本:神との対話3
著:ニール・ドナルド・ウォルシュ
(P185)
神:
しかし、何かをしっかりともつまでは、それを手放すことはできない。
何かを捨てるには、まず所有しなければならないのだよ。
ニール:
受け入れないものは、変えることができない。
神:
そのとおり。
悟りは「ありのまま」を批判せず受け入れることから始まる。
それが「ありのままの存在」を引き受けるということだ。
ありのままの存在、そこに自由が見いだされるだろう。
抵抗すれば、相手はますます強くなる。
見つめれば、相手は消える。
幻のかたちを保てなくなるからだ。
あなたはありのままを見る。
「ありのまま」はつねに変化しうる。
変わらないのは「存在しないもの」だけだ。
だから、ありのままを変えたければ、
それを引き受けなさい。抵抗してはいけない。
否定してはいけない。
否定するのは、宣言することだ。
宣言するとは、創造することだ。
あることを否定するのは、相手を再創造することだ。
相手をそこに据えつけることになるからだ。
受け入れれば、あなたは相手をコントロールする立場になる。
否定したものは、コントロールできない。
だから、あなたは否定した相手にコントロールされる。
☆**~☆**~☆**~
本:神との対話
著:ニール・ドナルド・ウォルシュ
(P139)
ニール:
「抵抗すれば、相手はかえって強くなるが、見つめれば、相手は消える」
とおっしゃいましたが、そのことを説明してもらえますか?
神:
現実だと感じないものに抵抗することはできない。
抵抗するということは、相手に生命を付与することだ。
エネルギーに抵抗すれば、エネルギーをそこに発生させることになる。
抵抗すればするほど、相手は実体をもつ。
何に抵抗しても、これは同じことだ。
目を開いて見つめれば、相手は消える。
相手は幻想という実態をさらけ出す。
あなたが何かを見つめれば
―本当に見つめれば―
相手を見透かし、それが幻であると見抜くから、究極の現実以上は何も残らない。
究極の現実の前には、小さな幻想など何の力もなく。
相手は弱くなった手で、あなたを捕らえておくことができなくなる。
あなたは相手の「真実」を見極め、それによって自由になる。
ニール:
それでは、見つめる相手に消えてもらいたくないとしたら、どうなるのですか?
神:
あなたは常に相手が消えることを望むはずだ!
現実には、相手にしがみつく必要は全くない。
それでも究極の現実よりも幻想の方を選ぶなら、幻想が再び現実に見せかけた姿で生まれてくるだけだ。
最初のときと同じに。
こうして、あなたは持とうと選択したものを手に入れ、経験したくないと思ったものは人生から取り除くだろう。
だが、決して抵抗しないことだ。
抵抗すれば、相手を滅ぼせると考えているなら、考え直しなさい。
相手はますます力強く居座ってしまう。
すべての思考は創造につながる、と前にも言ったと思うが?
ニール:
これは欲しくない、という考えでも、ですか?
神:
欲しくないのなら、なぜ、考えるのか?
いつまでも考えているのはやめなさい。
だが、どうしても考えたいなら
――考えずにはいられないのなら――
抵抗しないことだ。
それよりも、率直に相手を見つめ
――あなたが生み出した現実を受け入れ――
それからそれを取っておくか、好きな方を選びなさい。
ニール:
その選択の基準は何ですか?
神:
自分が何者だと思うか。
そして、何者になりたいと思うか。
これがすべての選択の基準である――
これまでも、これからも、すべての人生の選択基準である。
ニール:
それでは欲望や自我を拒否するという生き方は、間違った道なんですね。
神:
真実ではない。「拒否」という言葉は、間違った意味を持っている。
拒否しても、実際には何も捨てられない。
説明してきたとおり、抵抗すれば相手はますます強くなるからだ。
真の悟りとは捨てることではなく、違う選択をすることだ。
何かから離れる行為ではなく、何かに向かう行為である。
あなたは何かから離れることはできない。
相手は地獄までもあなたについてくる。
それならば、どんな誘惑にも抵抗しないことだ。
ただ、そこから顔をそむけなさい。
わたしのほうへ顔を向けなさい。
わたしに似ていないすべてものから顔をそむけなさい。
ただし、間違った道というものはない。
この旅は、目的地に「行き着かない」旅ではありえないから。
違うのは、いつそこに着くかというだけである。
しかも、これさえもほんとうは幻想だ。
「いつ」ということはないし、「その前」も「その後」もない。
つねに現実があるだけだ。
あなたが自分を経験しつづける永遠の時があるだけだ。
ニール:
それじゃ、何の意味があるんですか?
「行き着かない」ことがありえないとしたら、人生には何の意味があるんですか?
どうしてわたしたちは、何をするにも心配しなければならないんですか?
神:
もちろん、心配などする必要はない。
ただじっと見つめていればいい。
自分は何者であるか、何をしているか、何をもっているか、それが自分のためになるかに気づけばいい。
人生の意味とは、どこかに行き着くことではない
――自分がすでに、そこにいること、これまでもずっとそこにいたし、いつもいると気づくことである。
あなたがたはいまもこれからもつねに、純粋な創造の過程にある。
人生の意味とは創造である。
自分を創造し、それを経験することである。
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今日も読んでいただきありがとうございました。
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