

私は、30年ほど前から ‟ワープロ”・ 20年ほど前から ‟パソコン” を 始めました。 未だに慣れないのは、子供の頃から 慣れ親しんだ ‟縦書き” の習慣です。 どうにも、‟横書き” で正確な文章表現が出来ません。 ‟時代遅れ” なのでしょうか? それでいて、ブログを書き続けているのですから、自分自身 矛盾していると思っています!(自己反省)
1964年ですから、前回の “東京オリンピック” の年でした。 NHK(日本放送協会)制作の人形劇 “ひょっこり ひょうたん島” が始まりました。 私が中学校1年の頃で、テレビに噛り付いて観ていた訳ではありませんが、夕食時の放送(月曜~金曜日)でしたので、自然と脳裏に焼き付いたと思います。 ストーリーは、どうだったのか? 声優は、誰だったのか? 正確に覚えていませんが、‟ドン・ガバチョ” の声は「藤村 有弘」だったかも知れません! それでも、テーマ曲を歌う「中山 千夏」の 爽やかな歌声は記憶しています。 ♪ 広い地球の水平線に~誰かがきっと待っている~苦しい事もあるだろさ~悲しい事もあるだろさ・・・♪ ”ひょっこり ひょうたん島” のストーリーは、遠足で出掛けた小島が火山の噴火で陸地から切り離され、海原に漂流し様々な出来事(事件)に遭遇する内容だったと 記憶しています。
洞爺湖の中央に、大小の小島:通称 ‟中島” があります。 観光船が往復していますが、無人島で 100頭ほどの “エゾシカ” が生息しています。 決して 中島は、シカ達の桃源郷ではありません。 個体数が増え餌が不足したり、 繁殖期になれば 若い雄ジカは血族婚を避け 中島から出て行きます。 人目を避け、湖を 5キロほど泳いで新天地を探すのです。 それが、厳しい野生の “掟” であり “しきたり” です。 そんな風景を見て来た事で 、中島:“ひょっこり ひょうたん島” に対する思い込みが 強かったのかも知れません!
中学三年、修学旅行は 1泊 4日(車中泊 2日)の “東京見物” でした。 各駅停車のSLで函館に向かい、青函連絡船で本州に渡り奥羽本線経由で、東京に着くのは まる1日以上(確か30時間ほど)かかりました。 今では考えられない 過酷な長旅でした。 そんな強行スケジュールは、私達の学年で終わり、その後は東北(仙台)方面に変更された様です。 やはり、硬い列車のシートで座ったまま眠るのは、体力のある生徒より引率の教員達に、負担が大きかったと思います?
東京見物のスタートは、NHK 本社の見学でした。 当時 人気番組だった “ひょっこり ひょうたん島” の人形や装飾品は、ビルのロビーに展示してありました。 驚いたのは、人形・風景の “色合い” です。 その頃 白黒テレビでしたので、カラーで観る スタジオ・舞台 は 圧巻でした。 番組案内の綺麗なパンフレットは、同行した150人の生徒がそれぞれ持ち帰り、一瞬で無くなった記憶があります。 間違いなく、田舎者の卑しき素行です!(笑)
その後は、東京オリンピックの会場見学や、宝塚歌劇(教員の要望か)見物・浅草巡りなどで修学旅行の全日程は終了し、長い長い帰路の始まりです。 東京に一泊しましたが、車中(二泊)の記憶しかありません。 確か時期は 11月上旬でしたが、東京は無性に暑かった。 当然です。 出発した時の服装は 皆が厚着で、東京は まるで ‟北海道の夏” でした!
半世紀以上前の話です。 “ひょっこり ひょうたん島” を、覚えている人は少ないと思います。 しかし、NHKの看板番組でしたから、その後(2,000年以降)もリメークし 再放送されていた様です。 案外、カラー放送の “ひょっこ りひょうたん島” を観た人は多いのかも知れません。 意外だったのは、あの人形劇の原作者「井上 ひさし」は、火山噴火で島に渡った人々は全員亡くなり、“死後の世界” を演出したと 回想しています。 あえて人形劇に拘った理由が、黄泉の世界をイメージしたのであれば、納得できる優れた作品だったと思います!
「ガンは 恐ろしい病気です」 日本人の死亡原因 ① 悪性新生物 (ガン)28% ② 心疾患 15% ③ 脳血管疾患 9% 確かに “ガン” で亡くなる人は、多い様です。 しかし 医療者は、“ガン” と表現せず “悪性新生物” と言うそうです。 その理由は、ガン細胞が悪化(肥大)して死に至るのではなく、心臓 や 肺 の機能が弱り “敗血症”(細菌やウイルス感染)などで、命を落とすからです。 その “ガン” は、年間 100万人が診断を受け、年間 40万人近くが亡くなっているのですから、正に恐ろしい病気です。 医療側の ‟宣伝文句” は「二人に一人は ガンで死ぬ時代」と、ガンの恐怖を自ら煽っています。 言葉のマジックと言うより、‟情報操作”(似非)です。 正確には、日本人死亡率 0,3%程ですから「ガン診断を受け治療を開始した場合、一年後に亡くなる患者は 約 40%に及ぶ」と、真実を語る必要があります!
