【1980年】(浪人)
13:30頃 第一志望大 合格發表 ◎
第一志望大學に合格。
前年に受驗した時は全く自信がなかつたので、受驗會場の外に待ち構へてゐた學生に電報を頼んだ。
今年は自信はなかつたものの、とにかく自分の目で結果を確かめたかつた。
母ひとり子ひとりといふ家庭環境ゆゑ、もし2浪といふことになれば、家から通へる國立大學に行くしかないと思つてゐたから。
文學部前に貼り出された番號の中から自分の受驗番號を見つけた時、嬉しいといふ氣持ちよりも、安堵感が先にたつた。
現實感の喪失といふか、映畫のワンシーンを見てゐるやうな感じといふか・・・
周りで跳び上がつたり、胴上げをしてゐる合格者を尻目に、さつさと下宿搜しに出かけた。
どのやうにして見つけたのか思ひ出せないが、河原町今出川を少し下つたところにある不動産屋で下宿を搜した。
どのあたりが良いかと訊かれたので、まだ京都の地理をよく知らない私は、大學のある左京區と應へた。
左京區がどれほど廣いか知つたのは、入學してからだつた。
その時は、大原や鞍馬も左京區だなんて、知らう筈もなかつたのである。
修學院と岩倉の案件を紹介して貰ひ、不動産屋のクルマでまづ修學院へ。
何が氣に入らなかつたのか、次に案内して貰つた岩倉の案件に決めた。
その時の不動産屋の言葉はいまだに覺えてゐる。
「ここは靜かですから、勉強するにはいい環境ですよ」
確かに嘘ではなかつた。
アパートの北側は畑だつたし、小さな路地を入つたところにあるのでクルマの騷音もない。
大學までかなり遠いといふことを知らなかつた私が惡いのだ。
不動産屋に戻り、賃貸借契約を締結。
印鑑を持つてゐなかつたのだが、書類を記入してゐる時に不動産屋が云つた。
「あれ?私と同じ苗字ぢやないですか!奇遇だなあ。ぢやあ私の印鑑を使つて下さい」
ちなみに、私の苗字は比較的珍しい。
これまで50年の人生で、親類以外で同じ苗字の人に會つたのは、この時だけだ。
契約を終へて、宿を搜した筈なのだが、どこに泊つたのか覺えてゐない。
確か、京都驛前の觀光案内所で紹介して貰つたのだが・・・
かうして記憶は時とともに風化していくのだ。
【1981年】(1囘生)
夢:飯澤那智といふ女の子がでてきた。不思議!
麻雀(テッカ、エノサワ、ヨシヤマ) -66。
エノサワ、ヨシヤマと酒(養老の瀧)
聞いたこともない名前の女の子が夢に出て來た。
手帳では「澤」の字が○で圍まれて、その後ろに?が書かれてゐる。
飯澤なのか飯山なのかわからないが、那智といふ名前だつたことは確かなやうだ。
夢に出て來た知らない人物の名前をここまではつきり覺えてゐたなんて、不思議なこともあるものだ。
また千葉で麻雀をしてゐる。
ほかにすることはないのか?
しかも、また負けてるし・・・
テッカといふのはテヅカくんのあだ名で、小中學校の友人。
エノサワ、ヨシヤマは高校の友人。
なので、この3人が一緒といふのは、とつても不思議。
おそらく、麻雀のあと、エノサワ、ヨシヤマと飮んだのだらう。
おぼろげな記憶だが、新檢見川驛近くにあつた「養老の瀧」だつたやうな氣がする。
モツ煮込みが旨かつた記憶がある。
【1982年】(2囘生)
大津市で通行區分違反で捕まる。
カワムラ來る。定期代(\12,320)ドリル代(\5,070)貰ふ。
途中越えで大津方面へツーリングしてゐたら、通行區分違反で捕まつた。
どういふことかといふと、ネズミ獲りをしてゐる目の前で黄色線をオーバーして前の車を追ひ越したのだ。
かなりのスピードだつたが、車の陰だつたので測定不能。
腹を立てた警官たちは通行區分違反といふ理由で捕まへたわけだ。
黄色線を越えたのがそこから見えるのか?
