羽花山人日記

徒然なるままに

明日に架ける橋

2022-01-31 20:00:24 | 日記

明日に架ける橋

2006年に放映された『ミュージックカフェ 明日に架ける橋 ~賛美歌になった愛の歌~』の再放送(NHKBS3)を見た。

わたしは,コカリナサークル「ラブピース」のリーダー真木ひろしさんの紹介で,この歌をはじめて知った。このサークルに入ったおかげで,多くの名曲を知ることができて,老年が豊かになった。

番組では,歌の誕生から南アフリカに伝わって歌われるようになるまでの道筋が描かれている。

サイモンとガーファンクルによる『明日に架ける橋』は,1970年にリリースされた。寄り添い明日への希望を託すことを内容とするこの歌は,ベトナム戦争,公民権運動など,当時の混沌としたアメリカ社会の中で人々の心をとらえ,たちまち全米ヒットチャートNo.1にランクされた。

2001年9月11日の同時多発テロ直後,なぜか『明日に架ける橋』は放送自粛の対象とされるが,サイモンは歌い続け,かえって人々に勇気を与えることになる。

この歌は,南アフリカの歌手によってカバーされ,同国に広まり,教会音楽としてうたわれるようになり,学校でも子供たちによって歌い継がれている。

作詞・作曲者のポール・サイモンは,教会で歌われていた黒人のゴスペルからヒントを得たという。差別に苦しんでいるアメリカの黒人の思いが,サイモンとガーファンクルを通して,アパルトヘイトに苦しめられた南アの黒人たちの共感を呼び,世代を超えて歌われていることに,わたしは深い感動を覚えた。

テレビを見た後,拙いながら心を籠めて,わたしは『明日に架ける橋』をコカリナで吹いた。

 

BRIDGE OVER TROUBLED WATER

Paul Simon

When youre weary  feeling small
When tears are in your eyes
I will dry them all, I
m on your side
When times get rough a
nd friends just cant be found

Like a bridge over troubled water, I will lay me down
Like a bridge over troubled water, I will lay me down

(写真はいずれもテレビ画面を撮影)

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アレルギー

2022-01-29 19:59:45 | 日記

アレルギー

スギ花粉の時期がやって来たようだ。幸いなことに,わたしは花粉に対するアレルギーがない。

「お山の杉の子」という童謡があるが,日本では昔からスギやヒノキの植林が盛んだった。しかし,花粉症が社会的問題になったのは,ここ20~30年の間だったという。何故年々花粉症の人が増大したのかについては,議論があった。戦時中に植えたスギが成長して花粉をたくさん出すようになった,あるいは人の体質が変わってきたという話もあったが,大気環境の変化が花粉症の増大をもたらしたという説が有力らしい。

現役時代に,茨城県の大宮町(現常陸大宮市)にあった放射線育種場で仕事をしていた時,花粉を出さないスギの突然変異が見つかったという話を聞いた。それがその後どうなったかは不明にして知らないが,自然突然変異で花粉が出なくなったスギの木があちこちにあるらしい。

富山県の鎮守の森にあるスギの木は花粉を出さないことが知られていたが,この性質(遺伝子)を利用して,「はるよこい」というスギの無花粉品種が生まれている。林野庁でも「爽春」という無花粉品種を育成している。花粉症の方には朗報だろうが,いま植わっているスギの木と置き換えるには,数十年あるいは百年単位の年月を見ておく必要があるだろう。

ところで,わたしは現在アレルギーに悩まされることは一切ないが,30代までは様々なアレルギーに悩まされた。青みの魚や肉(馬肉だったと思う)を食べると,時によって背中にユーラシア大陸のような蕁麻疹ができた。酒を飲むとアレルゲンが活性化されて,顔に蕁麻疹ができたり,寒さにさらした肌に寒冷蕁麻疹ができたりしたこともある。

ところが,40代以降,これがピタッと収まってしまった。だから,アレルギーというのは必ずしも一生ついて回るものではないと信じている。花粉症の方の希望に少しでもなれば幸いである。

ただし,わたしははしかに2回罹っている。3歳くらいの時と中学生の時で,いずれも重症であった。アレルギーに関しては,わたしは特異体質なのか????

