
【1980年】(1囘生)
上高地散策
水曜日。
天候の惡化を豫想して出發を1日早め、コースもリスクの低い 上高地經由の長塀尾根ルート に變更した。
このルートなら天候が惡化しても上高地から上に登らずに引き返すことが出來る。
前日は 澤渡(さわんど) から6時間歩いて 上高地 に入つた。
天候は雪。
上高地に入つて小梨平にテントを張つてからも雪はふり續け、夜に入ると雪は激しくなつた。
私たちは、もう翌日は停滯だらうと決めこんでゐた。
この日、目が醒めたらすでに外は明るく、テントから外に出てみたら快晴だつた。
時刻はすでに7時を廻つてゐる。
これから大急ぎで朝食をとつて準備したとしても、出發は8時を廻つてしまふだらう。
長塀尾根ルート は雪崩の心配こそないが積雪量は多く、ラッセルの状況次第では稜線に辿り着けないうちに暗くなつてしまふ可能性があつた。
といふことで、この日は上高地散策。
冬の上高地は人がをらず靜かで、自然そのままの姿に接することが出來た。
上の寫眞は梓川と燒岳。
下の寫眞は穗高連峰。
夜は宴會。
NHKラジオで第9の放送を聞いてゐたから、おそらく眠りについたのは23時を廻つてゐただらう。
いや、明けましておめでたうと云つた氣もするから、0時を廻つてゐたかもしれない。
かうなるともはや登山ではない。
でも、樂しかつたなあ。

【1982年】(3囘生)
富雄 冬期講習7日目(最終日)
ヤマムラと初詣でに出掛ける
金曜日。
中3の國語。
7日にわたる富雄本部での冬期講習が、この日終つた。
大晦日まで勉強する生徒達がかはいさうになる。
浪人中でも大晦日や正月3日間はのんびりしてゐたものだつたが・・・
これだけ努力した生徒達が志望高校に入れることを心から祈つた。
塾から戻つて來て、夜はアパートに殘つてゐる唯一の人間であるヤマムラと過した。
ヤマムラの部屋にはTVがあつたので、紅白を觀てゐた。
せつかく京都にゐるのだからと、ヤマムラのクルマで初詣でに行くことにした。
以下、1月1日に續く。
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