「邪馬台国は沈んだ」 大羽弘道
お薦め度:☆☆☆ /
2007年4月15日讀了
1975年1月刊行(光文社:カッパブックス)
發行年からもわかるやうに、1970年代にたくさん出版された「邪馬臺國本」のひとつ。
タイトルからも、「いかにも」といふ匂ひが漂つてくる。
古田武彦が「邪馬台国はなかった」を著し、その後、それを受けて安本美典が「邪馬壱国はなかった」を著した。
さうした時代に出された本なのである。
それでも、當時はかなりの反響があつたやうで、同じ年の9月には、藤原偉作といふ人が 「邪馬台国は沈まず」 といふ本を出してゐる。
時流に乘り遲れてはならじといふ意氣込が傳はつてくるやうで面白い。
さて、中身についてだが。
著者は、神話解析學を用ひて、記・紀神話を分析すると、「海幸彦・山幸彦」説話が重要だと云ふ。
山幸彦(火遠理命)が豐玉姫と結婚するといふことが、じつは邪馬臺國の實像を把握する鍵だといふのである。
この二人は系圖的に、邪馬臺國の支配者で、「山の種族」と「海の種族」といふ異なる民族の結婚が邪馬臺國の成立に重要な意味を持つてゐる。
そして、結婚したところは、「神聖な嶋」。
その「神聖な嶋」とは、古事記に記されてゐる「知訶(チカ)嶋」だといふ。
この「知訶(チカ)嶋」はいつたいどこにあるか。
著者はそれを、大分縣の國東半島沖合にある姫島の近くに見出す。
しかも、その嶋はいまは存在してゐないといふ。
日本書紀に記された、678年の地震もしくは684年の地震で海に沈んだといふのである。
すなはち、「邪馬台国は沈んだ」といふわけだ。
眞僞のほどや、立論の方法はともかくとして、讀み物としては、それなりに面白かつた。
いろいろなことを考へる人がゐるものだ。
<參考>
お薦め度:☆☆☆ /
2007年4月15日讀了
1975年1月刊行(光文社:カッパブックス)
發行年からもわかるやうに、1970年代にたくさん出版された「邪馬臺國本」のひとつ。
タイトルからも、「いかにも」といふ匂ひが漂つてくる。
古田武彦が「邪馬台国はなかった」を著し、その後、それを受けて安本美典が「邪馬壱国はなかった」を著した。
さうした時代に出された本なのである。
それでも、當時はかなりの反響があつたやうで、同じ年の9月には、藤原偉作といふ人が 「邪馬台国は沈まず」 といふ本を出してゐる。
時流に乘り遲れてはならじといふ意氣込が傳はつてくるやうで面白い。
さて、中身についてだが。
著者は、神話解析學を用ひて、記・紀神話を分析すると、「海幸彦・山幸彦」説話が重要だと云ふ。
山幸彦(火遠理命)が豐玉姫と結婚するといふことが、じつは邪馬臺國の實像を把握する鍵だといふのである。
この二人は系圖的に、邪馬臺國の支配者で、「山の種族」と「海の種族」といふ異なる民族の結婚が邪馬臺國の成立に重要な意味を持つてゐる。
そして、結婚したところは、「神聖な嶋」。
その「神聖な嶋」とは、古事記に記されてゐる「知訶(チカ)嶋」だといふ。
この「知訶(チカ)嶋」はいつたいどこにあるか。
著者はそれを、大分縣の國東半島沖合にある姫島の近くに見出す。
しかも、その嶋はいまは存在してゐないといふ。
日本書紀に記された、678年の地震もしくは684年の地震で海に沈んだといふのである。
すなはち、「邪馬台国は沈んだ」といふわけだ。
眞僞のほどや、立論の方法はともかくとして、讀み物としては、それなりに面白かつた。
いろいろなことを考へる人がゐるものだ。
邪馬台国は沈んだ―つきとめられた幻の国 (1975年)光文社このアイテムの詳細を見る |
<參考>
「邪馬台国」はなかった朝日新聞このアイテムの詳細を見る |
「邪馬壱国」はなかった―古田武彦説の崩壊 (1979年)新人物往来社このアイテムの詳細を見る |
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