エゾ中村のブログ

「藤圭子」から「現代医学の功罪」まで、思いの丈を綴ります。 ・・・ From 北海道 ・・・

「シャクシャイン」の 檄(げき)

2021-04-08 08:14:05 | “アイヌ文化”関連
北海道に住む日本人として、アイヌ文化を多少なり理解しなければ、堂々と暮らして行けないと思う昨今です。 なぜ 明治政府は、易々とアイヌ民族の土地 蝦夷(えぞ)を、日本の領土に組み入れる事が出来たのか? 教科書 や 新聞 に載らない ‟日本近代史のタブー” として、目をつむる必要があるのか? 「知らない方がいい」 そんな 発想で、我が “北海道150年史” は 何一つ語れません!

蝦夷地と日本の北端・津軽(現・青森県)は、海峡を隔てて 約 30kmと近い。 確かに、縄文時代 から小舟による行き来はありました。 道南の発掘で、アイヌの住居跡から 数十隻の丸太船が見付かっています。 昆布・サケ・マス と、米 や 酒 などの物々交換は、遥か昔から東北との間であった筈です。 その証として、日本犬がアイヌ民族に渡り、優秀な番犬(アイヌ犬)に育て今に至っています。 その時代は、友好な関係が続いていたと想像します。 しかし、ある時期から利害関係が生まれた。 商売上手な和人(日本人)が、一方的に富(儲け)を独占し始めた? それは、北前船 の出現です! 船主の商人は莫大な儲けを、アイヌ民族は細やかな潤いを、不平等な ‟物々交換” が横行した様です? 

江戸時代(1660年代)、“アイヌ人” と交易は 確かにありました。 「蠣崎」なる商人が 現・函館の周辺で、アイヌ人から仕入れた「昆布」「ニシン」(粕は肥料)「サケ・マス」「砂鉄」を「米」「酒」と交換する ‟物々交換” が行われて来ました。 徳川幕府は 「蠣崎」の実績を認め、函館近郊で独占して “商い” ができる権限として「松前藩」を名乗る事を許した様です。 しかし、商人が勝手に占領する 他人の土地です。 アイヌ民族が、簡単に「松前藩」を認める道理はありません。 1669年松前藩を追い払え」と、蝦夷南部(現・静内町)の勇敢な首長「シャクシャイン」が 反乱を起こしました。 それが「シャクシャイン の檄です。 記録では、19隻の交易船(北前船)が焼かれ、273名が殺された記録があります。 それを知った幕府は、東北諸藩を招集し蝦夷地に攻め入り、槍と弓矢で戦うアイヌ軍を火器(鉄砲・大砲)で撃破したのが、武力行使の始まりです!  

◎ 道南・静内町の “シャクシャイン像”


その頃 松前藩は、いずれ蝦夷地を統治できると考えた筈です。 しかし 徳川幕府は、松前藩のアイヌ人に対する悪行を 知っていたのです。 商人「蠣崎」の遣り方は、詐欺 や 盗み に等しいと! 例え話ですが「ヒグマの毛皮 3枚と、酒 3升を交換しましょう」と持ち掛け 毛皮を数えます。 「毛皮始め・1枚・2枚・3枚・毛皮終わり」 結果的に、毛皮 5枚と酒 3升の商談です。 実際は、50万円と 3千円相当の物々交換で、商売は “ぼろ儲け” と言う事です。 そんな 冗談(じょうだん)の様な 商談(しょうだん)が、アイヌ人の逆鱗に触れたと思います。 アイヌ人は、和人(日本人)を「ずるい人」と、信用していなかったのです。 その後 幕府の命令で、あくどい「蠣崎」の排除を行っています。 案外、アイヌ民族の心情を考慮した 徳川幕府の良心的な判断だと思います! 当時 ‟蝦夷地”(アイヌ民族)を、 ‟交易国” と認めていた?

徳川幕府は 松前藩を残しながらも、蝦夷地の侵略には消極的だった様です。 何故かと言うと、植民地支配はリスクがあると、長崎で国交があったヨーロッパ諸国(ドイツ・オランダ・スペイン等)の提言により、力尽くの奪還を躊躇していたのです。 蝦夷地を侵略しても、先住民の反発や不満で 思い通りに統治が出来ない事を! その為 “蝦夷地奪還” は焦らず、前もって布石を打っていたと思います。 いつでも “蝦夷地” は、軍力で収奪できる! 強い幕府 & 政府 のイメージを、アイヌ人に誇示した? 

その後 約 200年(明治2年)、“徳川幕府” から “明治政府” に変わって、軍国主義が急激に蔓延った。 武力行使を躊躇っていた徳川幕府が、明治政府に変わって豹変したのです。 1869年、蝦夷地を奪還(北海道と改名)。 1879年、琉球王国を奪還(沖縄県と改名)。 その後、ロシア・中国・韓国・東南アジア・・・ 挙句の果て、アメリカ合衆国に対して宣戦布告。 明治維新から 第二次世界大戦の敗戦 まで、日本政府は狂った様に侵略を繰り返して来たのです! 最終的に、大戦に負け 戦争責任を負う事になりましたが、“蝦夷地” と “琉球王国” は「武力衝突が無かったから 侵略ではない」と苦しい弁解をしています。 その主張は 正しくありません。 正規の手続きで買い取った土地は、買い手に権利があります。 しかし、無条件・無償 で奪った土地は、いずれ元の持ち主に返す必要があります。 どの国の植民地も、軍力で奪い取った 土地 や 資源 は、頭を下げて「お返しする」のが 世界の常識です!  

 これは、私が言うのではありません。 国連の決議「先住民族が収奪された土地や資源の原状回復と補償」が、暗に日本を非難しているのです。 どうして日本政府は、国連の 指示 や 提言 を 無視・軽視 するのでしょうか?  都合よく 国連を利用したり 無視したり、常に国益を優先するのですから 呆れます。 “アイヌ民族” の人権・権利を、世界に恥じぬ様 誠意をもって賠償(補償)する必要があります。 それは、国立アイヌ民族博物館「ウポポイ」を建設し、帳消し(無かった事)に出来る 単純な問題ではありません!

600年を越える 昆布による「関西の出汁文化」。 北海道に無かった「(身欠き)ニシン蕎麦」。 正月の縁起食「(ニシン入り)昆布巻き」。 朝食の定番「新巻鮭」。 良質な砂鉄を使った「武士の魂:日本刀」。等々 忘れたのしょうか? 
日本の歴史を、‟アイヌ民族” を無視し 愛国心 だけで都合よく語るのは、如何なものでしょうか?