近ごろよく聞く
「「かがみ」の真ん中の「我(が)」を抜いたら「神(かみ)」
現代風の鏡の解釈を感覚的に絶妙に表現できていて面白いです。
神社に参拝するとき「かがむ」から、「かがみ」
というのも聞いたことがあります。
私が言霊の本を読んで、
「心(こころ)ころころ、鏡(かがみ)かみがみ」
だなあと言ったのも似たような感じで、語呂合わせみたいなもので自身の解釈を表現したのであって、語義・語源というわけではありません。
今日は、語義・語源等についてのシェアです。
そもそもなぜ鏡のことを「かがみ」と言うのでしょうか?
青銅などで作られた鏡を中国からもらう前からその言葉があったのかどうかは分かりませんが、
「鏡」という漢字1文字に「かがみ」という訓読みが当てられています。音読みだと「キョウ」です。
銅鏡は「ドウキョウ」です。
鏡1字で「かがみ」なのですから、それにまた漢字を当てて説明することにはそもそも無理はあるのですが、
辞書ではいろいろな漢字を当てて説明されていました。
「かげみ(影見)」「かがみ (炫見) 」「かがみ(赫見)」
影とは星影のこと。鏡はもとは中国では、鏡面に星を映して観察するのに用いられていました。
炫、赫はともにまぶしい光のことです。
つまり「かがみ」とは「星影を見るもの」で、まばゆい星の光を映し見るさまを言い表していたようです。
三種の神器の一つだった鏡が、
今のように顔や姿を映す鏡として一般に広く普及するに至ったわけですが、
鏡面が美しく、はっきりと映って、磨く手間もいらなくなった鏡に、
あらためてひしひしとありがたさを感じました。
それと同時に、鏡に星を映していた古(いにしえ)にもロマンを抱きました。
💓今日も、最後までお読みいただきありがとうございました💓