日本では、年間 約 9万人が “乳ガン” で亡くなっています。 女性にとって、恐ろしい病気です。 しかし、女性だけが罹患する病気ではありません。 男性も “乳ガン” に罹るのです。 その数は、乳ガン全体の 1%以下(500人程度)と、患者数は極めて少ない。 それ故に、関心が低いのかも知れません。 ただし 乳ガンの危険性に、男女差はないそうです。 実は 私の知人が、5年前 “乳ガン” で亡くなっています。 死亡原因は、悪性のガン細胞が 肺に転移した事により、免疫機能が侵された為の “敗血症” との事でした。
「早期発見・早期治療で、ガンは治る時代」 そうでしょうか? ‟健康診断” や ‟人間ドック” で ガンを発見し、治療を開始するケースが大半です。 日本では、ガンを発見するシステムが 構築されているからです。 そして、医者から ‟初期ガン” の宣告を受ける。 医者:「ガンが発見されました」 患者:「早く治療をお願いします」 その結果、 初期ガン~ 末期ガンに発展し、1年~ 2年で亡くなるのが “ガン治療” の実態です。 ‟早期発見”・‟早期治療” でガンが治るのであれば、50年以上 ガン患者が右肩上がりで増え続ける事はありません。 欧米では、ガンは治療しても しなくても、余命に大差はないと言う 臨床研究の結果が出ています。 なぜ 日本の医療界は、ガン治療のリスク(治療の危険性)を隠すのか?
「抗ガン剤の恐怖」 抗ガン剤 ‟インターフェロン” を発見したのは、日本人学者です。 ガン細胞を殺す目的で投与した場合、必要な 白血球 や 血漿板 まで傷つける ‟危険な化学療法剤” です。 白血球の減少で、髪の毛 や 体毛 が抜け落ちるのは知られています。 要するに、投薬により血液を侵す “副作用” が問題です。 抗ガン剤投与から 約1週間後に、外来の 細菌 や ウイルス に対し、身体が無防備になるからです。 抗ガン剤を投与した時から、ガン以外の病気と闘わねばならない運命が待っているのです。 乳ガンを克服しても、次なる 肺ガン や 胃ガン に転移するのは、正常な血液循環が 抗ガン剤の影響で 滞る為です。 ‟腸造血” を無視したガン医療は、結果がマイナスに向かうだけです!
「ガン細胞は 敵でない」 健康な人であれば、一日 5,000個以上のガン細胞が生まれ死ぬ 循環を繰り返している様です。 何の目的かと言うと、外来の 細菌 や ウイルス から身体を守る為に備わった生体機能だからです。 動物であれば、全てに備わる常在菌の類です。 どうして 悪性のガン細胞が、患部で異常増殖するのか? はっきり言って、‟骨髄造血説” に関わる病気と見なされるからです。 そんな仮説は、現代医学で何一つ立証されていません。 幻の学説を信じたガン医療など、医者の救いになっても 患者の救いにはなりません!
ある医者は「健康診断でガンと診断されても、すぐに治療を始める必要はない。 ガンの悪化は 長年の食生活にある」と言っています。 ガン細胞の増殖が急速であれば、細胞分裂で 2~3日中に ラグビーボール以上に増大するのです。 そんなガン患者を、見た事がありません。 ガンの ‟早期発見”・‟早期治療” は、ガン専門医の都合の良い ‟方便” です!
ガン宣告されても、日頃の健康状況を見直す時間は 確実にあります。 今までの食事を、数か月見直す事も重要です。 それでも尚、体調が戻らなければ 再度病院に行けばいい。 勿論、医療を受けるのも拒否するのも、患者の 自由 & 自己責任 です。(伝染病以外、治療を受ける義務はない) 我が家の向かいに90歳を過ぎた老人が 15年前に ‟腎臓ガン” と診察されながら、今なお元気に暮らしています。 ガン治療を 拒否したのではありません。 高齢の為、医者が 手術 も 抗ガン剤 も躊躇したのです! 大切な命、医者に全てを委ねるのも良し、完治を望めないのであれば、‟手術” も ‟抗ガン剤” も受け入れない道も あるのではないでしょうか? 高齢者の大半は、身体に何らかの ‟ガン” を宿しながら、生涯を全うするケースが多い様です!
男性も「乳ガン」に 注意してください。 乳頭が固く刺激(痛み)を感じた時、身体が危険信号を発していると、警戒する必要があります。