「まあぁなんと"味噌なめたか"の南魚沼市にあった臨済宗の関興寺」

◇「関興寺の味噌なめたか」と「雲洞庵の土踏んだか」はそれはそれは越後路では有名な話だということでした。
お早うございます、今日の1枚は。
このたびバスツアーで名古屋から出かけて行って撮り込んで来た画像のアップのさいごは、上杉謙信公の家督争い「御館の乱」の舞台となった言われている、
「味噌なめたか」の言葉がとても有名でご利益があるという、鎌倉市山ノ内は臨済宗・円覚寺派の寺院・関興寺(かんこうじ)を今日はアップいたしました。越後湯沢の「天地人」の
ゆかりの地でもある関興寺(雲洞庵)の本堂に参拝すると同時に越後路への旅の締めくくりとして、寺の和尚さんからも関興寺の歴史等々を聞いたりして今回の新潟県への旅を無事終えて来ました。


◇天正6年(1578)に御館の乱で寺は消失。しかし味噌樽に「般若心経」600巻を入れておいて難を逃れたといいます。

◇上杉謙信没後に贈られたという、その「般若心経」が炎から逃れこの經蔵に今は収められているいう。


◇「関興寺の味噌なめたか」と「雲洞庵の土踏んだか」はそれはそれは越後路では有名な話だということでした。
お早うございます、今日の1枚は。
このたびバスツアーで名古屋から出かけて行って撮り込んで来た画像のアップのさいごは、上杉謙信公の家督争い「御館の乱」の舞台となった言われている、
「味噌なめたか」の言葉がとても有名でご利益があるという、鎌倉市山ノ内は臨済宗・円覚寺派の寺院・関興寺(かんこうじ)を今日はアップいたしました。越後湯沢の「天地人」の
ゆかりの地でもある関興寺(雲洞庵)の本堂に参拝すると同時に越後路への旅の締めくくりとして、寺の和尚さんからも関興寺の歴史等々を聞いたりして今回の新潟県への旅を無事終えて来ました。


◇天正6年(1578)に御館の乱で寺は消失。しかし味噌樽に「般若心経」600巻を入れておいて難を逃れたといいます。

◇上杉謙信没後に贈られたという、その「般若心経」が炎から逃れこの經蔵に今は収められているいう。