 

お 年 玉

年賀はがきのお年玉が当たった。昨年は当たりはがきが0.3%だったのに,今年は7%だった。”こいつぁ春から縁起がいいわい~”

 

パラグアイから持ってきた蘭が,今年も花を咲かせた。

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読書備忘(12)『ドードーをめぐる堂々めぐり』

2022-01-27 20:19:02 | 日記

川端裕人 『ドードーをめぐる堂々めぐり 生保4年に消えた絶滅鳥を追って』 岩波書店 2021年

表紙カバーの絵は,日本にドードーが来たことを論文にした著者の一人で,オランダの博物学者/鳥類画家のリア・ウィンターズさんが描いた,出島を見下ろすドードーの想像画である。

友人が面白いからと紹介してくれた。本当に面白くて一気読みした。

著者の川端さんは,この本に記載の略歴によれば,フリーのサイエンスライターで,多数の科学,特に生物や自然史に関する著書を上梓されている。この本は,絶滅鳥のドードーに関する記録である。

絶滅鳥としては,リョコウバトやオオウミガラスも有名であるが,『不思議な国のアリス』や『ドラえもん』に登場することから,ドードーが最もよく知られているようだ。生物関係の本には,絶滅種の例としてドードーの挿絵がしばしば載せられている。

ドードーはマダガスカルの近くにある無人のモーリシャス島に生息していたが,1598年にオランダ艦隊が上陸し,乱獲や持ち込んだネズミ・イヌなどによって,1662年に絶滅したという。

著者の川端さんは,ふとしたことから,ドードーが正保年間の1647年に日本に持ち込まれたという,英文学術誌の記事(R. Winters & J. Hume. The dodo, the deer and a 1647 voyage to Japan. )を目にする。そこから著者の好奇心が広がり,日本におけるドードーの記録,さらには世界でドードーがどのように扱われたかを探求する旅が始まる。

正保年間の古文書の類を丹念に調査した結果,日本に存在する記録にも,ドードーがオランダ商船によって長崎の出島に渡来したことが明確に記されていることが分かった。日本人はそのことにもっと早く気づけたはずである。

日本に来たドードーがどうなったかは不明であったが,著者の好奇心は更に高まり,オランダのハーグ,チェコのプラハ,デンマークのコペンハーゲン,イギリスのオクスフォード大学および自然史博物館と,ドードーに関する標本や記録があるところをすべて訪ね,最後にモーリシャス島とその周辺の島々で発掘にも参加し,絶滅した動物たちに思いを馳せる。

わたしにとって,ドードーの実像が21世紀に入ってようやく定まったということは,驚きであった。そこに至る道筋が,丁寧に説明されている。著者が見聞した標本や文書の写真が沢山収録されていて,実に楽しい。資料を丹念に追った著者の粘り強さは驚嘆に値する。

絶滅した動物の記録を追いかけることによって,われわれは人類が自然の中に残してきた爪痕を振り返ることができる。この本は,人類の活動によって絶滅したドードーへのレクイエムである。

今朝の「天声人語」に,アフリカでは牙のない象が増えているという話が紹介されていた。象牙を狙った乱獲の中で,牙を持たない象は生き延びて子供を持つ確率が大きいからと考えられる。人間はその活動によって,野生動物集団の遺伝的攪乱を引き起こしているのだ。

 

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2022-01-25 19:51:04 | 日記

テレビ画面を撮影。

わたしは,寝る前にテレビドラマを観るのが習慣になっている。たいていは外国のシリーズ物である。

現在観ているのは,NETFLIX配信の『ハートランド物語』というカナダのテレビドラマで,馬のリハビリを請け負う家族経営の牧場を舞台にし,馬と人間,そしてそれをめぐる家族の愛情がテーマで,肩の凝らない温かみのある映画である。

この映画で何よりも感心するのは登場する馬の「演技」で,仕草,目の表情など,親馬から仔馬まで,その場に合った喜怒哀楽が実に適切に表現されている。

先日,主人公の祖父が長年連れ添ってきた愛馬が死期を迎え,安楽死させられるシーンが放映され,思わず涙を誘われ,同時に自分の子供のころの経験を思い出していた。

わたしの生家には馬が1頭飼われていた。製糸工場を経営していたころ馬車を引くことに使われていたが,工場を閉じてからは農耕にも使われるようになった。父に抱かれて馬の背に乗った記憶がある。

わたしが10歳くらいの時だった。とうとうこの馬が倒れるようになった。すでに15歳は超えていたろうか,ある日業者が馬を引き取りに来た。家族全員が馬をさすり,別れを惜しんだ。涙ながらに見送った遠ざかって行く馬の姿は,今でも鮮明に覚えている。