さう警官に訊ねたのだが、彼らもさるもの、2人が見たと云つて讓らぬ。
で、切符を切られてしまつた。
カワムラは同じ高校から同じ大學に進學した友人で、枚方の塾で一緒に講師をしてゐた。
彼はその塾のいはば事務長的な役割もしてくれてゐて、月謝の管理、講師の交通費の管理、塾生の試驗結果の管理など、塾運營に關はる多くのことをこなしてくれてゐた。
本部は奈良にあるのだが、枚方の塾が私たちに任せて貰へたのは、ひとへに彼のお蔭だつた。
彼は私のアパートに時々遊びに來た。
遊びにきては麻雀に引き込まれたので彼としては迷惑だつたかもしれない。
この日は麻雀といふ記載がないので、もしかしたら定期代と立替へたドリル代を渡すためだけに來てくれたのかも。
【1983年】(3囘生)
イイゴウ XXX 合格發表 農學部 水産學科前
4日に受驗したイイゴウ の合格發表の日。
イイゴウはC高山岳部の4つ後輩。
彼の代はりに合格發表を見て、結果を聯絡することになつたらしい。
名前の後ろにある「XXX」といふのは受驗番號。
彼は確か2浪か3浪して東大に入つた筈なので、現役のこの年は不合格。
いやな役割を引き受けたものだ。
イヤなことは忘れるといふ私の記憶囘路の常として、聯絡した記憶も當然の如く綺麗さつぱりと拭ひ去られてゐる。
【1984年】(4囘生)
17:00 難波 近鐵エスカレーターの上
前日は三宮で 、この日は難波。
前日のダメージも消えやらぬ筈なのに、いつたい難波に何をしに出かけたのだらう。
時間と場所が明記されてゐるので、どうやら待ち合せらしいのだが、その相手と用件がわからない・・・
場所的には奈良から近鐵で出て來られるところなので、もしかすると富雄にあるK教育センター(枚方の塾の本部)關係かもしれない。
折しも日曜日で塾も休みだつた筈なので、ありさうな氣もする。
13:30頃 第一志望大 合格發表 ◎
第一志望大學に合格。
前年に受驗した時は全く自信がなかつたので、受驗會場の外に待ち構へてゐた學生に電報を頼んだ。
今年は自信はなかつたものの、とにかく自分の目で結果を確かめたかつた。
母ひとり子ひとりといふ家庭環境ゆゑ、もし2浪といふことになれば、家から通へる國立大學に行くしかないと思つてゐたから。
文學部前に貼り出された番號の中から自分の受驗番號を見つけた時、嬉しいといふ氣持ちよりも、安堵感が先にたつた。
現實感の喪失といふか、映畫のワンシーンを見てゐるやうな感じといふか・・・
周りで跳び上がつたり、胴上げをしてゐる合格者を尻目に、さつさと下宿搜しに出かけた。
どのやうにして見つけたのか思ひ出せないが、河原町今出川を少し下つたところにある不動産屋で下宿を搜した。
どのあたりが良いかと訊かれたので、まだ京都の地理をよく知らない私は、大學のある左京區と應へた。
左京區がどれほど廣いか知つたのは、入學してからだつた。
その時は、大原や鞍馬も左京區だなんて、知らう筈もなかつたのである。
修學院と岩倉の案件を紹介して貰ひ、不動産屋のクルマでまづ修學院へ。
何が氣に入らなかつたのか、次に案内して貰つた岩倉の案件に決めた。
その時の不動産屋の言葉はいまだに覺えてゐる。
「ここは靜かですから、勉強するにはいい環境ですよ」
確かに嘘ではなかつた。
アパートの北側は畑だつたし、小さな路地を入つたところにあるのでクルマの騷音もない。
大學までかなり遠いといふことを知らなかつた私が惡いのだ。
不動産屋に戻り、賃貸借契約を締結。
印鑑を持つてゐなかつたのだが、書類を記入してゐる時に不動産屋が云つた。
「あれ?私と同じ苗字ぢやないですか!奇遇だなあ。ぢやあ私の印鑑を使つて下さい」
ちなみに、私の苗字は比較的珍しい。
これまで50年の人生で、親類以外で同じ苗字の人に會つたのは、この時だけだ。
契約を終へて、宿を搜した筈なのだが、どこに泊つたのか覺えてゐない。
確か、京都驛前の觀光案内所で紹介して貰つたのだが・・・
かうして記憶は時とともに風化していくのだ。
【1981年】(1囘生)
夢:飯澤那智といふ女の子がでてきた。不思議!
