仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

【昔の手帳から】 1月10日 (81年:コジマと會ふ)

2012-01-10 00:01:00 | 昔の手帳から
【1981年】(1囘生)

14:00 千葉 アシビ コジマ
コジマはずゐぶん大人びてゐた。
姉貴とでも話してゐるやうな氣分。

土曜日。

千葉でコジマに會つた。
場所は、 「馬酔木」(アシビ) といふ喫茶店。
とりあへず現在の店のリンクを貼つておくが、場所はここではなかつた。

コジマは小學校で3年から6年まで4年間一緒のクラスで、中學校では同じクラスではなかつたが私が立上げた天文同好會で一緒だつた。
まあ、幼馴染とでも云つた關係。
中學を卒業すると別の高校に入學したので會ふことはなかつたが、1年の時に私の高校の文化祭に顏を出したことがあつた。
前年6月9日にコジマから手紙が屆いた
内容はといふと、自分の近況を傳へるとともに、大學受驗に失敗した原因について觸れたものだつた。
その後、私は 9月4日にコジマに手紙を出してゐる が、その内容は覺えてゐない。

この日、數年振りで會つたコジマは、ずゐぶん大人びて見えた。
「馬酔木」の薄暗い照明の中、コジマの吸ふハイライトの煙が白く立ち上つてゐた。
手紙に書かれてゐたことを含め、彼女は近況を話した。
聞いてゐると、胸が苦しくなつた。
私も、失戀と父の死を經驗して、この半年あまりは鬱々とした氣分でゐた。
彼女は自分のことを語り終へると、私に説教をした。
ちやんと勉強しなさいよ、したくても出來ない人もゐるのよ。
その時代遲れのむさくるしい長髮、切りなさい。新しい彼女出來ないわよ。
ああ、まるで姉貴と話してゐるやうだ。
いま、彼女はどうしてゐるのだらう。
風の便りで、北海道にゐるらしいとは聞いてゐるのだが。




【1983年】(3囘生)

歸洛

月曜日。

千葉から京都に戻つた。
上洛があるなら「歸洛」もあるだらうといふ造語。




【1984年】(4囘生)

10:30~ 國文講讀テスト
國文 日野開始

火曜日。

前日、夜中に出發し單車で歸京、そのまま體育の授業に出席。
この日はいきなり國文(講讀)の試驗。
光田さんの講座なのだが、どんな内容の講座だつたか思ひ出せない。
手帳によれば、6月14日に發表してゐるらしいのだが・・・

4コマ目の日野助教授の演習が開講した。
これまた内容は思ひ出せない。






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