池田 悟≪作曲家≫のArabesque

・・・深くしなやかに・・・(音源リンクしてます)

ラフマニノフの譜

2006-01-20 | 弾いたピアノ曲

毎日ピアノを2時間半~3時間弾く。その後勉強部屋で作曲。
まず指の負担が少なく、気持ちの高ぶりも控えめなバッハ数曲で始め、次は最重要曲―今年3月19日、音楽教室の発表会で弾く、ラフマニノフの「絵画的練習曲」変ホ短調。暗譜はほぼ完了。

<絵画的練習曲集 Op.39から第5番>
ソナタであれば、展開部を経てテーマが再現したとしても、それは当たり前。再現自体に感動することは、まずないでしょう。しかしソナタと名乗っていない曲で、どんどん盛り上がり、その頂点で神々しいまでに冒頭のテーマが変容されて再現したなら…!
ロシア民謡風の無骨なメロディーのこの曲も、その白眉。そこを弾く時、法悦の極みで、まともに弾けたためしがありません(写真)。
「頂点」=「目的地」と言い換えてもいいでしょう。ちなみに英語では destination―と来れば destiny―運命。目的地というものは運命付けられているものだ、という理念が、理屈抜きに言葉自体に込められています。そこに向かって緩急交え着々と進み、宿命としての頂点をズバッと突きつけ、霧のように消えて行く、凄みのある曲。

ラフマニノフを続けて弾く。プレリュード2曲、ソナタ第2番・第1楽章―つっかえつっかえだが、忘れないために。

<13の前奏曲 Op.32から第1番、第12番>
ソナタ第2番とは反対に、上行するアルペジオで始まり、震えながら上昇するフレーズが火花を散らし駆け抜ける、C-dur(ハ長調)の第1番。
その直後にgis-moll(嬰ト短調)の第12番を続けると、その調の色合いが強調される。こちらは、言わば大人向きの「エリーゼのために」か?ミ・レ♯で始まる甘酸っぱい短調。
…一昨年、この2曲弾きました。

<ソナタ第2番 Op.36(1913年版)第1楽章>
展開部後半、主調(b-moll:変ロ短調)から半音ずれたh-moll(ロ短調)の属九に退くや、ジグザグの走句が次々に転調しながら合流し、その大詰めで、魔物のように膨れ上がった和音が「…ダン!ダン!ダン!ダン!…」と音階状に何度も下降し、その極限で「葦の海」が二つに割れたモーゼの奇跡のごとく、冒頭の和音主題が最強音で再現する―その間、定石の主調のドミナントなど、葬られたまま。技巧と表現の限りを尽くした、モニュメンタルなソナタ。'13年版と'31年版を比較すると、前者の方が豪放磊落、この部分もしつこい。
対位法の頂点をバッハが極めたように、ピアノ書法の頂点は、ラヴェルとラフマニノフが双璧では?ピアノに関して後世の作曲家は、根本的にこの二人以上のことは出来ないでしょう。
この曲はモチーフ作法としては、下行音型だけで出来ていることがわかります。その点では、遥か以前のパレストリーナを想起させます。
…2002年2月、音楽教室の発表会の講師演奏で(再現部の大部分をカットし)弾きました。

その終わり方が、うまく拙作「プラネタリウム」につながるので、必然的に、有無を言わせず、右手のための「プラネタリウム」
次はピアノの扱いが似ている、ラヴェルの「蛾」―これもたどたどしい。
ちょっと疲れるので次に軽めのドビュッシー「前奏曲第2集」から「妖精はよい踊り子」「オンディーヌ(水の精)」の2曲―去年、発表会で弾いた。この2つは全12曲の第4曲と第8曲で、丁度3等分する位置にあるが、内容的にも姉妹作だと感じる。タイトルも似ているし、「妖精」の終わりが「オンディーヌ」の開始に符合する!
気を取り直し、再びラヴェルに戻り「クープランの墓」から「トッカータ」―これもぼろぼろだが…。
最後はショパンのエチュードから2曲。
そしてハノンのスケールとアルペジオ(左手を重点的に)…というのがメインの流れで他に、モーツァルトのソナタから1つの楽章と、交響曲の連弾の低音部の1つか2つの楽章、ベートーヴェンの簡単な変奏曲1つ、をその日の気分で弾きたい時に弾く。
…自分の曲以外はクラシックばっかり!でも作曲する時は、ちゃんと現代音楽になる。

こういう生活は毎日続ける方が楽だ。習慣で昨日やったことと同じ事をやればよい。タフな事ほど休む日を入れない方が、かえって挫折しない。
だから僕は仕事が終わると、すっとんで帰る。慣性の法則と言おうか、作曲依存症と言おうか…。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