今回のライブは13年前に、初めてライブ出演した時の作品の再演でした。
その映像を見ると、13年という年月の長さを感じずにはいられません。
13年間で私が得たものは・・・、失ったものは・・・。
その集大成として作品と取り組みました。
パントマイムのテクニック、表現を改めて見直し、
テクニックの正確さや
物を見て、何かを感じ、身体が動く、その結果心はどう動いたか?等
江ノ上さんから多くのアドバイスやダメ出しを頂き、
その度に、悩んだり、混乱したりの繰返しの稽古でした。
13年前は繰り返し、何度も稽古をすることで解決してきたことが、
歳を重ねた今は、何度も稽古する体力が無いので、
その分、曲を聞き、イメージを膨らませ、台詞をしゃべるという稽古。
作品は農園で花を育てている女性が、嵐から花たちを守り、
日照りで水が涸れ、花たちの為に水を探し続けるというシンプルな物語。
役作りには、何故、農園で花を育てているのか?
誰の為に、何の為に、花を育てているのか?
女性は花を育ている事をどう感じてるのか?
この「?」が自分の中で明確になっていないと
中途半端な役作りになり、作品全体が薄っぺらなものになってしまうのです。
シーン1 農園
大好きだった父親が大切にしていた農園、そして花たち。
花たちは行き先が決まっていて、楽しみに待っている人達がいる。
女性は花たちを育てる事に生きがいと使命を感じている。
まるで自分の子供のように花に喋りかけ、世話をする。
それがこの女性の幸せ。
シーン2 嵐
嵐が来た。居ても立っても居られず、女性は農園に行く。
倒れた花に添え木を当て、身を挺して花を護る。
シーン3 日照り
日照りが続く毎日。農園の井戸が涸れてしまう。
女性は共同水場へ水を求めに行くが、そこにも水がない。
とにかく花たちの為に水を探さなくてはと、歩き続けると
大きな井戸を見つける。
「良かった!」と水を汲もうとするが、この井戸も枯れていた。
絶望と怒り、しかし、この日照り(温暖化)は人間が作り出したものだ。
なんてことを私たちはしてしまったんだ。
花たち、花を待っている人達の為に、水を探そうと
再び、歩きはじめる。
新関祐子