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お薦め度:☆☆☆☆
本書の述べる古代史スキームは以下のとほり。
1.日本列島には早くから「古代出雲文化圈」が成立してゐた。
2.「邪馬臺國」はこの「古代出雲文化圈」の基盤の上に成立つてゐた。
3.大和朝廷は「邪馬臺國」の王權を簒奪し、その支配域を上書きした。
「邪馬臺國」の所在地は大和平野であり、その中心は纏向遺跡である。
そして、卑彌呼の墓は箸墓古墳である可能性が非常に高い。
その根據は、纏向遺跡の發掘に携はつた石野博信氏による、
「西暦180年頃に突如として姿を現はし、340年頃急速に衰頽した」
といふ纏向遺跡の年代觀に求められてゐる。
そして、この石野博信氏の年代觀は、池上曾根遺跡での「年輪年代法」に支へられてゐる。
いまや、古墳時代の開始は從來より早まり、3世紀初め頃にまで遡ることが出來る。
つまり、箸墓古墳は3世紀中頃(250~260年)に造營されたものだ。
以上が、本書のベースとなる部分である。
彌生時代の年代觀が100年近く古い時代に修正されて來たことが、そのまま古墳時代の開始時期まで及ぶのかどうか、
については專門の考古學者の間でも意見の別れるところだ。
本書のやうにストレートに受け取ることが出來るかは疑問だ。
石野博信氏は古墳時代を早くスタートさせる論者の代表格である。
他の立場の主張を檢證することなしに、石野博信氏の主張にのみ依據する立論は危險であると思ふ。
が、しかし、「古代出雲文化圈」については、魅力的なものを感じさせられた。
2005年8月24日讀了
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