馬の記憶でもう一つ。

馬はいなくなったが,鞍は残った。隣の集落の同級生の家で木曽馬を飼っていて,その話をしたら,馬を連れて行くから鞍をつけて乗ろうということになった。木曽馬は体が大きくなくて気性もおとなしいので,父が許してくれて鞍を装備してくれた。

友達と交代で,1キロくらいの乗馬を楽しんだ。馬というのは乗り手を知っていて,いくら腹を蹴ろうが鞭を当てようが,せいぜい速足になるだけで決して駆け出さなかった。小川があると勝手にそっちに行って水を飲み,道端においしそうな草があると立ち止まって食べ始めた。そんな時,目の前にあった馬の首が急に下がるので,滑り落ちそうな気分にさせられた。

馬と人間の付き合いは5千年以上になる。農作業,交通手段,運搬,軍用などに使われていたが,日本ではもう競技用,娯楽用,肉用にしか利用されないようになっている。エンジンやモーターの能力に「馬力」という単位は残しているが。

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ピークアウト

2022-01-23 16:33:52 | 日記

ピークアウト

新型コロナウイルスのオミクロン株による感染が,爆発的に広がっている。

ウイルスの側から見れば,宿主をあまり弱らせて減らすことなく,速やかに増殖するのが理想的な状態で,オミクロン株はまさにそれに叶っていて,既存の株に置き換わっているといえるのだろう。

日本では蔓延防止法を適用する都道府県が続いているが,オミクロン株が日本に先駆けて広がったイギリスやニューヨークでは,感染のピークアウト状態になったとして,規制を緩和している。

昨年の1月15日のブログで紹介した,長崎大熱帯医学研究所教授の山本太郎さんは,パンデミックにおいて目指すところは社会経済と両立する集団免疫によるウイルスとの共生であるという。そして,感染によって命が害われるのを防ぎつつ,その状態にもってゆくためのロードマップを示すことが大切だと指摘する。

政府分科会長の尾身さんは,現時点では外出や人流を制限するのは意味がないといって,物議をかもしている。わたしもその真意はよく理解できない。感染拡大をある程度放置して,ピークアウトに持っていき,コロナウイルスとの共生を目指しているのだろうか,では,その過程における命のケアの問題ははどうするのか。

わたしは,来月の始めに3回目のワクチン接種を受けることにしたが,それでも感染を絶対的に避けることはできないだろうし,治療方法が確立していない現在では,身をひそめる以外にないと思っている。

政府/専門家は,どのような状態の社会にどのようにして持っていこうとするのか,ロードマップを明示すべきである。

 

凍結した袋田の滝

2011年1月撮影。今年はまだここまで凍結していないらしい。

 

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使命感

2022-01-21 15:40:26 | 日記

使 命 感

今日の新聞に出ていた女優さんの自伝に,「これをするのが使命だと感じた」という趣旨の発言が出ていた。

ここに書こうとしているのは,この女優さんのなさっていることについてではない。「使命(感)」という言葉についての一般的な感想である。

自分の行っている行為の動機あるいは意義について,「これが使命だから」というのを聞くことがある。そして,その発言について,なるほどと感心することもあるし,うさん臭いと感じる時もある。この違いは何だろう。

辞書によれば,「使命感」とは,「与えられた任務を果たそうとする気概」であるという。とすれば誰(何)から何を託されたのかということ,そしてそれを果たす気概が持てるかという問題になるだろう。

状況に強いられて受動的に何かをなすことに,使命感という動機を与えるのは抵抗を感じる。積極的にある課題を評価して成し遂げようとする気概が使命感であろう。

この場合,取り組もうとする課題の正当性が先ず問われよう。独りよがりに正当性を主張するのは時に滑稽であり,時に悲劇である。課題に対する批判を受け止め,自ら点検する柔軟性が必要だろう。

さらに,取り組む主体の気概が問われる。わたしはその気概が自分の歓びから発したものでなければと考える。愛する家族を守ろうとする使命感はその典型だろう。他人あるいは何かのためではなく,自分のためであるという自覚が必要である。

1月14日のブログに,人間は本来利他的な動物で,それは利己的な動機から発しているという趣旨のことを紹介した。

マリア・テレサさんは,神の啓示を受けて貧しい人たちへの医療活動を始めた。中村哲さんは,医療行為では満たされない自分を感じて,アフガニスタンに灌漑水路を敷設した。その途次でつらいこと,うんざりすることがあっただろうことは想像するに余りある。しかし,この方々の根っこには,それを遂行する歓びがあったに違いないと思う。

