エゾ中村のブログ

「藤圭子」から「現代医学の功罪」まで、思いの丈を綴ります。 ・・・ From 北海道 ・・・

ひょっこり ひょうたん島

2021-04-16 08:11:24 | 日記

1964年ですから、前回の “東京オリンピック” の年でした。 NHK(日本放送協会)制作の人形劇 “ひょっこり ひょうたん島” が始まりました。 私が中学校1年の頃で、テレビに噛り付いて観ていた訳ではありませんが、夕食時の放送(月曜~金曜日)でしたので、自然と脳裏に焼き付いたと思います。 ストーリーは、どうだったのか? 声優は、誰だったのか? 正確に覚えていませんが、‟ドン・ガバチョ” の声は「藤村 有弘」だったかも知れません! それでも、テーマ曲を歌う「中山 千夏」の 爽やかな歌声は記憶しています。 ♪  広い地球の水平線に~誰かがきっと待っている~苦しい事もあるだろさ~悲しい事もあるだろさ・・・♪ ”ひょっこり ひょうたん島” のストーリーは、遠足で出掛けた小島が火山の噴火で陸地から切り離され、海原に漂流し様々な出来事(事件)に遭遇する内容だったと 記憶しています。

◎「ひょっこりひょうたん島」キャラクター人形


私にとって “ひょっこり ひょうたん島” は、昔から 洞爺湖 に浮かぶ 中島 でした。 日本屈指の暴れ山・有珠山の噴火で、温泉街から切り離された?中島が、“ひょうたん島” とイメージの中で重なります。(全国各地に 似た様な逸話があります) 偶々、洞爺湖温泉町に叔母が暮らしていたので、子供の頃から泊まり掛けで訪れ 我が ‟遊び場” でした。

洞爺湖の中央に、大小の小島:通称 ‟中島” があります。 観光船が往復していますが、無人島で 100頭ほどの “エゾシカ” が生息しています。 決して 中島は、シカ達の桃源郷ではありません。 個体数が増え餌が不足したり、 繁殖期になれば 若い雄ジカは血族婚を避け 中島から出て行きます。 人目を避け、湖を 5キロほど泳いで新天地を探すのです。 それが、厳しい野生の “掟” であり “しきたり” です。 そんな風景を見て来た事で 、中島:“ひょっこり ひょうたん島” に対する思い込みが 強かったのかも知れません! 

   

中学三年、修学旅行は 1泊 4日(車中泊 2日)の “東京見物” でした。 各駅停車のSLで函館に向かい、青函連絡船で本州に渡り奥羽本線経由で、東京に着くのは まる1日以上(確か30時間ほど)かかりました。 今では考えられない 過酷な長旅でした。 そんな強行スケジュールは、私達の学年で終わり、その後は東北(仙台)方面に変更された様です。 やはり、硬い列車のシートで座ったまま眠るのは、体力のある生徒より引率の教員達に、負担が大きかったと思います?  

東京見物のスタートは、NHK 本社の見学でした。 当時 人気番組だった “ひょっこり ひょうたん島” の人形や装飾品は、ビルのロビーに展示してありました。 驚いたのは、人形・風景の “色合い” です。 その頃 白黒テレビでしたので、カラーで観る スタジオ・舞台 は 圧巻でした。 番組案内の綺麗なパンフレットは、同行した150人の生徒がそれぞれ持ち帰り、一瞬で無くなった記憶があります。 間違いなく、田舎者の卑しき素行です!(笑)  

その後は、東京オリンピックの会場見学や、宝塚歌劇(教員の要望か)見物・浅草巡りなどで修学旅行の全日程は終了し、長い長い帰路の始まりです。 東京に一泊しましたが、車中(二泊)の記憶しかありません。 確か時期は 11月上旬でしたが、東京は無性に暑かった。 当然です。 出発した時の服装は 皆が厚着で、東京は まるで ‟北海道の夏” でした!

半世紀以上前の話です。 “ひょっこり ひょうたん島” を、覚えている人は少ないと思います。 しかし、NHKの看板番組でしたから、その後(2,000年以降)もリメークし 再放送されていた様です。 案外、カラー放送の “ひょっこ りひょうたん島” を観た人は多いのかも知れません。 意外だったのは、あの人形劇の原作者「井上 ひさし」は、火山噴火で島に渡った人々は全員亡くなり、“死後の世界” を演出したと 回想しています。 あえて人形劇に拘った理由が、黄泉の世界をイメージしたのであれば、納得できる優れた作品だったと思います!