20年前、大阪は堂島にあつた「ワルツ堂」でのこと。
會社歸りにふらりと立ち寄り、レコードでも漁らうかと店に入つた。
その時、店内に流れてゐたのは、ベートーヴェンの第9だつた。
コートを着てゐた記憶があるので、もしかしたら12月だつたのかもしれない。
既に演奏は第4樂章、いはゆる「合唱」の中盤だつたと思ふ。
聽くとはなしに聞いてゐたのだが、音質が惡いなあと思つてゐた。
リヒテルの輸入盤などを搜してゐるうちに、演奏はフィナーレを迎へてゐた。
フルトヴェングラーのバイロイト盤を聞き慣れてゐた私は、無意識の裡にアッチェレランドを豫想してゐたのだつた。
ところが・・・
なんと、正反對のアラルガンド!
なんぢや、こりやあ!
この店ではかけてゐるレコードのジャケットを立てかけてゐたので、すぐにそこに歩み寄つた。
すると、「メンゲルベルク指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ・オーケストラ」とあつた。
これが、私とメンゲルベルクの第9の出會ひだつた。
以來、もう一度、聽いてみたいとは思ふものの、なかなかCD化されなかつたやうで、そのうち忘れてしまつた。
昨年、たまたま、ヤフオクでベートーヴェンの交響曲全集が出品されてゐたので、また思ひだした。
ああ、メンゲルベルクのあの印象的な第9を聽きたい。
さう思つてゐたら、先日またヤフオクでベートーヴェンの交響曲全集が出品されてゐた。
今度は首尾よく落札し、昨日、それが屆いたので、けふ、駐車場に止めてあるクルマの中で聽いた。
まづ驚いたのは、第1樂章。
豫想以上にテンポが速く、激しさを感じさせる演奏だつた。
チャイコの「悲愴」からは想像できない。
第2樂章もおほむね第1樂章の延長上にあるが、さらに荒々しさを感じさせる。
第3樂章。
來たあ~、と思はずクルマの中で叫んだ。
私のなかのメンゲルベルク像通りの、じつに濃厚な、とろけるやうな演奏。
1940年のライヴ録音ゆゑ、當時の演奏スタイルといへばいへるのかもしれないが、同時代の指揮者でもここまで弦にポルタメントを要求するのは珍しいのではなからうか。
ただ、とても殘念なのは、聽衆ノイズ。
第1・第2樂章では氣にならなかつたが、第3樂章に入つてから、咳の音が耳に障る。
極めつけは、何かモノを倒すやうな音。
こんな歴史的演奏の最中にモノを倒すなんて・・・(殺!)
最終樂章。
フルヴェンのバイロイト盤のやうな鬼氣迫る演奏ではないが、そのぶん美しい。
もちろん、音質は、24bitでリマスタリングしてゐるとはいへ、美しくはない。
演奏そのもの、特にソリストたちの聲のハモリ具合ひがよいのだ。
さらに、合唱とオケのバランスもなかなか。
だんだんフィナーレが近づいてくると、わくわくしてくる。
ああ、あのフィナーレにいよいよ再會するのだ。
・・・
思つてゐた以上の、なんといふか、まあこれは、いはゆるひとつの「藝」ですな。
歌舞伎の「大見得」、水戸黄門の印籠、横綱土俵入り?
いや、決してバカにしてゐるのではない。
68分間のドラマが終る、その終りをこのやうに強調しても良いではないかと思ふ。
何度も繰り返して聽くといふ演奏ではないが、ライヴでこれを聽いたら、いまでもかなり興奮すると思ふ。
クラシック音樂で、かういふ「大見得」切つてもいいぢやないか。
會社歸りにふらりと立ち寄り、レコードでも漁らうかと店に入つた。
その時、店内に流れてゐたのは、ベートーヴェンの第9だつた。
コートを着てゐた記憶があるので、もしかしたら12月だつたのかもしれない。
既に演奏は第4樂章、いはゆる「合唱」の中盤だつたと思ふ。
聽くとはなしに聞いてゐたのだが、音質が惡いなあと思つてゐた。
リヒテルの輸入盤などを搜してゐるうちに、演奏はフィナーレを迎へてゐた。
フルトヴェングラーのバイロイト盤を聞き慣れてゐた私は、無意識の裡にアッチェレランドを豫想してゐたのだつた。
ところが・・・
なんと、正反對のアラルガンド!
なんぢや、こりやあ!
この店ではかけてゐるレコードのジャケットを立てかけてゐたので、すぐにそこに歩み寄つた。
すると、「メンゲルベルク指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ・オーケストラ」とあつた。
これが、私とメンゲルベルクの第9の出會ひだつた。
以來、もう一度、聽いてみたいとは思ふものの、なかなかCD化されなかつたやうで、そのうち忘れてしまつた。
昨年、たまたま、ヤフオクでベートーヴェンの交響曲全集が出品されてゐたので、また思ひだした。
ああ、メンゲルベルクのあの印象的な第9を聽きたい。
さう思つてゐたら、先日またヤフオクでベートーヴェンの交響曲全集が出品されてゐた。
今度は首尾よく落札し、昨日、それが屆いたので、けふ、駐車場に止めてあるクルマの中で聽いた。
まづ驚いたのは、第1樂章。
豫想以上にテンポが速く、激しさを感じさせる演奏だつた。
チャイコの「悲愴」からは想像できない。
第2樂章もおほむね第1樂章の延長上にあるが、さらに荒々しさを感じさせる。
第3樂章。
來たあ~、と思はずクルマの中で叫んだ。
私のなかのメンゲルベルク像通りの、じつに濃厚な、とろけるやうな演奏。
1940年のライヴ録音ゆゑ、當時の演奏スタイルといへばいへるのかもしれないが、同時代の指揮者でもここまで弦にポルタメントを要求するのは珍しいのではなからうか。
ただ、とても殘念なのは、聽衆ノイズ。
第1・第2樂章では氣にならなかつたが、第3樂章に入つてから、咳の音が耳に障る。
極めつけは、何かモノを倒すやうな音。
こんな歴史的演奏の最中にモノを倒すなんて・・・(殺!)
最終樂章。
フルヴェンのバイロイト盤のやうな鬼氣迫る演奏ではないが、そのぶん美しい。
もちろん、音質は、24bitでリマスタリングしてゐるとはいへ、美しくはない。
演奏そのもの、特にソリストたちの聲のハモリ具合ひがよいのだ。
さらに、合唱とオケのバランスもなかなか。
だんだんフィナーレが近づいてくると、わくわくしてくる。
ああ、あのフィナーレにいよいよ再會するのだ。
・・・
思つてゐた以上の、なんといふか、まあこれは、いはゆるひとつの「藝」ですな。
歌舞伎の「大見得」、水戸黄門の印籠、横綱土俵入り?
いや、決してバカにしてゐるのではない。
68分間のドラマが終る、その終りをこのやうに強調しても良いではないかと思ふ。
何度も繰り返して聽くといふ演奏ではないが、ライヴでこれを聽いたら、いまでもかなり興奮すると思ふ。
クラシック音樂で、かういふ「大見得」切つてもいいぢやないか。
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