國17位といふ快擧 をHに報告した。
Hからの「凄い!」といふ賞讚が心地好かつた。
これで私はHと付合ふにふさはしい男に一歩近づけたやうな氣がしてゐた。
たぶん、ドヤ顏をしてゐたことだらう。
そんな氣持ちもあつて、手帳に"And I Love Her"なんて書いたのかもしれない。
私の好きなビートルズの曲だ。
もうこれで暫くは逢へない。
いや、暫くどころか、これが最後かもしれない。
2人とも失敗すれば、東と西に別れ別れ。
2人とも合格しても、東と西に別れ別れ。
2人が一緒の地域にゐるための條件は、どちらか一方だけが合格すること。
複雜な心境だつたが、どうしようもない。
とにかくベストをつくすしかない。
【1980年】(1囘生)
バイト ¥6,160
木曜日。
大家さんの實家、鞍馬にある 「京・くらま 林」 でのバイト。
11月26日から始めて、この日で15日目。
15日は雪、16・17日は風邪で休んだので、4日ぶりのバイトだつた。
【1981年】(2囘生)
E鴫原 發表豫定 ~ 發表せり!
體育休み
金曜日。
鴫原教授の英語の講義は、クラシック音樂を題材にした講義だつた。
單位が安いことで有名だつたので、講義登録には大勢の學生が押し寄せ、テストによる選拔となつた。
テストは、クラシック音樂を聽いて曲名や演奏家を當てるといふ、かなりマニアックなもの。
私は、クラシックに詳しいカワムラのお蔭で、このテストをクリアすることが出來た。
鴫原教授は出席をとつてゐなかつたやうに記憶してゐる。
そのかはり、發表の機會が順番に廻つてくるのだが、その發表さへしてゐれば良かつた筈。
つまり、逆に云へば、發表することが重要だつた。
そのためには、發表の順番を數へて自分の順番を明確にしておく必要がある。
私は自分の發表することになるであらう日を手帳にしつかりとメモしておいた。
それがこの日だつたわけだ。
しかしリスクはある。
休講があつたり、發表豫定者が講義に出てこなかつたりすると順番は狂つてしまふ。
そのやうな事態が生じてゐるかどうかは、毎囘出席してゐなければわからない。
しかし、毎囘出席するやうなマメな連中は、さうさうこの講座をとつてはゐない。
もちろん、私も毎囘出席するほどにはマメではない。
つまり、これは一種の博奕であつて、發表する筈の日に出席しても發表できないこともあるわけだ。
發表できたことは、さういふ意味では奇跡と云つてもよい。
だから、「發表せり!」などといふ、大本營發表のやうなことを書いてゐたのだらう。
【1982年】(3囘生)
小5(殘り)、中1B(2科目)、中2(2科目)
土曜日。
奈良・富雄の本部から預つた、K教育センター共通テストを實施。
【1983年】(4囘生)
投票
9:30 枚方。父兄面談
日曜日。
前夜からの大雪で、朝、あたりは眞つ白だつた。
その中を朝一番で選擧に出かけた。
なんの選擧だつたのかは覺えてゐない。
父兄面談のために9時半に枚方へ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます