池田 悟≪作曲家≫のArabesque

・・・深くしなやかに・・・(音源リンクしてます)

困った時のトリルさま

2006-02-01 | 作曲/全般

「困ったときのォートリルさま~」と作曲中、思わず口に出た。
バロック時代、鍵盤奏者は即興演奏が出来なくてはならなかった。その際アイデアが尽きてしまうと、トリルに走る傾向が多かったらしく、それを皮肉って「いざとなったらトリルしろ」という言葉が生まれたそうだが、翻って現代は「いざとなったらシーケンスしろ」とばかりにシーケンス(=反復音型)が安易に、頻繁に使われる―と、学生時代愛読した、シンセサイザーの入門書(ローランド社)の序文にあった。
…20年以上も前、まだシンセサイザーが珍しかった頃、既に!

トリルはバロック期に花開き、モーツァルト、ベートーヴェン、そしてラヴェルなら加えてトレモロも、音楽が盛り上がったところで大抵お目見え(お耳聞こえ?)する。シェーンベルクでさえ…
いずれも壺にはまる感じで、効果的に、過度にならずに、だが。
現代ではトリル以外にも―トレモロ・ランダム・急速な音型のリピート・クラスター・グリッサンド・管楽器の重音(割れるような音)・フラッターツンゲ(巻き舌)・楽器をたたく・楽器をこする・楽器を解体する―など、多様なニーズに対応して取り揃えてございます。
推測するに、こういうことばかりやる作曲家は、正直に白状すれば、つまり…困ってるんだ(ハイ!すみません、僕もやります)。

でも、何を書くべきか困らない作曲家なんて、いないはず。いつの時代であっても、それが芸術家の宿命なのでしょう。
それに、こういうことをしているからといって即、手詰まりになった、と決め付けるのも安直では?
そういう音楽の状況になったらそうするのが一番自然だ、という場合、あえてそれを避けることもないと思うから(男女の仲も?)。
アルベルティ・バス(ドソミソ…の伴奏型)を「お前もか!」と責める人はいないし、もしそれを責めていたら作曲の進化は滞っていたことでしょう。
…とここまで書いて再びデスクに戻ると、先ほどの、トリルを使う気などさらさら無くなっていた。
―トリルの安易さが分かれば分かるほど、どうしてもそうでなければならない時にだけ、使う。



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