昨日の古典は論語に始まり論語に終わるとは正しい考え方だと再確認いたしました。その論語の本は今読んでも難しすぎて当時の書き込みや赤線がびっしりと書き込んであって参考にはなりますが一日に2~3行しか読めません。とても一日や二日では読めないのですが最初の1~2ページを読めば大体の概要は理解できると思われます。
今から40年ほど前の本ですが定価は2500円と書いてございました。今は本の値段も高くなっております。今の定価は当時の2~3倍になっていることから考えても相当高価な本であることは間違えはございません!多分この本は当時の大学生や研究者向けのものだと思われます。そうとう誇りが積もっていて何十年も読んではおらないということはわかりました。
まあとても中学生が読むことは難しかったのではないかと思われますがそれでも読んでいた形跡はあるので当時はそれなりに読んだことはわかりますね!一概には言えませんがどんなに難しい本でも最初の1~2ページ目を読めば私はその内容は理解できると考えております。勿論私の本棚には私が中学生、高校生の頃に買ってどうしても捨てられなかった古典の本が5~6冊ありますがまだほこりがかかったままです。
何事も最初が肝心ですね!前妻を初めて見たときも当時彼女は高校1年生くらいであったのですが何か心にピンとくるものがございました。勿論その後結婚まで至ったのですが他の女性には初めて会った時にはそのように感じるものはなかったと思われます。この拘束も同じようなものですね!最初の設定が全てでした。今も鮮明に覚えております。
前にも書いた通り私自身も3~4歳で自我に目覚めたときと今と比較しても物事に対する考え方は寸分違いません!それにしてもエイリアンはうるさいですね!論語を読んでる時もちょっかいを出してきております。それは間違っているとかそんなはずはないとかいちいち干渉してきております。
古典というものはその人物が書いた原文通りではなく後の賢者によって改ざんや加筆されていると言っているのですがエイリアンは納得しません。数千年前に書かれたものなので真偽のほどはわかりませんがそれが古典というものなのです。いずれにしろ古典はいつの時代もその新鮮な輝きを放っておりますね!
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