仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

大きくなつたら何になりたい?

2008-12-18 02:04:42 | 日々雜感
「大きくなつたら何になりたい?」

子供の頃、よくこんな質問を受けた。
私の最初の答へは、おそらく3歳頃のことで、「バキュームカーの運轉手」だつた。

バキュームカーと云つても、いまの若い人にはわからないだらう。
私の子供の頃は、便所が汲取式で、水洗便所などといふものはなかつた。
つまり、排泄物は便所の下の穴に蓄積されるため、それを汲み取つてやることが必要だつた。
人が柄杓のやうなもので汲み取るのが昔ながらのやりかただつたが、私の頃は文明が少し進歩し、ジャバラのホースで吸引する自動車が現はれた。
これを「バキュームカー」といふ。

なぜ私がバキュームカーの運轉手になりたいと思つたかは謎だ。
子供心に何かヒロイックなものを感じとつたのかもしれない。
ちなみに、かの天才、三島由紀夫は、『假面の告白』で汲取屋に憧れたと語つてゐる。
彼の場合はそれが男色に繋がつていくやうだが、私にそのケはない。

その後、私の答へは、樣々に變化した。
劍道の先生、それも英語を學んで渡米し劍道を廣めるといふ壯大な計畫。
天文學者。
山小屋の主。
小説家。

かうして見ると、どうも現世利益的なものがない。
喰つていける職業といへば、小説家くらゐのものだ。
大臣になりたいだの、會社の社長になりたいだのといふ子供に較べて、生活力にそもそも缺けてゐたとしか思へない。

いま、人生の第4コーナーに差し掛かつた私にとつて、子供の頃の夢は妙に懷かしい。
いはゆるサラリーマンとしての自分と、もしかしたらなれてゐたかもしれぬ「夢」の自分。
もはやバキュームカーの運轉手といふ職業は無くなつたが、もしなつてゐたらどういふ人生だつたのだらう。
いまから山小屋に隱遁して小説家になるとしたら・・・
いやいや、山の冬を越せる自信はまつたくないし、小説だつて書く氣力もない。

ああ、それでも、夢は枯野を驅けめぐる。



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