行為の「正当性」を無知や虚飾から主張し,打算や邪悪な意図をもって使命感と称するのは,恥ずべきことである。

自分の過去を振り返り,恥ずべき行為が無きにしも非ずと,いささか苦い思いをかみしめている。

 

手    袋

今日は定期健診で病院へ行ってきた。

この病院は,無料送迎車を出してくれるので,非常に助かる。

車に乗る時,運転手さんは消毒スプレーをかけようとして,わたしが手袋をしているのを見て,手がきれいだろうからと言って,スプレーを止めた。ちなみに,わたしは外出時にはコロナ感染予防も考えて,100円ショップで買った軍手をすることにしている。

車を降りて病院に入る時,わたしは手袋をはずして消毒スプレーを手にかけた。

診察を待つ間,手に消毒液をかける意味をあらためて考えた。自分を汚染から守るという意味もあるだろうが,公共の場所に入るときのスプレーは,そこにウイルスを持ち込ませないためであるのが主目的であろう。とすれば,今朝手袋をしたまま乗車したのは間違いであった。車内のあちこち触るのは,消毒済みの手でなければならない。

運転手さんごめんなさい。これからは手袋をはずして,スプレーをかけてもらって乗車します。

なお,今日の診察で飲酒について聞かれ,ドクターの命令通り週一回は休肝日にしていると褒められるつもりで答えたところ,肝臓γGTPの値が高いので週二回に増やすよう命令された。

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胃カメラ

2022-01-18 20:04:35 | 日記

胃カメラ

今日は86回目の誕生日である。

胃カメラの検診を受けた。組織検査用に一カ所からサンプルを採取したが,心配することはないとのドクターのご託宣。このまま癌と付き合わずに一生を終われるだろうか。

カミさんが,絵画教室の帰りに,ケーキを買ってきてくれた。今夜は一応禁酒にして祝杯はおあずけだ。。

 

哀     悼

水島新司さんが亡くなった。82歳はまだまだお若い。

彼の作品は,『ドカベン』と『あぶさん』の二つしか知らないが,40年を隔てた今もその画像は鮮明に覚えている。明訓高校の選手とそのライバルたちの顔は,ほぼ全員記憶にある。あぶさんは,酒を飲むシーンの描写が好きだった。さち子さんの手を握って,顔を赤くしているあぶさんの姿に,作者の主人公への愛情が滲み出していた。単行本を子供が買ったはずだが,どこへ行ったのか。

『ゴルゴ13』のさいとう・たかおさんも,昨年84歳で亡くなった。世の中は移っていく。寂しいね。

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警報

2022-01-16 17:16:02 | 日記

警       報

昨夜の夜半に,カミさんとわたしのスマホ,そして固定電話が警報をけたたましく鳴らしたらしい。

「らしい」というのは,補聴器を外して熟睡していたわたしは全く気がつかなかったのである。その音で目を覚ましたカミさんは,津波警報だと知って,わたしを眠るままにしておいたという。

同居人がいるからまだ助かる。これが耳の遠い独居老人で,実際に災難が襲ってきたらどうなるだろうと,心配になった。

 

地殻変動

明日で,阪神淡路大震災が起きてから27年になる。あの日,わたしは前日からの泊りがけの会議で東京の大学入試センターにいた。朝起きて見たホテルのテレビにうつる状況にびっくりした。センターテストが前々日に終わっていた幸運に感謝した。会議には関西方面から出席された方々がいた。会議を中断し,交通の状況を確認し,直ちにお帰りいただいた。

認知症が進んでいた母は,連日地震の模様がテレビで報道されるのをみて,どうして毎日地震が起きるのか不審がった。

昨年から,震度4以上の地震が頻発している。ジャワ島では昨年12月には大噴火があり,今年に入ってマグニチュード6.6の地震が発生している。そして,昨日のトンガの巨大噴火。

われわれが乗っている地殻は決して盤石ではない。

 

白鳥の群れる池

1月14日土浦市乙戸沼にて撮影。

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利他的行動

2022-01-14 20:42:25 | 日記

利他的行動

昨日の朝日新聞13面の『耕論』に,-「利己」が動かす世界-と題して,人間の「利己的行動」と「利他的行動」に関する記事が出ていた。

利他的行動は動物界に広く見られ,動物行動学や進化論ではその意義がいろいろと議論されてきた。ダーウィン進化論では,環境に適応した個体が子孫を多く残す自然淘汰によって進化が行われると考えられている。では,己を犠牲にして他に尽くすという性質がなぜ進化の結果残ってきたのか。

