そらいろ

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「フィンランディア」

2013-07-03 | 音楽
 
 日々の生活に流されてます。毎日が同じ繰り返し(ではないはずですが…)で記事にこと欠いてしまうこの頃です。

 そこで、7月15日(月)の定期演奏会の曲についてご紹介します。
 予定のプログラムは、

   ヨハン・シュトラウス 「こうもり」 
   グリーグ       「ペールギュント第一組曲」
   シベリウス      「フィンランディア」

   シューマン      「交響曲第四番」

 といっても、楽曲の成り立ちに精通しているわけでもなく、その国々の歴史に詳しいわけでもないので、いくつかの資料を総合(ツギハギ?)して記述しました。「へぇ~」「なるほど~」という事柄もありましたよ。


 まず、前半の最後の曲 シベリウス「フィンランディア」です。


 

 このシベリウスの交響詩「フィンランディア」が最初に作曲された時期(1899年)は、祖国フィンランドに対する帝政ロシアの支配権が急速に強まるという時代背景がありました。ロシアに飲み込まれていく祖国を目の当たりにしたフィンランドでは、舞台劇「愛国記念劇」の開催が計画され、その劇付随音楽である組曲「歴史的情景」をシベリウスが作曲することになったそうです。

 この組曲は、6曲からなり、特に終曲「フィンランドは目覚める」は好評を呼び、翌年(1900年)7月、独立させた楽曲「フィンランディア」として初演されました。これが、今日よく知られる「フィンランディア」ということです。

 さて、その頃、我が国はというと明治時代 …
 大日本帝国憲法が制定され、徴兵制、産業の近代化、中央集権化が図られ、日清戦争の勝利に酔い、三国干渉から日露戦争へと向かおうとしていた頃にあたります。
 
 1904に勃発した日露戦争は、翌1905年5月の日本海海戦で、日本海軍連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を撃破し、世界を驚嘆させました。この結果は、ロシアの支配に苦しんでいたフィンランドに独立機運を高め、その後、ロシア革命の混乱に乗じて、1917年にはついに独立を宣言、1919年にはフィンランド共和国憲法が制定されました。
 
 このような経過により、当時のフィンランドの人たちは、日本に対して好意的な感情を抱いていたようです。

 しかし、その後もソ連との微妙な関係はずっと続き、領土の一部を割譲されたり、第二次大戦ではドイツ側に組せざるを得なかったり、厳しい時代が過ぎて行きました。

 1941年、詩人コスケンニエミにより「フィンランディア」に歌詞がつけられ、シベリウス本人が編曲を手がけて、「フィンランディア賛歌」が誕生したそうです。この曲はその後、第二の愛国歌として親しまれています。

 東西冷戦時代も、微妙な国際関係の中に位置したようですが、サンタクロースやムーミンで有名なフィンランドという国の苦難の歴史について少し理解できたような気がしました。

※7月12日の東京フィルのオペラシティ定演ではこの合唱付きのフィンランディアが演奏されます。これも何かの縁でしょうか。楽しみです。






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