僕にはシンセに興味を持っていた友達がいて、僕の奇妙な作品のテープ* を聴かせた。
彼は秋に防衛大学校の入試に合格すると、すぐシンセを手に入れた。鍵盤と操作パネルが一体型のYAMAHA製のものだった。
彼の部屋でそれを見た時、何と素敵に見えたことか!僕の入試は5か月後。(* そのテープは今は無い)
僕は子供の頃からピアノと聴音のレッスンを受けていた。
静大に進路を決めてから、それらのレッスンを静大の先生方が教えている受験準備校で受けることになった。だがそれはどうと言う事も無かった。学校の勉強の方が難しかった。
目が冴えて寝付けない夜は、寝床でブルックナーの交響曲を聴くのが好きだった。特に第3番のニ短調。
一般的に高校生の時期は権威に反抗するもの。僕はピアノの発表会では先生に従わず、ベートーヴェンの「熱情ソナタ」第1楽章を弾いた。
でも今の自分は分かっている…先生が僕に勧めた別のソナタの方が、僕には重要だったこと。
特にベートーヴェンの若いころの幾つかのソナタの方が技術的に難しいこと。他の生徒はそれらを弾いた。
聴音のグループレッスンに、作曲の受験生がいた。彼女は僕とは違う高校で、僕より1学年下だった。
僕のピアノの先生は彼女に作曲と和声も教えていた。
僕がブラームスのラプソディー第1番やバッハのシンフォニア等のピアノのレッスンを受けている間、同じ部屋の隅で彼女はノートに何かを書いていた。
彼女はサリ(仮名)と言う。僕は作曲に興味があったので、彼女に何を書いていたのか、作曲はどうやって勉強するのか訊ねた。
彼女は、試験に合格するには和声をやらなければならないと言った。
ある日、彼女は修学旅行の小さなお土産をくれた。お返しに僕は、彼女が希望した僕の高校のバッジをあげた。僕らはよく話した。
サリはお父さんと時々ブランデーを飲んだ。彼女は何々の銘柄が好きと言い、僕を少々驚かせた。
彼女はチャイコフスキーの交響曲が好きだった。だが当時の僕はチャイコフスキーの交響曲は第6番の「悲愴」しか知らなかった。彼女は僕に第4番、第5番を聴くよう、スコアを貸してくれた。
ある日、チャイコフスキーの交響曲第5番を尾高忠明指揮のNHK交響楽団が演奏するのを聴きに、東京まで一緒に行こうと僕を誘った。
サリは指揮者、尾高氏のファンだった。その理由を彼女は、彼が丸顔だからだと言った。丸い顔の音楽家が好きなのだと。
しかしながら僕の両親は「まだ高校生なのに」と、僕らの計画に反対した。僕は、夜のコンサートが終わった帰りの電車に彼女のお父さんが合流するからと言って、親を説得した。
彼女との友達付き合いは、僕が静大に合格するまで続いた。
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ブルックナーは第3番がお好きだったんですか。
第8番はいかがでしょう。
ぼくも演奏会で聴くチャイコフスキーの交響曲は決まって5番が多いです。
4番は一度だけ。「悲愴」はまだ一度も聴いたことがありません(ただ終楽章が悲しいというよりは不吉なことが起こりそうなのでこわいです)。
先生が「悲愴」しか知らないというのは驚きでした。
尾高さんのN響公演、ぼくも行ってみたいものです。
学生時代、アナリーゼを読みながらスコアを勉強し、何度も録音を聴きました。
ではまた、お待ちしております。