学説的には,血縁淘汰理論と互恵的利他行動の理論の二つがある。

血縁淘汰理論は血縁関係の近い他の個体を助けることによって,結果的に自分が持っている遺伝子が後代に多く伝えられると説明する。アリやミツバチの社会における分業による利他行動はその典型である。

互恵的利他行動は見返りを期待して他を助ける行動で,結果的にその行動は自分に有利に働く。洞穴に住むある血吸いコウモリの集団では,その日に十分吸血できなかった個体は,十分吸血した他の個体から血を分けてもらう。その際,分けてもらえるのは,かつて他の個体に血を分けてあげた個体に限るという。掟破りは排除されるのだ。

『耕論』では,3人の方がコメントしていた。

介護福祉士でモデルの上條百里奈さんは,介護の経験を生かしたモデルをしたが,その場では満たされないものがあったという。介護の場では相手が幸せを感じてくれることで,自分も幸せになることができる。自分にとって介護は,自己を満足させる「利己」から始まっているのではないかと感じているという。

経済学者の大竹文雄さんは,コロナ禍で人の行動を変容させるにはどうしたらいいかを実験した。その結果,最も効果的だったのは,身近な人の命を守れるという「利他的」なメッセージで,「利己的」なものは全く効果がなかったという。行動経済学には人は自身の社会的イメージが損なわれないように行動するという学説があり,この場合行動は利他的に見えるが,動機は利己的ということになる。そして,利己的に見られたくないというのは人間の大事な特性であり,それを踏まえた政策が求められると指摘している。

比較行動学,自然人類学が専門の小田亮さんは,ヒトは他の動物と比べて極めて利他的な種であるという。血縁でもなく頼まれもしなくても,他を助けるのはヒトだけで,いわば「お節介なサル」である。ヒトも本質的には利己的で,お返しを期待して利他的な行動をする。恩恵を受けるだけでお返しをしない「フリーライダー」が増えると利他的な人は不利になるので,それを排除する心理を進化させてきた。利他性が大きいから見知らぬ人とも長時間一緒にいられるし,大きな集団を作ることができる。群れが違うチンパンジーを同じ部屋に閉じ込めておけば,ほぼ確実に殺し合いが起きる。。ヒトは自分を飼いならした「自己家畜化」の産物ともいえる。こうした生物学的な特徴は,何百万年にもわたる人類進化の結果で,この利他的な傾向を活かせる社会システムの設計が大切だと,小田さんは結論する。

「情けは人のためならず」という格言には,上に述べられたことが全部含まれていると思う。ところが,最近の若い人たちの半分以上は,この格言を「情けをかけるとその人のためにならないから,やめた方がいい」と解釈しているという。困ったことだ。

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御利益

2022-01-12 20:25:18 | 日記

御 利 益

わたしもカミさんも決して信心深い方ではない。しかし,神社やお寺を訪ねた時は,作法通りに柏手を打ち,手を合わせてなんとなく願いごとを念じている。

孫の一人が今年受験生である。

やはり受験生の孫を持つカミさんの友人が,電話で上野公園の寛永寺近くにある上野大仏が,「合格大仏」と称されて,霊験あらたかだという話を伝えてきた。

そう聞くと,お参りしないのが罪作りのような気がして,二人で上野まで出かけた。

この大仏は,いろいろな災難に遭い,おまけに戦時中の金属供出で胴体の部分がなくなって,頭だけが残っている。「これ以上落ちない」という縁起が担がれているそうだ。

型どおりに合格祈願をし,絵馬をおさめ,お守りを買って帰路についた。寒さが緩んだ無風の気持ちのいい日和で,路上で演奏するペルーのミュージシャンの「コンドルは飛んで行く」を聴きながら散歩し,精養軒でちょっと弾んだランチをして帰宅した。頑張っている孫をだしにしたような気がして,ちょっと申し訳なかった。

写真はいずれも1月8日上野公園にて撮影。

今日,その孫が志望校の一つから合格通知をもらい,それを弾みに次を狙いたいという知らせがもたらされた。

これは孫の実力によるもの以外の何物でもない。断固としてそうである。

しかし,あったかもしれない御利益にはそっと感謝したい。大仏様にお礼参りに行くことにしよう。桜の咲くころに。そのころコロナが収まっていればいいが。

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