麻雀(テッカ、エノサワ、ヨシヤマ) -66。
エノサワ、ヨシヤマと酒(養老の瀧)
聞いたこともない名前の女の子が夢に出て來た。
手帳では「澤」の字が○で圍まれて、その後ろに?が書かれてゐる。
飯澤なのか飯山なのかわからないが、那智といふ名前だつたことは確かなやうだ。
夢に出て來た知らない人物の名前をここまではつきり覺えてゐたなんて、不思議なこともあるものだ。
また千葉で麻雀をしてゐる。
ほかにすることはないのか?
しかも、また負けてるし・・・
テッカといふのはテヅカくんのあだ名で、小中學校の友人。
エノサワ、ヨシヤマは高校の友人。
なので、この3人が一緒といふのは、とつても不思議。
おそらく、麻雀のあと、エノサワ、ヨシヤマと飮んだのだらう。
おぼろげな記憶だが、新檢見川驛近くにあつた「養老の瀧」だつたやうな氣がする。
モツ煮込みが旨かつた記憶がある。
【1982年】(2囘生)
大津市で通行區分違反で捕まる。
カワムラ來る。定期代(\12,320)ドリル代(\5,070)貰ふ。
途中越えで大津方面へツーリングしてゐたら、通行區分違反で捕まつた。
どういふことかといふと、ネズミ獲りをしてゐる目の前で黄色線をオーバーして前の車を追ひ越したのだ。
かなりのスピードだつたが、車の陰だつたので測定不能。
腹を立てた警官たちは通行區分違反といふ理由で捕まへたわけだ。
黄色線を越えたのがそこから見えるのか?
さう警官に訊ねたのだが、彼らもさるもの、2人が見たと云つて讓らぬ。
で、切符を切られてしまつた。
カワムラは同じ高校から同じ大學に進學した友人で、枚方の塾で一緒に講師をしてゐた。
彼はその塾のいはば事務長的な役割もしてくれてゐて、月謝の管理、講師の交通費の管理、塾生の試驗結果の管理など、塾運營に關はる多くのことをこなしてくれてゐた。
本部は奈良にあるのだが、枚方の塾が私たちに任せて貰へたのは、ひとへに彼のお蔭だつた。
彼は私のアパートに時々遊びに來た。
遊びにきては麻雀に引き込まれたので彼としては迷惑だつたかもしれない。
この日は麻雀といふ記載がないので、もしかしたら定期代と立替へたドリル代を渡すためだけに來てくれたのかも。
【1983年】(3囘生)
イイゴウ XXX 合格發表 農學部 水産學科前
4日に受驗したイイゴウ の合格發表の日。
イイゴウはC高山岳部の4つ後輩。
彼の代はりに合格發表を見て、結果を聯絡することになつたらしい。
名前の後ろにある「XXX」といふのは受驗番號。
彼は確か2浪か3浪して東大に入つた筈なので、現役のこの年は不合格。
いやな役割を引き受けたものだ。
イヤなことは忘れるといふ私の記憶囘路の常として、聯絡した記憶も當然の如く綺麗さつぱりと拭ひ去られてゐる。
【1984年】(4囘生)
17:00 難波 近鐵エスカレーターの上
前日は三宮で 、この日は難波。
前日のダメージも消えやらぬ筈なのに、いつたい難波に何をしに出かけたのだらう。
時間と場所が明記されてゐるので、どうやら待ち合せらしいのだが、その相手と用件がわからない・・・
場所的には奈良から近鐵で出て來られるところなので、もしかすると富雄にあるK教育センター(枚方の塾の本部)關係かもしれない。
折しも日曜日で塾も休みだつた筈なので、ありさうな氣もする。
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